ティム・ヘンマンとアンディー・マレーの使命 その3

2012年07月15日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 引退したヘンマンに代わって、ウィンブルドン地元優勝の期待を背負ってあらわれたのが、アンディー・マレーであった。

 彼はジュニア時代からなかなかの活躍を見せており、コアなテニス雀からはすでに目をつけられていた。この少年こそが、「ポスト・ヘンマン」の座をになうのだ。

 2005年にデビューしたマレーは、ウィンブルドンでの爆発はまだだったが(それでも4回戦、ベスト16までは勝ち上がっている)、18歳でツアー初優勝を果たすなど、着実にランキングをあげてトップ選手に食いこんでいく。

 そして2008年、マレーは大きな飛躍を遂げることになる。ウィンブルドンではベスト8。そして、USオープンでは初のグランドスラム大会決勝進出。

 それぞれナダルとフェデラーの当時「2強」にはね返されたが、マレーがそれに次ぐ実力の持ち主であることは充分に証明された。ランキングも2位をマーク。

 2010年では、オーストラリアン・オープンでも決勝に進出。ここでもフェデラーに一蹴されたものの、2011年も再びファイナルに上がってくる。

 ここでもノバク・ジョコビッチに完敗したが、彼らに並んで「4強」と呼ばれる力を認められることとなった。

 あと必要なのは、グランドスラムのタイトル。できればウィンブルドンだ。そして彼は、おそらくは地元の声援なしでも勝つことのできる、真の力を持った選手であった。

 その想いは、彼自身や英国民、そして世界のテニスファンも同じであったろう。その期待に応えて、彼はウィンブルドンで準々決勝の壁を破る。2009年で、このときはロディックとの準決勝「アンディ対決」に接戦末敗れた。

 そこから彼は4年連続でベスト4に進出するが、ラファエル・ナダルの壁が厚く、決勝への道は遠かった。

 そう、ティム・ヘンマンにとって芝の王者ピート・サンプラスがいたように、アンディー・マレーにもまたロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチという強力なライバルがいた。

 ましてや、この場合のライバルがどれも「テニス史上最強」と呼ばれてもおかしくない、規格外のバケモノばかり(3人が別に時代に生まれていたら、「だれが最強か」議論は果てしなく盛り上がることだろう)。そう簡単に決勝へは行かせてくれないのだった。

 だが、その忌まわしいくびきを解きはなったのは、さすがはマレーであった。

 今年の大会は、第2シードで2度優勝もしているラファエル・ナダルが、2回戦でまったくの無名のルカシュ・ロソルにまさかの大アップセットを食らって姿を消したことも手伝って、準決勝では強敵ジョー・ウィルフリード・ツォンガを破り、ついに、ついに悲願の決勝へと駒を進めたのだ。

 これには英国民だけでなく、世界中のテニスファンが拍手を送った。

 76年の長きにわたって、地元選手の優勝がない。これはいわば、日本でいえば大相撲で何十年も日本人横綱が誕生しないようなもの。

 オリンピックの柔道でメダルが取れないようなもの。そう想像してみると、気の遠くなるような長い時代をイギリス人は耐え忍んできたことになる。

 運命の決勝戦。待ち受けていたのは、復活をかけるロジャー・フェデラーであった。

 マレーが絶対に勝ちたいことは、ここまで書いてきたことから少しは伝わったと思うが、フェデラーもまた、この一番にかける想いは負けずに大きかった。



 (続く)



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