井山七冠フィーバーにそなえて、石井邦生『我が天才棋士・井山裕太』を読んでみました

2016年01月28日 | 

 石井邦生『我が天才棋士・井山裕太』を読む。

 ここ数年、囲碁界の話題といえばもっぱら「井山裕太、夢の七冠王なるか」に集まっていた。

 2年前、井山裕太は棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖の六冠を保持し、七冠への道を着実に歩みつつあった。

 ところが、勝負の世界はそんなに甘いわけでもないようで、最後に残った十段戦の挑戦者決定戦で高尾紳路九段に敗れ、その後も天元と王座を失い四冠に後退。一時は試合終了かと思われた。

 さらには棋聖戦で山下敬吾挑戦者に出だし3連勝しながら、そこから3連敗して剣が峰に追いこまれたときは、七冠どころかここからずるずる落ちていくのではと心配されるも、第七局をしっかり勝って防衛すると、そこから本因坊、碁聖、名人をたてつづけに防衛。返す刀で王座戦、天元戦も挑戦者になり奪取、見事六冠に復帰。

 そしてとうとう、先日の十段戦の挑戦者決定戦を制し、七冠制覇が現実のものとなりつつある。最後の刺客である伊田十段を倒せば(と今行われている棋聖戦を防衛すれば)、ついにドラゴンボール、じゃなかった囲碁界の七大タイトルがすべて一人の男のもとに集まることとなるのだ。

 となれば、おそらくは世間で「井山フィーバー」が起こることはまちがいあるまい。2年ほど前から囲碁を覚えはじめ、テレビの『情熱大陸』などで特集されているのを見て井山ファンになってしまった私だが、ここは飲み屋などでも、

 「まあな、井山も最近はがんばっとるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」

 などとブイブイいわせられるよう石井先生の本を手に取ってみることにしたわけだ。

 本書はそんな井山君の少年期からトップ棋士になるまでの経緯を、師匠である石井邦生九段がつづったもの。一読これでもかと伝わってくるのは、とにかく師匠である石井九段の弟子に対する深い愛情。

 タイトルからして、ふつうに読めばスポットを浴びるのは当然のこと井山棋聖であるはずだが、実際にページを繰ると、そうじゃなくて、主人公は間違いなく著者の石井先生。
 
 なんたって、本人自らが、

 「親バカならぬ師匠バカだが」

 と、何度も書くくらいに、弟子の井山君を溺愛しており、しかもそれを隠そうともしないのだからむべなるかな。

 テレビの『ミニ碁一番勝負』で、当時まだ6歳(!)の裕太少年と出会ってから、弟子にするといっては

 「この天才を、自分なんかが預かっていいのか」
 
 と悩み、家が遠いといえば知恵を絞ってネット碁と電話で指導対局をし、プロ入り後も裕太君の大一番ともなれば自分の対局中でも気もそぞろ。

 終局と同時に検討もそこそこに弟子の対局を見に行き、勝てば祝杯をあげ、負ければやけ酒を飲む。

 果ては、井山君が名人戦で張栩名人に惜敗したときには、傷心の弟子の心中を思うとかわいそうで仕方がないと、なんと大盤解説場でお客さんの前で涙を見せるという。

 もう全編を通して、

 「もうな、ウチの裕太がかわいいてしゃあないねん!」

 という、裕太ラブラブパワーが全開。

 でもって、そんな石井先生がかわいすぎるという、タイトルから想像できる「天才棋士井山の軌跡」というよりも、どう見ても読みどころが「孫をかわいがるおじいちゃん萌え」な一冊なのである。もう、BGMは大泉逸郎で決まりですなあ。

 もう読み進めながら、

 「石井先生、理想の老後を送ってはるなあ」

 なんだかうらやましいような気持ちにもなるわけだが(いや、石井先生はまだ現役の棋士なんですが)、もちろんのこと石井先生も自分のことばかり書いているわけではなく、中身的にはこれからの囲碁界をリードしていく井山裕太という男の幼少期の興味深いエピソードも盛りだくさんなのである。


 (続く



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