津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■八代朽木家取扱之扣写(一)

2017-12-08 09:16:59 | 史料

 この書状を誰が書いたのかが判らないのだが、私は内匠の養父・七代昭桓ではなかろうかと考えていたのだが、どうもそうでもないらしい。
昭桓の娘二人が、昭信(定彦父)と内匠に嫁いでいる。昭桓の室が朽木家男系最後の当主昭直である。
そのような人間関係を理解してこの書状を読むと、昭桓が娘婿に宛てた手紙と解するのが妥当な処なのだが、文中の「貴殿拙者は八代(松井家)の血脈」という一文からすると該当しない。
松井系ということからすると、八代営之の子で嫡男・松井九代の徴之、三男・松井分家の誠之(直記)、四男・三渕澄昭(嘉門)と内記本人ということになる。系図を片手に謎解きが果てしなく続く。


                 定彦儀何方成共養子遣可申所存
                 近比九郎太郎仮養子相究候事御座候
                 然處能々相考候得先祖大和守様(三渕藤英)之血脈
                 観龍院様(六代昭直)限終漸女系之血筋定彦
                 残り居家良養方之本妻之娘之腹致出生候

                 定彦事候得是を貴殿順養子御願候而  
                 跡を御譲候様有之度存候 信記事ハ又定彦
                 順養子相成被申定彦之子ハ又信記(内匠昭久)順養子
                 と一代越之順養子相成候ハヽ子孫■之栄
                 可有之第一ハ先祖對シ孝道を可申と存候
                 最早大和守様ゟ之血脈ハ断絶致し女系之
                 残り居候定彦・典禮・丹右衛門源今之式部殿
                 より外ニハ一向無之候 貴殿拙者ハ八代之血脈而  
                 大本
                 幽齋君ゟ續居申候
                 幽齋君者室町之公方御落胤之由御先祖
                 附ニ茂出居申候然者
                 幽齋様と大和守様御兄弟ニ而御座候へ共御腹替
                 尓而貴殿と拙者ハ公方様之血脈ニ而至る元祖
                 同流ニ而有之候得共願クハ大和守様之血筋を家
                 殘■■万孝道ニ當り可申様ニ存候 貴殿と定彦
                 年齢大違無之信記定彦ハ猶又漸六ツ違候得共
                 代替近り可有之候へ共両人共文武藝術等
                 出精有之候御知行茂減申間敷何年右之通
                 之趣貴殿御内心御極メ置候而追々右様
                 成行候様頼入候右儀ハ紫英・野沢等江茂
                 未咄茂致不申拙者一存道理之至極と存候間
                 相想入披見置候以前之所存と違候所ちろへろ
                 之様聞成シ人茂可有之候へ共御考御披見
                 可給候以上
                   文化十年
                     霜月十八日     遊判

                    内匠殿

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