続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『罠』

2016-07-14 07:14:21 | 美術ノート

 『罠』
 (木と金属でできたコートかけを床に釘づけにしたもの)という説明。

 ほんらい床にあるべきでないものを床に設置する。「ここでは不都合である」と、移動を試みても動かない。
 使用すべき価値を失った現場に釘づけにされ、本来の場所へ戻る術を奪われている。

 意味の剥奪である。
 本来の目的を見いだせないまま床面に放置された物体は、単に障害物でしかない。
 考えられた物が、物自体に変化はないのに、考えられないものに変移する。

 正しくここにある物は、人の思考を迷路に誘う『罠』が仕掛けられている。
 この物の用途を知りえた人の目には、状況は奇異に映るばかりである。有効となる(しかるべき位置)に置くべきであるという心理に基づき(動かそう)という気になるかもしれないが、意図(企み)をもって釘づけされたこの物は不動である。

 ここには絶対という無理・困惑があり、絶望…望みなしの状況である。
 プラスの手段を持つ物が、場所を違えることでマイナスの条件を付加される。この実態はイメージを喚起させず、心理的負担を重くするのみである。

(なぜだ、なぜここにある?)という疑問は鑑賞者をマイナスのスパイラルに陥れるのではないか。即ち『罠』である。


(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)


『銀河鉄道の夜』370。

2016-07-14 06:43:50 | 宮沢賢治

(こんなしづかないゝとこで僕はどうしてもっと愉快になれないのだらう。どうしてこんなにひとりさびしいのだらう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、ぼくといっしょに汽車に乗ってゐながらまであんな女の子とばかり談してゐるんだもの。僕はほんたうにつらい。)


☆僕(わたくし)に由(よる)、開かれる目(ねらい)の記は、赦(罪や過ちを許す)情(心の動き)を叙べている。
 詞(ことば)を団(ひとまとめにする)目(ねら)である。


『城』2375。

2016-07-14 06:30:04 | カフカ覚書

ソルティーニは、ああいうやりかたで橋をかけようとしたのですが、ほかの人だったら、またべつなふうにするかもしれません。わたしたちは、みなお城にぞくしているのだから、格差なんかまったくなし、橋をかけなくてhならないようなこともないのだ、とよく言われます。


☆ソルティーニは、このような方法を試みたのですが、先祖の他の人たちだったら別の方法をとるかもしれません。わたしたちは、みんな終末(死にいく手前)に属しているのだから差異など全くないので、仲介などいらないと言われています。