この書状を誰が書いたのかが判らないのだが、私は内匠の養父・七代昭桓ではなかろうかと考えていたのだが、どうもそうでもないらしい。
昭桓の娘二人が、昭信(定彦父)と内匠に嫁いでいる。昭桓の室が朽木家男系最後の当主昭直である。
そのような人間関係を理解してこの書状を読むと、昭桓が娘婿に宛てた手紙と解するのが妥当な処なのだが、文中の「貴殿拙者は八代(松井家)の血脈」という一文からすると該当しない。
松井系ということからすると、八代営之の子で嫡男・松井九代の徴之、三男・松井分家の誠之(直記)、四男・三渕澄昭(嘉門)と内記本人ということになる。系図を片手に謎解きが果てしなく続く。
定彦儀何方ニ成共養子ニ遣可申所存ニ付
近比茂九郎太郎仮養子ニ相究候事御座候
然處能々相考候得者先祖大和守様(三渕藤英)之血脈者
観龍院様(六代昭直)限ニ終漸女系之血筋定彦ニ
残り居家良養方之本妻之娘之腹致出生候
定彦事ニ候得者是を貴殿順養子ニ御願候而
跡を御譲候様有之度存候 信記事ハ又定彦
順養子ニ相成被申定彦之子ハ又信記(内匠昭久)順養子
と一代越之順養子ニ相成候ハヽ子孫茂■之栄ニ
可有之第一ハ先祖ニ對シ孝道を可申と存候
最早大和守様ゟ之血脈ハ断絶致し女系之
残り居候定彦・典禮・丹右衛門ニ源今之式部殿
より外ニハ一向無之候 貴殿拙者ハ八代之血脈ニ而
大本
幽齋君ゟ續居申候
幽齋君者室町之公方御落胤之由御先祖
附ニ茂出居申候然者
幽齋様と大和守様御兄弟ニ而御座候へ共御腹替
尓而貴殿と拙者ハ公方様之血脈ニ而至る元祖
同流ニ而有之候得共願クハ大和守様之血筋を家ニ
殘■■万孝道ニ當り可申様ニ存候 貴殿と定彦
年齢大違無之信記定彦ハ猶又漸六ツ違候得共
代替茂近り可有之候へ共両人共ニ文武藝術等
出精有之候而御知行茂減申間敷何年右之通
之趣貴殿御内心ニ御極メ置候而追々右様ニ
成行候様頼入候右儀ハ紫英・野沢等江茂
未咄茂致不申拙者一存道理之至極と存候間
相想入披見置候以前之所存と違候所ちろへろ
之様ニ聞成シ人茂可有之候へ共御考御披見
可給候以上
文化十年
霜月十八日 遊判
内匠殿
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