1995年 第18回三段リーグ最終日 「中座飛車」「横歩取り△85飛車戦法」が消える日

2024年05月20日 | 将棋・雑談

 中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」

 

 「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。

 そこで、先日は中座流の第1号局と、野月浩貴四段の「翻案」がなければ、そのまま「ボツ戦法」になっていた可能性が高かったという話をした。
 
 もしそうなったら、将棋界の勢力図はどうなっていたのか。
 
 個々の実績まではわからないが、少なくとも、後手番勝率に相当な影響をあたえたことは確かであろう。
 
 そんな、きわどいところで消滅をまぬがれた中座飛車だが、実はもうひとつ「実存の危機」にさらされた出来事があったのだ。

 それが1995年の第18回三段リーグ。その最終日の出来事。
 
 16回戦を終え、残るは2戦と、いよいよ大詰めをむかえていた。

 昇段圏内にあったのは12勝4敗堀口一史座三段(順位1位)と同じく4敗野月浩貴三段(14位)。

 この2人までが自力で、3番手藤内忍三段(23位)が、やはり4敗で追走。
 
 以下、順位上位で中座真三段(6位)、今泉健司三段(11位)が5敗

 木村一基三段(3位)が6敗で、藤内以下がキャンセル待ちという展開。
 
 順位1位の堀口は、1勝すれば決まりだから相当有利だが、それ以降は混戦気味。
 
 というのも、5敗以下の3人は複雑に当たり合っており、まずラス前今泉木村

 最終戦では、やはり今泉中座がそれぞれ直接対決なので、勝てばそのまま待ち順が上がることに。

 つまり、キャンセル待ち3番手の今泉は、実質2番手

 4番手の木村は3番手になるので、実際の順位以上に希望が持てる展開ではあるのだ。
 
 まずは17回戦で、ここで堀口が勝って1枠は順当に決まり。
 
 堀口はこの期安定しており、ここは予想できたが、残りのひとつに波乱があるのは三段リーグのお約束

 中座は勝利するも、野月藤内が敗れてしまう。

 特に野月はその前の15回戦にも敗れており、痛すぎる連敗

 これにより、中座はついに心臓を売ってでも欲しかった「自力」の権利を手に入れるが、他の対局は気にしないと決めていたため、まだ細かい順位のアヤはわかっていなかった。
 
 そうして最終戦

 目の前の対局に必死な中座は、ともかくも今泉との直接対決
 
 他は知らねど「勝てば四段」と、そしてもっといえば「奨励会最後の対局」として挑んだ今泉戦だったが、中座はこの大勝負を落としてしまう。
 
 といってもこれは、中座が勝負弱かったとは思えない。
 
 棋譜を見ればわかるが、この将棋は今泉が強すぎた。異様な強さだった。
 

 


 
 
 中盤戦。玉が固くを好所に据えて、今泉に勢いがある。
 
 次の手が、当然とはいえ好手だった。
 
 
 
 
 
 
 ▲48香と打つのが、△46桂を消しながら、後手玉のコビンにねらいをつけた、すこぶるつきに感触の良い手。
 
 そこからも、今泉はひたすらに攻め続けた。
 
 凶暴で荒々しく、なにかに憑りつかれたような強さだった。
 
 


 
 
 

 この勝負、実は最終戦の「決戦」に見えて今泉にとってはそうではなかった。
 
 ラス前に木村との直接対決に敗れて、すでに昇段の目はなくなっていたのだ。
 
 もし木村に勝っていれば、「勝った方が四段」という大勝負のはずの中座戦が、まさかの消化試合に。
 
 その脱力感と、自らのふがいなさへの怒りが、そのまま指し手に表れているようだった。
 
 一方の中座もまた、地獄にたたき落とされていた。
 
 必敗の将棋を、けじめをつけるかのように1手詰まで指して投げたが、だからと言って、なにが変わるわけでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 実のところ中座はこのとき25歳で、あと1回リーグに参加する権利を残していたが、この期に上がれなければ、奨励会をやめると決めていたのだ。

 そして、最後の最後に手にした「勝てばプロ入り」という一番を落とした。

 あまりにも皮肉な結末だった。

 「帰ろう」と連盟を出ようとしたとき、だれかが声をかけたという。
 
 


 「中座くん、まだ昇段の目があるよ」



 
 中座自身、すべての状況を把握していたわけではないが、おそらく自分に勝った今泉が上がったのだろうと思いこんでいた。
 
 だが、今泉はすでに敗れており、野月藤内17回戦を落とした。
 
 最終戦で5敗の野月、藤内、そして上位6敗木村が敗れれば中座がまさかの昇段
 
 目は相当に薄い。だが、ありえないほど非現実的でもない。
 
 このときの中座は煩悶したという。
 
 自分が上がるには、競争相手が負けてくれるしかない。
 
 だが、彼らに対して「負けろ」と願うには、25歳の中座はあまりに奨励会の、いやさ三段リーグの苦しさを知りすぎていた。
 
 中座の同期である先崎学九段は、彼の昇段パーティーに出席したときの模様を『将棋世界』連載のエッセイで書いていた(改行引用者)。
 
 


 中座君はイイ男である。真面目で、誰からも好かれる。
 
 だから生き馬の目を抜くような奨励会では勝ち上がれないだろうと思っていた。



 
 この土壇場で、自分の幸せと他者のそれとを秤にかけてしまうような「イイ男」は、勝負の世界では苦戦を余儀なくされるということだ。
 
 祈ることもできず、かと言って期待することも、やめられなかったろう状態で、待つしかない中座に結果が届く。

 自力の権利を得た三段達が次々と星を落とし、中座の昇段が決まった。
 
 この瞬間、中座が崩れ落ちたのをカメラが激写している。

 

 

 

 

 

 こうして中座真四段が誕生した。
 
 もしこのとき、もし順当に中座が上がれなければ、多くの棋士の人生を変えた「△85飛車戦法」は世に出なかった。

 

 

 いやそれどころか、中座と言えば奥様が女流棋士の中倉彰子女流二段(現在は引退)なのは有名であるが、もしここで野月3連敗しなかったら。

 藤内2連敗しなかったら、木村今泉がその実力通り最終日に勝っていれば……。

 そのどれかひとつの条件が発動するだけで、この2人はまったくの人生を歩んでいたかもしれない。

 以前、将棋関係の記事で、中座家の家族写真を見たことがある。

 それはとても微笑ましいものだったが、この写真が成立するのは単純計算で128分だか、256分だか知らないが、その程度の確率でしか、ありえなかったのだ。

 われわれの普段感じている喜びも悲しみも、本当に紙一重で成り立ってるんだなと、こういうとき感じる。 

 
 


 (このとき涙を呑んだ木村一基が1年後昇段し、大爆発する様子はこちら

 (豊島将之三段が驚嘆した稲葉陽三段の精神力はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)
 
 
 

コメント (6)
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