津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

往来手形之事

2008-07-13 11:43:34 | 歴史
 熊本縣史料・近世編第二「三二・部分御舊記・嘉禮部全--関所并津方部」(p339)
往来手形之事
 「一筆申入候度々御六ヶ敷申入事ニ御座候へとも我等家中下々親類之女壹人肥後迄遣申候 御関所切手申請度候 加藤肥後母儀是ニ被居候故肥後之女数多御座候而帰國仕度由申候ニ付而切々申入候 松平大隈殿へも此段申入候 猶又貴様よりも被仰入候而可被下候
猶此者口上ニ可申入候 恐惶謹言
   卯月十日                   (忠利)
     牧野内近様
       人々御中

 時代が分からない細川忠利の書状である。
 「大変愚かしい申し入れであるが、当家家中の者の親類の女一人を肥後迄遣わすについて、関所切手を申請したい。加藤肥後(忠広)の母親も是におられるし、数多くの肥後の女が帰国したいと切々申し入れている。松平大隈殿にもこのことは申し入れてあるが、なお又あなたからも仰っていただけるよう(お願いしたい)、なお(詳細については)使いの者が口上にて申上げる」
 大意こういうものであろうか。ここで興味深いのは、加藤忠広の母親が誰かという事、そして「是」なる場所は何処であるのか、そして近侍している熊本出身の女性たちが古里に帰りたがっているという事である。「愚かしい申し入れ」は「度々」行われている事を伺わせる。何故忠利が、熊本の旧主忠広の母親に仕えた女達の、帰国の斡旋をしているのか・・・。解決できそうにないミステリアスな一文である。
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