津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「旦夕覺書」 鳥--10

2011-10-29 09:57:50 | 旦夕覺書

         この項は大変長文であるため三回に分ける。其の(一)

新知被為拝領しはらく仕候て老父知行所の観音に神米毎年差上候事存出し拙者知行所の村にて祭禮有之候両所とも新米差上申候 御加増被下候正保村名も拙者生れたる年號にて不思議と心付所々様子承り候へはむかし阿蘇大宮司知行にて御座候由承候故阿曾へ初穂銀少差上申候 其後傳右衛門代に替人有之毎年札申請候 尤近所に伊勢御座候故毎年米の初穂差上申候 是も老母被申候は拙者内入新知同日に拝領いたし候時両人に無心申事有之と被申候故何事にて御座候哉と申候へはいや薬師法王へ米豈(壹カ)俵宛毎年くれ候へと被申候得其意候由に毎年上申候 其砌は拙者何の心なく其後又被申候は祖母妙菴の位牌蓮臺寺に上置被申候哉是も得其意候と申西岸寺下にて毎年上せ申候 右の妙菴権之助殿娘一人子にて幼少之時鬼松とつけ被申殊の外秘蔵にて十二三迄は門前を池田輝政公御通被遊候節は召連御目見被仕候へは毎度鬼松出たか堀出かと御意被成候由幼少にて咄承申候 拙者母八右衛門角入不白母にて拙者其為には祖母にて熊本へ被参果申候 十七日廿六日に精進を被仕月待日待も宮内に頼其餅を毎度給申覺申候 老父は誰にても昔咄すき妙菴へ参被候へは昔備前にて構之助殿代の名ある侍ともの事尋被申候に誰は知行何程夫は番頭足軽頭と一々覺咄被申候覺居申候 むかしは外にも似たる人多く候 長谷川久兵衛殿御母儀諸仙と申も老母所に折々被参祖母同前の年にて老父と咄被申候に妙菴同意の咄にて御座候 右の通むかしは女にても武士の子は男子の心御座候 近代にも其所々の風俗と見へ先年十七人の義士磯貝十郎右衛門母儀は貞柳と申拙者に一ツの年おとりにて何も切腹の年の五月廿六日に十郎左衛門事のみ思ひ被申候哉つかへ差出被果候 病中にも音信仕見舞臥居被申候所へ呼被申達候 富森助右衛門母儀にも竹屋惣次郎と申候て此方屋敷へ出入仕候刷屋所にて初て逢申候 右両人の咄承申候何も女には珍敷昔も今も女は女男は男にて替りは有間敷候へとも其所々の風俗にも寄り申又は親の心により娘にも幼少の時より武士の道語り聞せ見習たる哉と存候 其刻亡妻方へ申遣候にも拙者姪共に能く申聞せ候へとて神依頼同前に存右の通に候然とも各存候通同名中にても拙者は身軽く御奉公に罷出三人の内にても弟にて候ヘは何を申か當世はならぬ事なとヽ心の内に何も被存たるも世の習ひにて恨共不存候 拙者初として勤申内には侍中それ/\に結構に被召仕候より禄も多く位も能被仰候へはおのつから人柄も能く見へ敬慎申事に候 左候へは其人は自慢顔にて勤申せとも大勢の小身者の内には右の人より上成る者多く候故打寄/\そしり笑申せ共其人はしらす次第/\におこり出来心まヽに成候故天罰にて或は若くて病死いか様災難も有之天のつけと咾み不申出入者は其人を心實から能きと思ひ又は夫程には思ひ不申候へともへつらひ廻りいや外にもケ様の事多く他國の事を申出うそ誠我等にさへ申たる當世者神以幾人も有之候定て十左衛門殿舎人殿御懇頃の儀は太守様も御存被遊候 家中侍中は不及申其時傳右衛門/\と申相伴にも方々参申候て味き物給廿年在宅仕其時節を思ひ出如斯聞申候 各若く候へば結構にも被召仕候様に有間敷物にてもなくうかへる雲の如しと賢人の言のごとく成行申候間必々古人の言葉を被存結構に成候程重く被召仕候位程/\に手前の身を軽く捨其身より末々を恵む心を第一に心得可被申候 尤目利相違は聖賢ならでは人の目利は成らぬ物と承申候 能きと被思召候ても悪敷物も可有之候へ共人には必又能き所或は十の物六七能き方にて可有之候 又八九能候ても一ツ二ツ悪敷御用に立申さぬ者可有之候十が十能き者可有之様無御座候若有之候ても實の男は無之物と信玄記に有之候

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