津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

北関始末實記・・その10

2009-11-19 08:17:40 | 歴史
 源七ハ無程北ノ関ニ着藤田か旅宿を尋候而案内を申候得ハ取次之

 小姓壱人罷出御口上承らんと申又右之方ノ戸口より傍成者大脇差
 を差たるか近々と立出候て見て居候源七是ハ何分く勢者と存候
 無油断目を賦り口上を申す口上に者/前川勘右衛門申入候ハ只今
 是迄罷越候可申段惣老御出合候へ互に飛道具ハ相止メ鑓合にて可
 申談候為其使を以申入候/と申早速藤田返答に/是迄御出候由ニ而
 御口上致承知候早速罷出可申談候/と申源七即立帰る十左衛門者
 先き弥助か中途より帰りける意味を聞/源七壱人ニ而ハ無心
 元早速可被討五十里喜兵衛早々罷越源七切合候を見懸候候て
 夫に不構早々立帰り可申達/と申付差遣喜兵衛急参候に源
 七ハ使を仕舞帰候に彼切通しにて行逢打連て帰ける
 此時藤田か遠見走り帰り前川ハ上下弐拾人斗りと相見へ鑓弐
 本にて参ると申藤田聞て/何としてか勘右衛門か弐拾人にて
 可参鑓弐本も合点ゆかす道通りの者を見違たるらんと云乍

 去もはや近く成るらん立出て仕舞ハんと若黨五人小者三
 人にて立出る所に彼遠見者申候ハ/合点参らぬ事御座候ハ
 慥に鑓ハ弐本見へ申候是ハもし山名十左衛門殿なとかせ被に被参
 候にて無之候哉先程是に参候者ハ見知不申候得とも跡より又々
 使と見へて参たる者切通しのあたりにて最前の使に逢
 候而何やらん申談打連て帰候者ハ十左衛門殿之家頼五十里喜兵衛
 と申者私能く見知りたる者にて御座候慥二喜兵衛と見懸申候
 然者山名殿被参候故鑓弐本と見へ申候其上勘右衛門ニ而弐拾
 人程の供は有間敷候山名殿もともにと存候/由申候へハ其時助之進
 案に相違して/十左衛門か来るハ扨々思寄なき事/と大声にて
 のゝ志る縫殿之進是を最後と存候躰にて父に申候ハ/私儀ハ只今
 元服仕御供可仕候御供にて討死仕候に丸顔にてハ残念に存候
 男に成り安堵仕討死可仕/と申はさみにて前髪をはさミ切り振

 袖を取て口にくわへ脇差を抜て袖下を切捨たる小袖口
 ひら/\として手にさハりたれ共母に向ひ/只今是を急に
 御縫被成被下候へ/といふ母聞て/只今急にぬきかえよ着なから
 衣服を縫は忌むことなり門出にいかゝ/と云ふ縫殿之進申候ハ/
 いそかしき時節ぬき替るに不及只々此まゝにて御縫可被下候忌
 む事と被仰候へともそ連ハ平生の事亡者の経帷子を着な
 からぬふ物と承り候へは於私者死出の衣服の経帷子にて却而
 大慶に存候/といふ母なミたなからにこ連をぬふ縫殿之進ハ
 高笑して/元服仕男になりすまし母之御縫物の経帷子を
 着仕父の御供仕討死仕候太悦之至り是に過不申目出たし
 目出度し/とから/\と笑ひて罷立候急ニ立出て村はつれ
 より見れ者勘右衛門十左衛門はや件の切通しを打過き候而下ノ小川
 之はたに参る助之進ハ此切通しを又々取かためんと参りけれ共

 はや敵にこされすへきよふ鳴く左の方南ノ山際の段々畑に上り
 小川を見おろし壱匁玉之鉄炮各弐ツ玉を込メて膝台にかけ
 て控たり山名前川ハ切通しノ下小川のあなたより見れ者足場の悪
 敷段々畑に敵ハ打敷て控たれ者無理にかゝらん事城攻より者
 六つヶ敷千に一つも利あるましと見切て使を立ておひき出さんと
 する処に藤田方より使を立/是迄御出残暑の中御苦労ニ存候
 殊に十左衛門殿迄御加勢に御出と見懸我等為にハ面目ニて候
 早々是へ御越候へ可申談/と云を勘右衛門返答に/只今是より使差
 立候筈之処ニ御返事に罷出候夫へ可参候得とも此方か足場よく互
 に致能候間是へ御出候へ/と申遣藤田聞て/此方ニ恐れて寄り
 付すに夫より直に帰るかもはや帰レハとて帰すましきそ/と
 あさわらつて鉄炮の火繕りして扣居處に十左衛門より使を立
 て/此方へ被出候へ最前も申候通飛道具無用に候由申入候処に其

 處に其方は鉄炮相見えたり惣して飛道具ハ大敵を防く道具也
 然るに如此数丁之鉄炮ハ非強之仕方難心得候但し飛道具なし
 にハ此方に手向ひハ成申間敷と存候此方ハ飛道具なしに
 可参候其方どもの有様にてハ飛道具なしにハなられ間敷候/と
 申遣しけれ葉藤田父子大ニ立腹して/物をいはするな一々ニ
 打殺して捨てよ/とよ者ハつて段畑を飛おり小川の波をけ
 たてゝ討て懸る此時は廿三日申ノ中刻也 
 
             只今進捗率約55%、次回はいよいよ直接対決です。
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