団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 84 昭和天皇崩御 

2019-05-02 10:28:47 | 夫婦

昨日は令和の一日、一昨日は平成最後の日、

2日間、日本中で様々な祝いの行事が有ったようです。

平成時代の天皇の姿を見て来られて、新しい天皇は立派なお言葉を述べられました。

団地に降りしきる雨の昨夜、ふっと昭和天皇崩御の折に皇居前広場で記帳した、あの日の事を思い出しました。

矢張り、あの日も雨の一日でした、広場に張られた幾つもの白いテント前に記帳する人の行列ができて、一人一人黙々と記帳を終えて・・暫らく皇居方面を見詰めて両手を合わせた記憶が・・

何故だか、そのあと広場に特設された電話で都内高田馬場の実家の母に電話をした覚えがあります。

「今、記帳に来ているんだ・・母さんの分、父さんの分迄、拝んだ・・・」涙がこみ上げて声が震えていた私でしたが・・

昭和天皇が長い戦争の時代を経て人間宣言をされ、自らの命より国民の安全を第一にマッカーサーに言われたからこそ終戦後の日本再建があり、その後の繁栄があり、何よりも平成の平和時代が続いたのは間違い有りません。戦争の犠牲になられた多くの人々とご遺族に深くお詫び申し上げる事は勿論の事ですが・・

昭和天皇の戦時の功罪に付きましては妻が功罪の後者を重視ししているのは、夫々の時代の受け止め方の違いだとは思うのですが・・

ともあれ、昭和天皇のの生き様を顧みて平成を通しての慰霊の旅が天皇在位期間中の中心に有り、美智子妃はその意図を汲んで常に同行されて来た・・戦争の無い平成の時代は、父なる昭和時代の天皇と昭和国民の反省の上に有るとも言えるのではないでしょうか・・

その意味では、父の恩、母の恩、こそ夫々の時代のこれからの時代にも忘れてはいけないのだと思います。

母は「何処にいるの?宮城の広場・・そう有難う・・」昭和の時代が終わった時の思い出ですが・・何故か人は悲しい時の事は忘れられないのですね・・

平成から令和へと続いたお祝いの日・・上皇様夫妻となられたお二人のこれ迄のある意味昭和国民懺悔の旅に深く感謝するとともに、更にいつまでもお幸せな余生が続く事を願っています。

散る桜残る桜も散る桜、良寛和尚・・団地の今を楽しみましょう・・

 「半額の苺どうだった?」「ウン・・一つだけ傷んで・・」「流石生協上出来だな~・・」今朝はナッツもクルミも揃って充実の朝食です。

 6時過ぎ散歩へ・・自宅近くで団地の何処からかカレーの匂いが鼻にツンッと・・

花粉症の薬もいつの間にか無くなって・・今夜の夕食は「有るものでいい?」「ウン・・」ゴチソウサマ

 

 

 

 


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