甲子園で「奇跡のバックホーム」を生で見たことがある。
というのが、ひそかなる自慢である。
先日、春のセンバツ出場校が発表されたが、甲子園といえば観戦もさることながら、過去の名勝負についてあれこれ語るのも楽しみのひとつだ。
私は現実の高校野球よりも、どちらかといえば野球マンガの方を好むタイプなので、地元大阪代表といえば大阪桐蔭や履正社よりも、南波か通天閣に御堂筋学院。
「延長18回の熱戦」といえば、箕島対星稜よりも、「出島対宮野農業」といったノリになりがちだが、縁あっていくつか、あれこれと語り草になる試合を観戦したこともあるのだ。
その試合とは、冒頭の「奇跡のバックホーム」といえば、高校野球が好きな人なら「ああ」とうなずいていただけるだろう。
そう、第78回大会。1996年夏の甲子園の決勝戦、松山商業対熊本工業。あれを球場で直に見たことがあるのである。
きっかけは野球好きの友人ハヤシ君に「甲子園行けへん」と誘われてのこと。ふだんなら1日に4試合みられる大会前半に行くのだが、このときはスケジュールの都合で決勝戦のみになった。
金払って1試合しか見れへんって損やなあと思ったものだが、これが思わぬケガの功名になるのだから、まったく人生とはわからないものだ。
試合は松山商の先攻ではじまった。
1回の表、熊本工業は決勝のプレッシャーからかピッチャーの制球が定まらず、押し出しなどで3点を献上してしまう。
熊本工にとっては痛い3点であったが、ここから持ち直して、試合は決勝戦らしい、しまった展開になっていく。
松山商も攻めるが追加点は取れず、一方熊本工は2回と8回にそれぞれ1点ずつ返して、じわりじわりとにじり寄る。
プレッシャーをかけられる松山商だが、そこはさすが決勝まで来たチーム。巧みな継投策で反撃を封じ、試合は9回の裏、二死でランナーはなしというところまで進むこととなった。
どうやら、このまますんなりと終わりそうだ。私とハヤシ君は「なかなかいい試合だったね」なんて言いながら、閉会式を見るか、それとも帰り道が混む前に一足早く出て飲みに行くかを相談していた。
われわれは3塁側の松山商業サイドの席で観戦していたのだが、そこに試合途中から、
「51回大会の、延長18回の試合の関係者の方はいらっしゃいませんか」
とダンボールに大書して歩いている男性がいた。
あの伝説の、三沢高校との延長18回の死闘のことだ。私も本で読んだことがある。太田幸司さんが、アイドルみたいにキャーキャー言われてたらしい。
松山商業のOBか、それともスポーツ記者なのかもしれないが、どちらにしてもその後集まって、打ち上げでもやるのであろうか。
もし松山商が勝ったら、どれほど盛り上がることか。9回になってもその男性はいたが、すでに優勝を確信しているように余裕の表情を見せていた。
そんなとき、ドラマが起こったのである。
夏の甲子園も、いよいよクライマックス。バッターボックスに向かうのは、1年生の沢村選手。
ここまで熊本工は2者連続三振と手が出なかったが、沢村は松山商業の2年生投手である新田の初球をフルスイング。
打球は私のいた3塁側スタンドの前をスーッと通って、レフトのポール近くに吸いこまれていった。
瞬間、なにが起こったのかはよくわからなかった。
というのも、スタンドインのその刹那、巨大な甲子園球場が一瞬、水を打ったように静まりかえったからだ。
いや、実際はそんなことあるわけがないし、今当時の映像を見直しても静寂などありえないのだが、体感では本当にスッと時が止まったように感じられたのだ。
なので私はファールだと思った。なんや、いい当たりやのにおしいかったなあと、グラウンドに目を戻して、なにかがおかしいことに気づいた。
沢村は2塁ベース付近を周りながらガッツポーズをしている。新田投手はマウンド上でペタンとへたりこんでいる。1塁側から割れんばかりの歓声。
そして、スコアボードの9回裏には「1」の文字。
ここでようやっと事態が把握できた。あの目の前の放物線は、ファールどころか、沢村が放った乾坤一擲にして起死回生の、同点ホームランだったのだ。
終わっていたと思った試合に、とんでもないドラマが待っていた。まったく油断をしていた。
よく「野球は筋書きのないドラマ」なんていわれるが、実際には試合をリードしている方が順当に勝つのがゲームというものである。筋書き通りなのだ。
希少価値があるからこそ、ことさら「筋書きのない」などと強調される。
そのドラマが、まさか目の前で起こるとは。ハラホレヒレ、こんなことって、あるの?
現金なもので、劇的と知ったあとになってみれば、あのホームランは今でも目に焼きついている。
カンという乾いた音とともに、吸いこまれるとしかいいようのない軌道を描いてスタンドに飛びこんだ。
俗に「アーチをかける」なんていうが、なるほどホームランというのは美しいものであるなあと、今さらながら知ることとなった。
これで3-3の同点でだが、流れからいえば圧倒的に熊本工業が有利である。
先も言ったが私は野球マンガが好きだ。その世界では9回2死からホームランで追いつくようなチームは、かならず逆転勝ちを収めるのだ。
もちろんまだ試合は終わってないが、少なくとも私が松山商業の選手なら、もうやる気をなくしていることだろう。
ここまで来てやり直しなんて、あんまりだ。とっとと家に帰りたいよ。
果たして、試合はまさかの延長戦にもつれこむこととなる。栄冠に手を触れかけたところで揺り戻された松山商業、一方押せ押せの熊本工業。
だが、勝負の神様はこの延長に、さらにすごいドラマを用意して我々をおどろかせることになるのだ。
(続く→こちら)
というのが、ひそかなる自慢である。
先日、春のセンバツ出場校が発表されたが、甲子園といえば観戦もさることながら、過去の名勝負についてあれこれ語るのも楽しみのひとつだ。
私は現実の高校野球よりも、どちらかといえば野球マンガの方を好むタイプなので、地元大阪代表といえば大阪桐蔭や履正社よりも、南波か通天閣に御堂筋学院。
「延長18回の熱戦」といえば、箕島対星稜よりも、「出島対宮野農業」といったノリになりがちだが、縁あっていくつか、あれこれと語り草になる試合を観戦したこともあるのだ。
その試合とは、冒頭の「奇跡のバックホーム」といえば、高校野球が好きな人なら「ああ」とうなずいていただけるだろう。
そう、第78回大会。1996年夏の甲子園の決勝戦、松山商業対熊本工業。あれを球場で直に見たことがあるのである。
きっかけは野球好きの友人ハヤシ君に「甲子園行けへん」と誘われてのこと。ふだんなら1日に4試合みられる大会前半に行くのだが、このときはスケジュールの都合で決勝戦のみになった。
金払って1試合しか見れへんって損やなあと思ったものだが、これが思わぬケガの功名になるのだから、まったく人生とはわからないものだ。
試合は松山商の先攻ではじまった。
1回の表、熊本工業は決勝のプレッシャーからかピッチャーの制球が定まらず、押し出しなどで3点を献上してしまう。
熊本工にとっては痛い3点であったが、ここから持ち直して、試合は決勝戦らしい、しまった展開になっていく。
松山商も攻めるが追加点は取れず、一方熊本工は2回と8回にそれぞれ1点ずつ返して、じわりじわりとにじり寄る。
プレッシャーをかけられる松山商だが、そこはさすが決勝まで来たチーム。巧みな継投策で反撃を封じ、試合は9回の裏、二死でランナーはなしというところまで進むこととなった。
どうやら、このまますんなりと終わりそうだ。私とハヤシ君は「なかなかいい試合だったね」なんて言いながら、閉会式を見るか、それとも帰り道が混む前に一足早く出て飲みに行くかを相談していた。
われわれは3塁側の松山商業サイドの席で観戦していたのだが、そこに試合途中から、
「51回大会の、延長18回の試合の関係者の方はいらっしゃいませんか」
とダンボールに大書して歩いている男性がいた。
あの伝説の、三沢高校との延長18回の死闘のことだ。私も本で読んだことがある。太田幸司さんが、アイドルみたいにキャーキャー言われてたらしい。
松山商業のOBか、それともスポーツ記者なのかもしれないが、どちらにしてもその後集まって、打ち上げでもやるのであろうか。
もし松山商が勝ったら、どれほど盛り上がることか。9回になってもその男性はいたが、すでに優勝を確信しているように余裕の表情を見せていた。
そんなとき、ドラマが起こったのである。
夏の甲子園も、いよいよクライマックス。バッターボックスに向かうのは、1年生の沢村選手。
ここまで熊本工は2者連続三振と手が出なかったが、沢村は松山商業の2年生投手である新田の初球をフルスイング。
打球は私のいた3塁側スタンドの前をスーッと通って、レフトのポール近くに吸いこまれていった。
瞬間、なにが起こったのかはよくわからなかった。
というのも、スタンドインのその刹那、巨大な甲子園球場が一瞬、水を打ったように静まりかえったからだ。
いや、実際はそんなことあるわけがないし、今当時の映像を見直しても静寂などありえないのだが、体感では本当にスッと時が止まったように感じられたのだ。
なので私はファールだと思った。なんや、いい当たりやのにおしいかったなあと、グラウンドに目を戻して、なにかがおかしいことに気づいた。
沢村は2塁ベース付近を周りながらガッツポーズをしている。新田投手はマウンド上でペタンとへたりこんでいる。1塁側から割れんばかりの歓声。
そして、スコアボードの9回裏には「1」の文字。
ここでようやっと事態が把握できた。あの目の前の放物線は、ファールどころか、沢村が放った乾坤一擲にして起死回生の、同点ホームランだったのだ。
終わっていたと思った試合に、とんでもないドラマが待っていた。まったく油断をしていた。
よく「野球は筋書きのないドラマ」なんていわれるが、実際には試合をリードしている方が順当に勝つのがゲームというものである。筋書き通りなのだ。
希少価値があるからこそ、ことさら「筋書きのない」などと強調される。
そのドラマが、まさか目の前で起こるとは。ハラホレヒレ、こんなことって、あるの?
現金なもので、劇的と知ったあとになってみれば、あのホームランは今でも目に焼きついている。
カンという乾いた音とともに、吸いこまれるとしかいいようのない軌道を描いてスタンドに飛びこんだ。
俗に「アーチをかける」なんていうが、なるほどホームランというのは美しいものであるなあと、今さらながら知ることとなった。
これで3-3の同点でだが、流れからいえば圧倒的に熊本工業が有利である。
先も言ったが私は野球マンガが好きだ。その世界では9回2死からホームランで追いつくようなチームは、かならず逆転勝ちを収めるのだ。
もちろんまだ試合は終わってないが、少なくとも私が松山商業の選手なら、もうやる気をなくしていることだろう。
ここまで来てやり直しなんて、あんまりだ。とっとと家に帰りたいよ。
果たして、試合はまさかの延長戦にもつれこむこととなる。栄冠に手を触れかけたところで揺り戻された松山商業、一方押せ押せの熊本工業。
だが、勝負の神様はこの延長に、さらにすごいドラマを用意して我々をおどろかせることになるのだ。
(続く→こちら)