続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

交通事情。

2013-05-23 06:52:08 | 日常
 横須賀市の人口は減り続けているらしい。某雑誌の広告によれば、十年後の横須賀市の人口は12%減とか。
 
 そうかもしれない・・・近隣界隈の会話といえば「みんな年を取ったわ。」というため息交じりの悲嘆。
 地域によっては買い物難民と称される人たちもいなくはない。山の上の新興住宅地には商業地域ではないのでお店がない。数十年も経てばみんな相応の年配、商店街に下りるにも上るにもタクシー。バス停で隣り合わせた年配の婦人は「先月はタクシー代に30万円も使いました」とこぼした。
「夫の年金はタクシー代に消えています」という老婦人もいた。


 タクシーなど贅沢と公言しているわたしもいつかお世話になる日が来るかもしれない。
 それでも外へ出ることができる人たちは幸せ、不具合を持って身の回りのことをお願いするのは辛い。それでもお願いできるお金を持ち合わせている人はそれでしのぐことができる。
 お金も頼れる身内もなく身動きもままならないとしたら、どうすればいい?


「生きている限りはね、自分の足で歩いて、自分のことは自分で!」

 これが日常会話のとどのつまりである。


 大前研一はかつて何かに書いていた「横須賀は衣笠方面で渋滞する三崎街道がネックであり、発展できない最大の理由である」と。
 高速道路も開通。町田市(東京)の友人からは「あなたの家から1時間5分で帰り着いたわ」と電話をもらったことがあるし、大和市の某氏は「お宅まで25分で行きます」とも言った。

 一見便利、でも通常の交通事情はさほど変わらない。

 大型店へは歩いて行かれない。商店街の衰退も胸に刺さるものがある。
 みんな一緒に年をとっていく、この大いなる群像の行く末・・・。


 御身大切に、気をつけながら橋を渡る覚悟である。

『セロ弾きのゴーシュ』96。

2013-05-23 06:38:25 | 宮沢賢治
「なあんだ、これでいゝのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待ってゐましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるへてゐました。
「どうだったの。いおなじかい。気分は。」
 こどもねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったまゝぶるぶるぶるぶるふるへてゐましたがにはかに起きあがって走りだした。


☆講(はなし)の趣(ねらい)は、字を換/入れかえて推しはかると現われる。
 黙って企(計画)し、文に含ませ記している双(ふたつ)。

『城』1280。

2013-05-23 06:11:08 | カフカ覚書
わたしは、子供たちの面倒をみるだけで手がいくつあっても足りないほどですし、そのうえさらに小使いのことで腹をたてたりしていては、とても身がもちませんからね。

 子供/Kindern→Kett/束縛。
 小使い/Schuldiener→Schulding/義務がある、責任がある。

☆束縛の苦しみなど望んでいません。先祖の責任のことで腹をたてていては身がもちませんから。