於豊前小倉御侍帳を見ると、五人の御家老衆につづき、十九人の頭衆の名前が並んでいる。
その中に「700石 細川七左衛門」とあるのだがこの人物がどのような人なのかが良くわからないままになっている。
細川を名乗っているから只ならぬ人だと思うのだが、長年の謎である。
福岡県史 近世史料編・小倉細川藩(二)を眺めていたら寛永七年三月十八日の項に次のようにあった。
細川七左衛門殿御舎兄出雲殿、江戸へ御通候ニ付而、七左衛門殿へ御寄候、乍次而御目見え仕度と被仰上ニ付而、
則被成御相候、左候而、出雲殿進物ハもうせん十枚・靎壱つ上被申候処、勘解由殿ゟ上り申御腰物壱つ被遣候事
七左衛門の兄・出雲なる人が江戸へ行くに当たり忠利に面会を申し入れ、受け入れられている。
進物が毛氈十枚・鶴が一つというからこれにも驚かされる。出雲なるお人、何処の何方、また弟・七左衛門ともども謎は解けぬままである。
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