津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御代々様御参勤御帰国 (1) 忠興公

2011-06-22 08:17:25 | 歴史

忠興公
          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E8%88%88

忠興公参府且御帰国之儀は御旧記桔闕多 御在府御在国之年月等不詳 大概相知候分如左

一、慶長五年十一月二日豊前国御拝領 十二月廿六日御入国 仲津御居城
一、同六年春御入洛 六月廿日御帰国
一、同八年正月従豊前小倉伏見御越 前年十一月仲津御城より 此年二月家康公御参内
  将軍宣下御拝賀付 忠興公御扈従付而也
一、慶長八年七月廿一日大坂御越 同廿六日家康公御拝謁
一、同九年小倉御在国
一、同十年春従小倉伏見ニ御越
  此年春秀忠公御上洛 四月将軍宣下御拝賀付而也
一、同十四年五月従小倉駿府及江戸御越 八月御帰国
  此年忠利公御婚姻付為御禮御参府
一、同十五年尾州名護屋城御普請 諸家様御一統ニ忠興公被蒙仰 御越
  御参勤後忠利公御出御代 忠興公御帰国
一、慶長十六年二月従小倉御入洛 吉田御住 同五月御帰国
  此年家康公御上洛付而也
一、同十七年江戸御城石垣御普請 諸家様御一統ニ忠興公被蒙仰 御越
  此節御出府御勤而可有之候得共 御出府之儀御旧記不詳
一、同十八年十二月廿六日江戸御越 廿七日御拝礼
一、同十九年四月十日江戸御発駕御帰国 十二月大坂御陣付忠興公依御願
  小倉御出陣 門司浦江御越候処大坂御扱成注進付 従同所御帰国
一、元和元年 慶長二十年改元 御在国 此年大坂御陳付忠興公御先鉾御願
  四月廿八日小倉御発 五月三日攝州花熊浦御着船 同五日攝州淀御越
  同八日大坂落城 同十日洛外吉田御越 閏六月御暇を賜御帰国
一、元和元年冬駿府ニ御越 此時信国御脇差御拝領且可被復細川氏之台命等有之 従是江戸御越
一、同二年之春御暇被仰出御帰国
一、同年十二月江府江御越
一、同三年春御暇被仰御帰国
一、同年六月従小倉京都御越 十月御帰国
  此年秀忠公御入洛付而也
一、同四年七月光壽院様御病気付 急小倉御発駕江戸御越 数十日御滞留御帰国
一、同年十一月廿四日江戸御越 同廿七日拝礼
一、同五年四月廿一日御暇被仰出 同月廿五日江戸御発駕 五月七日吉田御越
  八月吉田以上使御暇被仰出
一、同六年冬江戸御越
一、同七年正月依病気御隠居 三齋公と改 御暇被仰出御帰国
  此年六月廿三日従小倉仲津之御城御移
一、元和八年十二月十五日江府江御越
一、同九年五月御暇被仰出 京都御越御滞留 家光公御入洛御待 閏八月或九月仲津御帰国
一、寛永元年 元和十年改元 十二月仲津御発駕
一、同二年正月江戸御越 同年冬御暇被仰出 仲津御帰国
一、同三年六月仲津御発駕 京都御越十一月御帰国
  此年 秀忠公太政大臣 家光公左大臣御転任而御上洛付而也
一、同四年夏江戸御越 十一月十四日御暇被仰出 同廿二日江戸御発駕 翌年正月仲津御着
一、同六年江戸御越
一、同七年御在府 八月十四日御暇被仰出 同廿日江戸御発駕 九月廿九日仲津御着
一、寛永八年秀忠公御不豫付十二月十四日比江戸御越
  九月十三日小倉御出船
一、同九年御在府 此年十月忠利公肥後國御拝領
一、同年十月御暇被仰出 十一月十四日仲津御着 同月廿六日仲津御発駕
  十二月廿日肥後國熊本御城御入 同廿二日八代御城御入 御請御城入ハ廿五日
一、同十一年家光公御入洛付六月八代御発駕 同廿日京都御着御拝謁 八月八代御帰着
一、同十二年三月八代御発駕 五月五日江戸御着 十月四日八代御帰着
一、同十三年秋御病気付御願 十一月八代御発駕 洛外吉田御越
一、同十五年二月廿七日吉田御発駕 三月十日江戸御着 九月御暇被仰出十四日江戸御発駕
  十一月四日熊本御着 五日八代御着
    此時嶋原賊徒蜂起付 三齋公御事 将軍様御代々御約諾之旨有之由而江戸御越
一、寛永十六年四月四日江府御着 十八日御拝礼 同十一月十八日御暇被仰出
  閏十一月五日江戸御発駕 十七日吉田御着 翌十七年七月吉田御発駕八代御越
一、同十八年三月十七日忠利公御逝去 五月光尚公御遺領御相続付 三齋公従八代江戸御越御礼
一、同十九年四月廿五日御暇被仰出 廿六日江戸御発駕 六月十七日八代御着
一、正保二年十二月二日於八代御逝去 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 熊本県立図書館の「富永家・... | トップ | 「旦夕覺書」 鳥--5 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿