ノバク・ジョコビッチとピート・サンプラス グランドスラム達成への道 その3

2016年05月10日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 全仏オープンが苦手で、ついに一度も優勝できなかったピートサンプラスだが、彼が勝てなかったのはクレーが苦手という要素のほかに、もうひとつ問題があったと推測される。

 それは対戦相手に対して、心理面のアドバンテージを積み上げることができなかったこと。

 かつて将棋の世界で無敵を誇った大山康晴十五世名人は、「勝負に大切なことは?」との問いに、こう答えたという。

 「信用です」

 これこそが、サンプラスの敗因だったのではあるまいか。まさにピートには、クレーでの信用がまったくといっていいほどなかった。

 ここでいう信用とは人格のことではなく、その人の実力に対するそれ。

 たとえば、あなたが大会の1回戦でノバク・ジョコビッチと当たることになったらどうだろうか。

 まあ、普通に考えれば「しまった!」と思うだろうし、ゲンナリするだろう。くじ運悪すぎやろ、と。人によってはコーチに、「次の日の航空券押さえておいて」と伝えるかもしれない。

 こういう「信用」のある選手は楽なのだ。

 先にリードを奪えば「やっぱりな……」とむこうが勝手に戦意を喪失してくれるし、逆に善戦されても相手は最後まで、「この人相手に勝てるわけとか……」と疑心暗鬼とプレッシャーにさいなまれる。それをはねのけて金星をつかむのは、容易ではない。

 将棋の世界では「羽生ブランド」という言葉があり、羽生名人が指した手は、たとえどのような悪手疑問手に見えようとも(そして実際にミスでも)、対戦相手が、

 「あの羽生さんが、こんな悪い手を選ぶはずがない」

 「こちらが気がつかない、すごい返し技を用意して待ちかまえているかもしれない」

 などと勝手に深読みして消耗し、ときには自滅してしまうことがある。

 もちろん、そうなるのは他の局面で散々、

 「相手に悪手と思わせた手が、実は羽生以外誰も気づかなかった盤上この一手の絶妙手」

 という、はなれわざを、何度も演じてきているからだ。

 そのダメージとトラウマが、「あの時みたいに……」と次以降の対戦でも効いてくる。こういった格の違いを見せつけることが、「信用」を生むのだ。

 こうして、強いものはただでさえ強いのに、さらに「信用」の力でもって相手をすり減らしていき、戦わずしてますます勝利を積み上げる。まさに正のスパイラル。

 一方、「信用がない」もしくは「落ちた」選手は苦しい。

 かつて無敵の王者として君臨したロジャー・フェデラーは、一時期格下相手に取りこぼし、優勝が当たり前だったグランドスラムのベスト8くらいで止まってしまうという、深刻なスランプに見舞われていたころがあった。

 これは、肉体的精神的おとろえもさることながら、それにより「信用」がゆらいだことが大きかったのではなかろうか。

 全盛時代のロジャーはまさに史上最強だった。あらゆる相手にあらゆる大会で勝ちまくり、まさに独り舞台。すべての栄冠を独占する選手であった。
 
 それがラファエル・ナダルの台頭から少しずつ「常勝」とはいかなくなり、やがて「限界」「引退」の声もかしましくなっていった。

 ジョコビッチやマレーといった2番手集団の逆襲をゆるし、それどころかかつてならありえなかったような、無名の選手に不覚を取るケースもあった。

 そこで皆が感じはじめたのだ。

 「今のロジャーは強くない」と。

 スランプ時のフェデラーは困惑したことだろう。それまでなら、ネットをはさんでひとにらみすれば、すくみあがっていた対戦相手が、「あーん?」みたいな顔でにらみ返してくるのだから。


 (続く→こちら





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