団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 石橋正嗣氏の訃報に接して

2019-12-17 13:12:07 | 夫婦

新聞に石橋正嗣元社会党委員長が95歳で亡くなられた記事が載っていました。

石橋さんの後を継がれた土井さんが委員長を辞められて・・

以後日本社会党の凋落は激しく、その後も低迷が続いて・・

今は何人?・・

現社会党の姿は見る影も無い有様ですが・・

昔の社会党びいき?の私から言わせれば野党として、与党を常に正す姿勢が求められて、その役目が私達弱者の味方の様に感じて、選挙の度に1票を投じたのだと・・

ですから選挙で敗れても、国民の一定の支持も得られて、与党のお目付け役としての万年野党、何でも反対する野党でも一定の評価を得ていたのだと・・

残念ながら、与党になった経験が無い儘、敵失で与党になってしまい、今度は政策の未熟さから再び野党に転落・・

一度、国民から駄目を押されてからは党を立て直す力も無く、野党になって反省の上に与党に返り咲いた自民党に、今度は全く歯が立たない状況迄追い込まれてしまい、今では・・

今回は、こんな話をする心算では無かったのですが・・

私の知る限り国政政治の政治家としての石橋さんは当時与野党を通しても、生真面目な性格と身辺のキレイな人だったと今でも思いますが・・

その石橋さんに私達夫婦が偶然お会いしたのはいつだったか、未だ同氏が現役だった若い頃の事です・・

何処かしら山へハイキングへ行った途中で、偶然お会いして・・

勿論、私共はTV等で石橋さんの顔を知っていた訳ですが・・

山での挨拶「コンニチハ・・」で始まってと云っても何か話したか?、いや何も具体的に話すことも無いわけですから・・

私が覚えているのは「これからも頑張って下さいよ・・」だけだったかと・・

ところが奥様は「その場で石橋さんからサインをして貰った」と言い張るのです。

我が家の何処にも、そんな色紙など見た事も無いし、色紙替わりのノートかも私は見た事がないのです・・

更に、奥様は昔茶道を習っていたお師匠さんと弟子仲間達と旅行に行った時に石橋氏と会ったと主張するのです。

では奥様は旅先で石橋氏と二度お逢いしているのか?

今となってはこれ以上に記憶をたどる事は全く不可能です。

然し、山登りの途中で若き石橋さんと、双方にこやかな笑顔で、固く握手して戴いた瞬間の場面は今85歳の私の脳裏に焼き付いて残っているのです。

謹んで石橋正嗣氏のご冥福をお祈り申し上げます。

1政治家と2人の選挙民と偶然な出会いが、今でも衰えた1政党を支持して・・

比べて、桜を見る会に集まった大勢の人たちは次の選挙でも・・当然でしょうがね~・・

 今日もお昼をお昼に食べられる幸せが有ります。ゴチソウサマ

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る