「いい人だと思われたら終わり」と鈴木大介八段は言った 羽生善治vs森下卓 編

2017年02月21日 | 将棋・囲碁・ゲーム
 「勝負の世界は、いい人だと思われたら終わり」

 そう言い放ったのは、将棋の鈴木大介八段であった。

 前回(→こちら)はそこから、大山康晴名人の冷酷ともいえる勝負術について語ったが、この「いい人」問題に、また別の解答ともいえるものを出したのが羽生善治である。

 羽生は「いい人」である。

 もちろん私が羽生さんの人間性など知るよしもないけど、勝利や地位への執着や、それにまつわる威圧感やハッタリなど、勝負師に独特の「アク」のようなものが、一見感じられない。

 いかにも常識人というか。本当に、学校の先生や一流企業のサラリーマンなどをやっていてもおかしくない、ごくごく普通の男性に見えるのである。

 だが、羽生は「いい人」でありながら、単なる「いい人」ではない。

 そのことは、タイトル戦など大勝負に、ときおり見せる常人離れした執念や、ことさら相手にダメージをあたえるような負かし方など、様々なところにあらわれている。

 そして、それがもっともハッキリした形で出たのが、1989年の第48期順位戦最終局、対森下卓六段(当時)戦ではなかろうか。

 将棋界は順位戦という制度で、5つのクラスに分けられている。上から順にA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組。

 四段でプロデビューを果たした棋士はC2からはじまって、このリーグを勝ち抜きAクラスを目指す。A級で1位になると名人挑戦権を得られる。

 要するに、名人挑戦を決定するリーグ戦なのであるが、実をいうと順位戦のその本質はそこにあるわけではない。

 今はそうでもないらしいが、かつては棋士の内外での収入、ステータス、シード権、ときには棋士総会での発言権など政治的力、あらゆる面でこのクラスの差がものをいったという。

 たとえば、クラスがひとつ上がると給料から対局料その他ギャランティーが3割アップするし、下がると当然3割ダウン。

 それ以上に、棋士としての「格」ががくっと落ちる。

 また、この過酷なリーグは風通しの悪さも手伝って、才能ある若手でもかなりの苦労を強いられる。デビュー以来ほとんど挫折のない羽生ですら、C2からB2までは1年ずつ足踏みしているし、森下もC2時代の5年間を「地獄の日々だった」と回想している。

 ましてや凡百の棋士では、ひとつ昇級するだけでもその後の人生が大きく変わる(生涯収入だけでも数千万といわれている)。ある棋士はこんなこともいった。

 「C2からの脱出切符は、仮に1億円出すといってもゆずってくれる人はいないだろう」

 それくらいに、きびしいシステム。戦後すぐに作られた制度なので、今ではいびつな部分も多く賛否両論あるが、そのかたよりゆえにドラマチックな側面もあるといえようか。

 その最終戦で、羽生竜王(当時)は森下六段と顔を合わせることとなった。

 このふたりはもともと因縁が深く、少年時代から将来を嘱望され名人候補とうたわれたが、直接対決においては森下は羽生に痛い目に合わされ続けていた。

 森下がその実力にもかかわらず、いまだタイトル獲得がないのは「棋界の七不思議」と言われていたが、その原因のひとつに羽生という大きな壁があったのだ。

 そして、この順位戦でもふたりは、またもや作ったような大一番を戦うこととなる。

 順位戦の最終局というのは、それだけ見ても大きな勝負だが、この対戦はさらにややこしくもドラマチックな要素が加わっていた。

 まず、羽生はすでに9戦全勝で、B2昇級を決めていた。

 前年度、ベテラン勢の「技」にかかってまさかの次点を食らったが、ここは格のちがいを見せた。さすがである。

 一方、森下も8勝1敗で2位につけていた。C級1組は総勢30人ほどで行われ、上位2名が昇級する。だが、競争相手の土佐浩司六段が7勝2敗で追っており、まだ決定ではない。

 整理すると。1位は羽生で、これは決まり。

 残るは2位争いだが、最終局に森下が勝てば文句なく昇級。負けると土佐にチャンスが回ってきて勝てば逆転昇級。もし土佐が負ければ、仮に森下が負けても森下昇級。

 レース展開は、森下が有利。いわゆる「4分の3」というやつだ。

 だがひとつ問題なのは、最終戦が羽生だということ。

 勝てば決まり。ただし、相手は最強の男。

 そして、もうひとつ因縁なのは羽生と森下は、ふだんプライベートでは仲がよい友人同士だということだ。

 昇級がかかった順位戦最終局。友人でライバル同士の激突。

 かたや人生のかかった一番、かたや勝利はすでに手にして消化試合。

 二重にも三重にも因縁がからみあうこの血涙の一番はどのような結末をむかえることとなるのか。

 

 (続く→こちら



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