前回の続き。
「受け将棋萌え」の私が注目する、永瀬拓矢五段が新人王戦と加古川清流戦で優勝してブレイクした。
この永瀬の受けというのがすごい。
同じ受けにしても山崎隆之のように、形が乱れてから剛腕を発揮するタイプや、木村一基のように、相手の攻め駒を責めるなど様々だが、永瀬のそれは恐怖の「受けつぶし」。
かつて無敵の王者として棋界に君臨した大山康晴名人は、その受けの力で戦力を根こそぎにして、相手の心をへし折る勝ち方を披露していたが、永瀬はまちがいなく大山の後継者。
勝又清和六段は
「怪物」
「とにかく異質の将棋」
と語り深浦康市九段も
「彼の受けの壁を突破するのは大変」
被害報告もあがっており、ある若手棋士も、
「三段リーグで指したけど、受けまくられて完封された。竜を二枚自陣に引きつけて、駒を全部取られそうになって、盤をひっくり返そうかと思うくらい腹が立った」
どうであろう、この言葉。
うっかり差をつけられると、そこに待っているのは恐怖の「根絶やし」である。
その「永瀬の受け」の恐ろしさを世にしらしめたのが、『将棋世界』誌における、ある企画。
「里見香奈 試練の三番勝負」
女流トップの里見香奈二冠と強豪棋士を戦わせるというもので、そこに一番手として登場した永瀬拓矢。
そこでのこの男の指し回しが、とんでもないものだったのだ。
戦型は、里見得意の石田流。
ちょっと気づきにくい手筋を見せて、突破口を開いた里見が、序盤で少しリードを奪う。
機敏な里見の仕掛け
ここは里見がさすがのセンスを見せたが、そこで離されないのが、プロの腕力。
差を広げるチャンスボールをひとつ逃すと、すかさずとがめた永瀬が盛り返し、形勢は逆転模様となる。
で、いったんリードを奪ってからの、永瀬の指し手が問題である。
再逆転をねらって、あの手この手とアヤをつける里見に、永瀬は受ける、受ける、受ける。
と金を寄ってあせらせる。ジリ貧を怖れて動いてきたところ、自陣に銀を打つ、金を打つ、下段の香を打つ。
受ける、受ける、受けまくる。
この香打ちから地獄の始まり
受け将棋といえば自陣飛車
しっかりと面倒を見る
友達をなくす金打ち
気がつけば永瀬陣は、金銀6枚で守られた堅陣と化していた。
一方、里見は飛車・角・馬の大駒三枚を持ちながら、まったく敵陣を突き崩すことができない。
そこからも永瀬は、端を攻められれば丁寧に対処していく。
敵の攻め駒を責める、自陣にもぐりこんだ竜を追い払う、と金を中段にじりじりと引く。
里見陣には目もくれず、ひたすらに攻めを切れさせようとする。
そうして、すべての手段を封じられ、まったく動かす駒がなくなった里見は、投了するしかなくなった。
最終の図面は、ひどい大差になっていた。
めまいを起こす投了図
まだ里見には手つかずの美濃囲いと、3枚の大駒が健在で、指し手だけならあと数十手は続けられそうだが、やってもみじめになるだけである。
まさに「全駒」(全部の駒を取られて完封負けすること)。いくらなんでも、こりゃあんまりだ。
何度見ても、血も涙もない、冷たい投了図である。これが永瀬流の「かわいがり」か。
こんなペンペン草も生えない「根絶やし」を目指してくる永瀬将棋が、果たしてプロの世界でも通用するのかというのは、大きな注目だった。
その答えはといえば、
「プロはそんなに甘くはない」。
永瀬の将棋は強かったが、本番になると相手も名うてのくせ者ぞろいであり、あの手この手で守備の網をかいくぐり、永瀬玉に襲いかかる。
デビューして数ヶ月、永瀬は思うようには勝てない日々が続いた。
ところが、プロの洗礼を受けたはずの永瀬が、突如勝ち始める。
きっかけは、棋風のシフトチェンジ。
これまで受け一辺倒だったのを、柔軟に攻撃型に変えたのだ。
ふつうは、棋風の改造というのは難しく、完成するまではけっこうな「授業料」を払うはめになるものだが、若者というのは伸びしろがあり、それに試さなかっただけで、もともと攻めも強かったのだろう。
このあっさりとの路線変更は見事に当たり、永瀬は18連勝の「連勝賞」を受賞。
加えて、新人王戦と加古川清流戦でダブルの栄冠に輝くこととなり、強豪ひしめく若手の中で、大きな存在感を示すことになった。
こうして一皮むけた永瀬であったが、私としては少々さみしいところもあった。
なんといっても受け好きの私は、永瀬のその鬼のディフェンスに注目していたのである。
それを勝てるとはいえ、攻め将棋になってしまうとは、それでは他の若手棋士と変わらないではないか。
ところがどっこい、永瀬の受けの血は攻めによって、単純に上書きされたわけではなかったのである。