これも押し入れの中から出てきた史料だが、「日本談義」に宇野簾太郎死の「肥後藩に於ける空前絶後の火炙りの惨刑」という一文がある。
なんとも読むのに耐えかねるような話だが、読んでいると寛永四年四月十六日のことだという。
当年25歳の役者で美男の松五郎が多くの女性をたぶらかして金品をだまし取ったうえ、挙句におけいという金持ちの老婆の家に放火して焼き殺した罪により「火炙りの刑」となったというものである。
この文章を読みながら私が所持する、処刑場の資料を見ていたら、全く日にちを同じくするものであった。
大意は処刑される人物がもし刑の前に死亡しても刑場に引き出して斬刑にせよとの達しである。今回はそうではないが病気であっても刑の執行を行うようにとの、御昇方への指示である。
熊本藩における刑の執行は御昇方の職務とされていた。
最新の画像[もっと見る]
- ■資料がまだ出来ていない 4日前
- ■「其方」とはどなた? 2週間前
- ■「其方」とはどなた? 2週間前
- ■江戸勤番に於いて死去すると・・・ 2週間前
- ■ヤフオクで勉強させて頂いております。 3週間前
- ■幽齋公の狂歌 3週間前
- ■幽齋公の狂歌 3週間前
- ■諏訪大社・神長官守矢主殿などに関する資料 4週間前
- ■藤崎宮御祭礼に付「殺生禁断」 1ヶ月前
- ■毛利秀士氏、今年度「荒木精之記念功労者」受賞さる 1ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます