鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

天皇即位フィーバーの背景にあるもの

2019年10月23日 | 政治見識のための政治学

 

 

天皇即位式典の情報を、全地上テレビはこぞって、しかも長々と流すことになりましたね。この機会に、天皇なる存在の正しい理解を示してみます。

現代の我々には、まず明治維新時点に焦点を置いて論じるのがいいです。

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明治新政府は、参事会を最高決定機関として開始されました。西郷、大久保、岩倉、大隈ら数人余の参議の合意でことが決定されました。


その決定の宣布に天皇が関わるのですが、これを考えるには、政治というものの本質を知る必要があります。
残念ながら当面、日本の政治学専門書も大学の政治学講義も、これらに盲目な状態でいますので、そこから語ります。

 

<国家の一体性>

政治は具体的には、政治権力を握った担当者によってなされていくリアルな活動です。自然に出来上がっていくものではありません。

その際、担当者の最初にして最大関心事は人民の「一体性」です。

その度合いは、打っていく政策の浸透度と効力を左右します。

また、一体性が崩れて分裂までいくと、政府そのものの存在が無となります。

そうなると政権者個人の存続、生存もできなくなる危険が産まれます。

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だから担当者は、なによりもまず、国論の一体性の形成に非常な努力をします。

出来上がった後にも、その維持に神経を使い続けます。

 

<「五箇条の御誓文」>

 

日本史の教科書では明治維新に関して「五箇条の御誓文」というのが出てきます。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」に始まる5つの命題がそれです。

これまでは藩主や家老たちが決めてきた事柄を、これからはみんなが参加して公論でもって決めるのだよ、という宣言です。

これを読んだ生徒は、「そうだ、明治からはみんなで議論して決めていく時代に入るんだ」、と鮮烈な印象を受けます。

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だが、教科書のなかでこの話は立ち消えになっていきます。「万機公論」とは最後まで「理を通して」決定するという方式で、素晴らしいのですが、焦点から消えていく。


それは「理を通す」ことには「分裂による一体性喪失」の危険が伴走しているからです。百論続出して「まとまりが」つかなくなってしまう。その危険も大きいのです。

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これを和らげるために、維新の主導者たちが用いてきたもの、これが天皇です。
当時、天皇というのは、特別な神秘的存在というイメージが人民の間に濃厚でした。

そこで、明治新政府主導者は、最高決定機関だった参議会の決定に天皇というのをかませようとしました。

参議会の決定を最後に天皇にあげて、その決定を「みことのり」として下させるという方式をとったのです。

 

<天皇に「みことのり」させる>

いったん「みことのり」として降りてきたとなれば、政府の政策への反対は大いに抑制されます。

幕末から明治初期の当時、西欧列強は日本の植民地化を虎視眈々と狙っていた。そういう時代でした。

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こういう環境の中で国論が割れれば、各国は思い思いにその一方に荷担し、分裂をさらに拡大しようとするでしょう。それがすすんで、政府が機能しなくなったら、もう、列強の思うがままです。

かつて、インドも中国も英国によるその政策にやられました。

 

幕末日本でも、英国は薩摩を支持援助し、フランスは幕府を援助する姿勢を示していました。

そのまま二つに割れて、国内戦争になれば、最終的には勝者の側を支持した国の手に、国家統治の実権は握られます。

たとえば薩摩側が勝ったとすれば、薩摩は英国の意向のままになる。

すると英国の利権にあずかるべく、みんな英国側に~軍隊を携えて~加わってきます。

かつて中国がされたと同じ植民地状態です。

 

<非合理ゾーンを持ち込む>

そこで、明治新政府は天皇による「みことのり」を持ち込んだのです。

これは万機公論での「理」とは異質な、非合理要素です。神秘イメージ満載の天皇によって、万機公論に非合理要素をもちこむ。この手段でもって「もう公論はそこまでにしよう」という圧力をかけられるのです。

これは一体性の形成・保持には極めて有効でした。このようにして、明治の国難においては、天皇という存在は、相応の役割を果たしたのでした。

 

<人材の劣化>

ところがそういうと「ほらこのように天皇様は日本のためにお役立ちなのだ」という人々が、これまた非常に多い。「純朴者の国」ニッポンの現状です。

これには政治学教科書や政治学者の無能もあずかることろ大きいのですが、とにかくホントに純朴です。

 

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現実にはこの「みことのり方式」は長期的には大きなマイナス面も持っていた。この方式は、公論という合理的領域に、神秘という非合理領域をもちこむ方式で、マイナスも大きいのです。

政治権力ゾーンに身を置いていると、多大な社会経済的利得が得られるのが世の常です。

そこで、この非合理ゾーンに働きかけて、自分の子弟を政治業務を行うポストに就けてもらおう、とする親が必ず現れます。親は子に弱いのです。

こうして、人事面で理の通らない行為がおこなわれ、これが人財の劣化をもたらします。

この動向は、時を追って拡大します。同類はあい集まります。非合理な神秘ゾーンの力でポストを得た劣等人材は連携します。そしてまた、非合理ゾーンの人事を行っていくからです。

こういう人材は、徐々に決定機関にも紛れ込んでいきます。この動向は時の流れの中で増えていきますから、ついには、決定事項の大半に、「公論で決す」要素が通じなくなってしまう状況に、至るのです。

 

<福沢諭吉・対・井上毅(こわし)>

 

 長期的視野に立って、この事態を避ける方式を推奨したのは福沢諭吉でした。彼は政府に入ることを好まない人でしたが、明治政府は、福沢の意見を求めることが多かった。福沢は英国風の議会政治を強く提唱しました。

 ところが顕著に短期的視野にたち、公論制による一体性の弱体化を危険視する長州官僚がいた。これが井上毅(こわし)です。

熊本藩士あがりの彼は、福沢の言論力の影響を恐怖し、福沢が東京圏に入ることを禁止すらしました。

そうして「みことのり方式」をとりいれさせました。

 

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 みことのり方式は、後に天皇の絶対権として、明治憲法の中に法的に組み込まれて続行されていきました。

その結果、指導層の能力劣化動向はどんどん進展し、明治末期にはすでに、最高決定機関の人材は「中もの~大物でなく~」で占められるようになりました。

昭和に入った時点では、「小(こ)もの」までもが「愛すべき存在」となって混入した。こうして日本の最高決定機関は「中・小もの」しか、参加できない集団となりました。

対中国、米国への戦争に負けてから、やっと最高決定者たちの無能が論じられるようになりました。

だが、それは昭和初期にはすでにピークに達していたのです。

 

<責任逃れも産んでいく>

「みことのり」要素の介入は、もう一つ、これも巨大なるマイナスを産みます。それは決定機構の交代が非常に困難になること、がそれです。


「みことのり」を出す人は天皇ですが、これによって、最高決定機関の全員に多かれ少なかれ権威の色彩が付加されます。

機関構成者にも「不可侵」のニュアンスが付け加わる。

これによって、彼らはお粗末な決定をしても、取り替えられ難くなります。それが結果的に、責任をもってものごとを論じ尽くすことを妨げていくので、責任の所在も曖昧になっていくのです。


その結果、誰も責任をとらない、というのが当たり前という状況が出来上がっていきます。これもまた重要なマイナス面となります。

 

(第一回・・・完)

 

コメント (2)
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