続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『記念日』

2015-04-25 06:48:26 | 美術ノート
 室内いっぱいに置かれた岩石。
 入れること自体に無理がある、岩石の重さを想像したなら床さえも抜け落ちてしまう、そういう巨大な岩石である。

 ・・・のように見える。

 部屋はミニチュアだろうか、岩石は拡大鏡で描いた物だろうか。
 岩石は異質な模造物である可能性も否定できない、たとえば立体を持たない単なる一枚の描かれた絵であるとか。

 しかし、ここではあくまで部屋いっぱいの動かしがたい巨大な岩石としての提示、主張である。
 部屋という人間の英知の結集に、岩石という自然の無機物が等しい大きさをもって存在している。岩石を『無/無意味』といえば、有機質である人間の空虚の暗示になる。人が持つと想像している英知は、人が抱え持つ空虚の質量に等しいということかもしれない。

 地球はいわば岩石の塊であってみれば、部屋に象徴される英知など、一溜まりもなく崩壊されてしまう。鑑賞者は目の前の巨大な岩石に対し畏怖の念を抱かざるを得ない。岩石に襲われたら人は死を免れないが、人の英知が岩石(災害)を取り込むことが可能ならと、希望的観測を図る。

 岩石に象徴される自然(地球)と、部屋に象徴される英知(人類)との引くに退けない闘いである。しかし、岩石の持つ億年の歴史と人類の浅い夢の結晶は闘う以前の問題かもしれない。にもかかわらず、人は挑み続けている。


 部屋(人間の英知)のなかの巨大な岩石(自然もしくは大地/地球)は、鑑賞者に問う。
《お前たちは何ものぞ》と。
 人類の英知が岩石(自然)への脅威を取り込んだと(あるいは同等だと)錯覚した時代への警告!その記念日ではないか。(写真は国立新美術館『マグリット展』カタログより)

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