一神教を理解には、橋爪大三郎『ふしぎなキリスト教』と東直巳『ライダー定食』を併せてどうぞ

2018年02月23日 | 
 「食い合わせが悪い」ものというのがある。

 うなぎに梅干し、天ぷらにかき氷と特段根拠はないというが、気にする人は気にするものである。

 私も昔、昼ご飯を食べながらヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んでいたら、あまりにくらーい内容に、せかっくおいしくいただいていたアツアツのマカロニグラタンが、すごーく不味くなってしまい閉口したことがあった。

 食事のおともに、青春の蹉跌的陰気くさい文学は合わない。

 こないだ食い合わせが悪かったのは、宗教と納豆。

 といっても、なんのこっちゃわからないであろうから、ここに説明すると、先日『ふしぎなキリスト教』という本を読んでいた。

 社会学者の大澤真幸氏が、橋爪大三郎氏に質問をぶつけるという形で、キリスト教について解説していくというもの。

 内容的にはおもしろいのだが、本域のキリスト教徒からすると「間違いだらけ」「的はずれもはなはだしい」と、ネットの書評などで悪く書かれているケースもある。

 私はキリスト教徒ではないので、そこまで間違っているのかは判断できないし、個人的には橋爪先生がそんないいかげんな人のようには思えないけど、どうも怒ってる人は多いようだ。

 自分自身、将棋やテニスなど、そこそこ深くファンをやっているジャンルだと、専門でない媒体や、そんなにくわしいわけでもない著名人が取り上げてくれた際、たとえそれが好意的であっても、

 「うーん、そこはちょっとちゃうなあ」

 と感じることも多いから、クリスチャン側が(そこまで厳しく批判するかどうかは別にして)違和感をおぼえる気持ちも理解できなくもない。

 要するに、「オタクは専門分野に関して口うるさい」というのは、ジャンルを問わないということか。

 だが、それを置いてもこの本には正しい間違っている以前に、

 「本として、ものすごーく、おもしろい」

 という圧倒的なアドバンテージが存在するわけで、たぶんそんじょそこらの「正しい」宗教本よりも、読破率は相当高いはず。

 そこが、考え方のわかれるところだ。

 「正しいが、いまひとつおもしろくない」

 と、

 「多少、間違っているかもしれないけど、かなりおもしろい」

 を天秤にかけると、これは後者の方が支持を集めることが存外に多いのだ。

 かくいう私も、どっちかといえばそう。特に、初心者は正誤よりも「とっかかりがいい」ことが大事だし。

 事実関係については、そこから自分で勉強して修正していけばいいけど、最初が「正しいけど退屈」だと、次のステップがない。

 といっても、「まちがい」の部分があまりヒドイと、そこからもずっとその「まちがい」を前提に思考してしまい、ときには「おもしろさ」を優先するあまり、「トンデモ説」にかたむいてしまったりすることもあり、それはそれで問題である。
 
 橋爪先生の場合、そこまでの心配はないにしても、まあ、こういうことは何事も一長一短であり、世の中あちらを立てれば、こちらが立たないのが世の常。

 そんなわけで、本題のキリスト教よりも、

 「教養とエンターテイメントの両立の難しさ」

 みたいなことを考えさせられてしまった読書体験であったが、次は気分を変えて楽しい物語を読もうと、東直巳『ライダー定食』を手に取った。

 東直巳さんといえば、『探偵はバーにいる』など、ススキノ・ハードボイルドのイメージが強いが、この本はそんな固茹で卵なものとは全然ちがう、「奇妙な味」というか幻想小説というか、実に摩訶不思議な短編がそろっていて、ちょっと驚いた。

 中でも、「納豆かき混ぜ専用の箸」を主人公にすえた、『納豆箸牧山鉄斎』がもんのすごくバカでおもしろくて、もうハラホレヒレと目を回しながら読んでいた。

 こりゃ、2冊連続で当たりを引いたなとよろこんでいたのだが、あにはからんや、なんとこれが食い合わせが悪い2冊だったのである。


 (続く→こちら




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