トム・スタンデージ『謎のチェス指し人形「ターク」』を読む。
1770年の春の日、オーストリア=ハンガリー帝国を統べる女帝マリア・テレジアの前に不思議な見せ物が登場した。
宮廷の上級官吏ヴォルフガング・フォン・ケンペレンが作ったそれは木製の飾りキャビネットと、その後ろに腰をかけている等身大の人形でできたもの。
「ターク」(「トルコ人」の意)と呼ばれたその人形は、エキゾチックなトルコ風衣装を身にまとい、中を開けるといかにも機械然とした歯車やレバーなどが見える。
「彼」は機械人形である。ケンペレンがネジを巻くと手が動き目をギョロリとさせたりする機能があり、それだけでも充分に見せどころだが、この機械はそれ以上に驚くべき特技を持っていた。
そう、「彼」はチェスを指すことのできる機械人形だったのだ。
この「チェス指し人形ターク」は18世紀のヨーロッパで、ちょっとしたセンセーションを起こす。
当初はケンペレンのちょっとした手遊びのつもりだったはずが、
「あれは本物なのか」
「いや、なにかトリックがあるにちがいない」
その正体について、皆がかまびすしい。探偵小説的興味やゴシップ趣味も手伝って、巷の話題を一手にさらったのである。
今も昔も欧米ではチェスは「知性の象徴」といわれているが、そうなれば「機械と一番、お手合わせ願いたい」という名人上手がでてくるのも当然の帰結。
だがこの「ターク」は思っていた以上に手強く、マスタークラスのプレーヤーを次々と破っていく。やがてその噂を聞きつけた、皇帝ナポレオンやベンジャミン・フランクリンをも引きつけることに。
果たして、「ターク」は本当に知性を持った機械なのか、それともケンペレンと、その後を引き取って興行を打ったヨハン・メルツェルは希代の大詐欺師なのか、謎が謎を呼び、ついに明かされる真相とは……。
チェスの歴史をさかのぼっていくと、この「ターク」の存在というのは避けては通れないところである。
機械人形がチェスを指す。
というと、今の目で見れば、カスパロフ対ディープ・ブルー、将棋の電王戦、アルファ碁の衝撃などが思い出されるが、コンピュータのコの字もない当時では、
「んなアホな」
という話であり、
「どうせ、人が入っていて操作してるんだろう」
なんてイカサマを暴くべく「謎解き」に血道をあげる者もいたものだが、「チェスのできる機械があってもおかしくないぞ」という声の方も、なかなかに多かったそうだ。
実際「ターク」は多くの知識人が挑みながらも、長きにわたってその謎を守り通した。正体については本文を読んでいただくとして、こういう本を読むといつも思い知らされるのは、
「歴史というのは、つながっているんだなあ」
という、当たり前だけど案外とふだんは見落とされがちな感慨だ。
この「ターク」事件は、のちに大きな、現代にもつながっている二つの文化的うねりを作り出すこととなったのだから。
ひとつは、「人間対機械」の知能対決であり、今、将棋界を大いにゆるがしている「事件」にも波及することとなる。
そしてもうひとつは、私も愛するある文芸ジャンルが、この謎の人形から生まれたことにある。
(続く→こちら)
1770年の春の日、オーストリア=ハンガリー帝国を統べる女帝マリア・テレジアの前に不思議な見せ物が登場した。
宮廷の上級官吏ヴォルフガング・フォン・ケンペレンが作ったそれは木製の飾りキャビネットと、その後ろに腰をかけている等身大の人形でできたもの。
「ターク」(「トルコ人」の意)と呼ばれたその人形は、エキゾチックなトルコ風衣装を身にまとい、中を開けるといかにも機械然とした歯車やレバーなどが見える。
「彼」は機械人形である。ケンペレンがネジを巻くと手が動き目をギョロリとさせたりする機能があり、それだけでも充分に見せどころだが、この機械はそれ以上に驚くべき特技を持っていた。
そう、「彼」はチェスを指すことのできる機械人形だったのだ。
この「チェス指し人形ターク」は18世紀のヨーロッパで、ちょっとしたセンセーションを起こす。
当初はケンペレンのちょっとした手遊びのつもりだったはずが、
「あれは本物なのか」
「いや、なにかトリックがあるにちがいない」
その正体について、皆がかまびすしい。探偵小説的興味やゴシップ趣味も手伝って、巷の話題を一手にさらったのである。
今も昔も欧米ではチェスは「知性の象徴」といわれているが、そうなれば「機械と一番、お手合わせ願いたい」という名人上手がでてくるのも当然の帰結。
だがこの「ターク」は思っていた以上に手強く、マスタークラスのプレーヤーを次々と破っていく。やがてその噂を聞きつけた、皇帝ナポレオンやベンジャミン・フランクリンをも引きつけることに。
果たして、「ターク」は本当に知性を持った機械なのか、それともケンペレンと、その後を引き取って興行を打ったヨハン・メルツェルは希代の大詐欺師なのか、謎が謎を呼び、ついに明かされる真相とは……。
チェスの歴史をさかのぼっていくと、この「ターク」の存在というのは避けては通れないところである。
機械人形がチェスを指す。
というと、今の目で見れば、カスパロフ対ディープ・ブルー、将棋の電王戦、アルファ碁の衝撃などが思い出されるが、コンピュータのコの字もない当時では、
「んなアホな」
という話であり、
「どうせ、人が入っていて操作してるんだろう」
なんてイカサマを暴くべく「謎解き」に血道をあげる者もいたものだが、「チェスのできる機械があってもおかしくないぞ」という声の方も、なかなかに多かったそうだ。
実際「ターク」は多くの知識人が挑みながらも、長きにわたってその謎を守り通した。正体については本文を読んでいただくとして、こういう本を読むといつも思い知らされるのは、
「歴史というのは、つながっているんだなあ」
という、当たり前だけど案外とふだんは見落とされがちな感慨だ。
この「ターク」事件は、のちに大きな、現代にもつながっている二つの文化的うねりを作り出すこととなったのだから。
ひとつは、「人間対機械」の知能対決であり、今、将棋界を大いにゆるがしている「事件」にも波及することとなる。
そしてもうひとつは、私も愛するある文芸ジャンルが、この謎の人形から生まれたことにある。
(続く→こちら)