津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■茶道を通して

2015-08-08 12:23:00 | 歴史

 ここ三四日、利休に関する本の事や、利休七哲の高山右近に関することなどを取り上げてきた。
その中でも書いてきたが、熊本に残された茶道「肥後古流」は利休正統の茶道を伝えているといわれている。
かって茶道研究家の磯野風船子氏が肥後古流の御点前をつぶさに御覧に成り、利休時代の古文書資料などと比較検討されて、まさに利休の御点前の形が伝承されていることを発表された。
利休死後の古田織部などの活躍に比べると、忠興は大変地味であり織部程の評価はない。それは「ゆがみ」に代表される織部の利休を超えようとする動きに反し、かたくなとも思える師利休の教えを守ろうとした姿勢にある。

古田織部は大坂夏の陣に於いて、織部自身が関与していたかどうかはよくわからないとされるが、その家臣が徳川家康・秀忠の命を狙い切腹を仰付られて自刃している。
ところが忠興はその織部の弟を細川家の茶頭として迎えるのである。
織部の弟であることをかくして妻の苗字・萱野氏を名乗っていた。
今は家元としての活動を止められているが、細川家三茶頭の内の一家・古田家がそうである。

歴史の巡り会わせは誠に不思議なものがある。茶道を通していろいろ眺めてみようと種々の資料を取り出している。
 

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