落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(8)30秒で食え

2020-07-22 15:31:16 | 現代小説
上州の「寅」(8)


 深夜2時。参道が閑散としてきた。
あれほど賑わっていた参拝客の姿が嘘のようだ。


 「安心するんじゃないよ。嵐のまえの静けさだ。
 本番はこれからだからね」


 チャコが、ふうっと青い煙を吐きあげる。


 「あ、やっぱり吸うんだ君は。未成年だろ。やめた方がいい。体によくない」


 「ひと稼ぎしたんだ。自分へのご褒美だ。いいだろう、これくらい」


 「よくない!。大人になってから吸え。それがルールだ」


 「18歳は大人だ。選挙権もある。
 2022年から成人年齢は18歳になる。大目に見ろ。そのくらい」


 「本番はこれからだと言ったね。どういう意味だ?」


 「元旦の朝からが本番さ。
 着飾った連中が今年一年の幸福のため、わんさか神頼みにやってくる。
 大晦日の人出なんて嵐の前の前兆だ。
 覚悟しな。トイレへ行く暇もないくらい忙しくなるから」


 そのとき。チャコの携帯へメールがはいった。


 「おっ・・・元締めからだ。
 飯が届くそうだ。ユキ。お兄ちゃんを連れて食事へいっておいで」


 中学を卒業したばかりの金髪は、ユキという。
「ついてきな」ユキがテントの陰から裏道へ入っていく。
着いたのは野菜の箱や段ボール箱が、これでもかとばかり積まれた古いテント。
裸電球の下に長机がひとつ置いてある。


 しかし。長机のうえに何もない。


 「早すぎたか?」


 「元締めが持ってくる。来る前に顔をそろえ挨拶するのが普通だろ」


 ユキちゃんの言葉の通り、つぎからつぎへ人が集まって来た。
長年屋台で商売していそうな中年のオヤジ。寅とおなじ短期のアルバイト。
チャコちゃんやユキちゃんと同年のような女の子。
10人余りが顔をそろえたとき。黒メガネのいかつい男が、ぬっと顔を出した。


 「待たせたな。今夜の飯だ。いつものようにアツアツの牛丼だ。
 特盛は男たち。並盛は女の子たち。
 いいか30秒で食え!。
 それより遅い奴は、給料から天引きするからな!。
 よし。みんなに配ってやれ」


 うしろに控えていた男が、ドンとおおきなビニール袋を長机へ置く。
群がるように牛丼を受け取る。
長机は有るが椅子はない。ということは立ったまま食えという事か?。
しかも30秒で・・・


 (30秒で食うのか?。アツアツ牛丼の特盛を?)


 (こんなもの30秒で食えるとホントに思ってるの、あんた。
 おめでたいのにもほどがある。
 喰ったふりして元締めに挨拶してから、とっとと持ち場へ帰るよ)


 ほらと巾着袋をひらいて見せる。
こいつに隠して持ち帰るという段取りらしい。
(これがホントのテイクアウト)ユキちゃんがニッとしろい歯を見せる。


 「元締め。美味しかったです。ご馳走様でした!」


 「こら。ユキ。もうひとつ持って行かんか。チャコの分。
 持って帰ってもいいが、30秒で食えよ。
 稼ぎ時だ。飯の時間がもったいねぇからな。あっはっは」


 (9)へつづく