クラスのイケてる男子と「なんでも笑う女の子」は恐怖の観客

2017年09月28日 | うだ話

 「あれ? シャロン君て昔、『とりあえず笑ってくれる女子』はありがたいって言うてなかったっけ?」


 先日、友人ハマデラ君と一杯やっていると、彼がそんなことを言い出したのである。

 ことの起こりは、少し前にここで書いたある記事。そこで私は、



 「イケメン美人を『退屈』と感じてしまうのは、彼ら彼女らに周囲が好意的に接するせいで、なにをやっても肯定される。ゆえに、ひねった考え方や発言をしなくなる」



 と分析し、どちらかといえば屈折屈託から生まれるアクロバティックな論理をおもしろがるタイプの私には、もうひとつ物足りないと結論づけた。

 男の場合、特に関西のモテ男子は取り巻きの女の子たちが、



 「イケてることを称えたくて、どんなつまらないギャグやトークでも爆笑する」



 ということをやってしまうため、全員が



 「オレには笑いのセンスがある」



 とカン違いし、他府県の人にウザがられるうえに、「男前特権」の効かないどころか逆効果になりがちな我々男子には、退屈どころか大迷惑なのだ。

 くわしくは→こちらを参照してほしいが、これを読んだ友は「まあ、こういうこともあるかもな」と苦笑いするとともに、ひとつの疑問も生まれたというのだ。



 「おいおい、キミ学生のころはいつも、『楽しく笑ってくれる女の子が一番や』言うてたやんけ」と。



 それはたしかに事実である。

 あっさり認めると、待て待て、今までの流れだとモテ男子が「ウケてる」と思い違いをするのは「なんでも笑う女子」のせいだと言っていたではないか。

 いわばこのテーマにおけるA級戦犯ともいえる存在で、どちらかといえばディスり気味だったくせに、おまえも結局、そんな連中に頼って人生送っとるんかい!

 などと、「イケてないチームの分際で生意気な!」といったお怒りを買いそうだが、そこはいったん落ち着いてほしい。これには深いわけがあるのである。

 学生時代、私は演劇をやったり自主映画制作を手伝ったり、落語の舞台に立ってみたりと、そういった活動をして遊んでいた。

 で、お客さんの前で首尾よくウケたり、はたまた「よど号」をハイジャックして、そのまま北朝鮮に亡命したくなるくらいに客席を凍りつかせたりしながら学んだひとつの真理がありまして、それというのが、



 「会場に男を入れるな。客は女の子に限る」



 これはもう、先輩後輩同期の桜問わず、みながみな身にしみて味あわされること。

 もしかしたら我が街大阪(関西)限定のかたよった法則かもしれないが、ともかくも全員一致で過激なフェミニストのごとく、



 「女万歳! 男ども退場せよ!」



 そうシュプレヒコールを上げるのである。

 その理由は簡単で、とにかく女の子は「笑ってくれる」から。

 というとやはり、



 「なんだよ、やっぱりなんでも笑ってくれる女がいいんじゃん。それって結局、顔がいいから笑ってもらってカン違いしてるイケメン君と同じでしょ」



 眉をしかめられそうだが、これがですねえ、そういうことでもないんですね。

 我々は別に「わかってもないけど、なんでもかんでも笑ってくれる」ことを欲しているわけではない。

 いやむしろ、そういう人は問題だったりするのは、お芝居をやっていたころの中島らもさんがキャーキャー言うだけの女の子に、



 「ちゃんと、お話も見て……」



 辟易していたように、ちょっといかんともしがたいものがある。

 周囲はどっちらけになるし、演者もどうしようもない気分にさせられる。正直なところ、ありがた迷惑なのだ。

 島田紳助さんも「紳竜の研究」(ものすごく勉強になるのでおススメです)という講義で、


 「キャーキャーいうファンはありがたいけど邪魔」

 「こいつらがオレらをダメにする」

 「笑わすのが簡単やから、ついついここを笑かしにかかる。そしたら終わり」


 そうハッキリおっしゃっているのだ。

 ではなぜにて我々は、その諸刃の剣ともいえる「女の子の笑い」を必要とするのか。

 その理由については次回(→こちら)に語ってみたい。



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