落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(9) 第一話 ベトナムがやってくる ⑨ 

2018-12-27 18:21:50 | 現代小説
北へふたり旅(9) 



 
 それから2日後。ベトナムの初出勤の日がやってきた。
出迎えるパートの方が緊張している。
朝8時。Sさんに連れられて、ベトナムの2人がやってきた。

 中肉中背のテフは、28才の既婚者。
丸ぽちゃ体型のドンは、22歳のおばあちゃん子。と紹介された。
2人とも「おはようございます」と元気な日本語で挨拶した。

 流ちょうな日本語だ。
(ねぇ。たった2ヶ月であんな風に、ベトナム語を話せるようになるかしら。
あたしたち?)妻がわたしのわき腹を、突く。

 「無理だろうな。
 おまえときたらいまだに日本語を間違えることがある。
 3年かかってもおそらく、ベトナム語を話せないだろう」

 「失礼ね。じゃあなたは出来るの?。ベトナム語」

 「シンチャオ、これひとつでOKさ。
 朝でも昼でも夜でもこれひとつ。これで挨拶したことになる」

 「早いわね。もう覚えたの。ベトナムの挨拶を」

 「これだけさ。あとは、テポドンに教えてもらう」

 「テポドン?
 失礼ですねぇあなたったら。
 テポドンは北朝鮮の弾道ミサイルのことでしょ。
 来たばかりのテフ君とドン君を、そんな風に呼んだら失礼です」

 「おっ君はもう2人の名前をちゃんと覚えたんだ」

 (あなたったらあいかわらずですねぇ。
 人の名前を覚えるのが、ホントに苦手ですね)

 妻がクスリと笑う。
20年あまり接客の仕事をしてきた。しかし大の苦手が、人の名前を覚えることだ。
(いいのあなたは、料理だけで。接客はわたしにまかせて)
という妻にささえられ、20年にわたる居酒屋家業をまっとうしてきた。

 家業の幕引きを考えたのは65才の秋。
深夜までの仕事に、身体がついていかなくなった。
いちど言い出すとあとに引かない性格を、妻は熟知している。

 (いいわよ。あなたがそういうのなら。
 わたしも人さまの機嫌をとるのに、しょうしょう疲れてきました。
 花道があるうちの幕引きも、わるくありません)

 (あと数年。居酒屋を頑張ろうかと考えた。
 でもさ。燃え尽きるまで頑張っても、それで終わりじゃ味気ない。
 もう一花、別の世界で咲かせるのもわるくない。
 それに元気なうちに転職しなきゃ、雇ってくれるひとに申し訳ない)

 (あら。リタイヤするわけじゃないの、あなたは。
  まだ働くつもりですか。この先も?)

 (あたりまえだろう。年金だけじゃ心細い。
 農家がいいな。野菜は無駄な口をきかない。こころ静かに仕事にはげめる)

(さすが農耕民族の末裔ですね。あなたは・・・ふふふ)と妻が目を細める。

 幕引きを決めてから半月後。
7日間のさよならパーティーのすえ、わたしたちの居酒屋は閉店した。
おおくのひとたちが閉店を惜しんでくれた。

 
(10)へつづく

北へふたり旅(8) 第一話 ベトナムがやってくる ⑧

2018-12-17 18:52:43 | 現代小説
北へふたり旅(8)




 「たった3年しか貸していない。
 それなのに10年以上貸したかと思うほど、ひどい汚れだった」
 
 「そんなにひどかったのか・・・中国の連中は」

 「汚いなんてもんじゃねぇ。
 連中がつくる料理は脂っぽい。おかげで、壁も床もぬるぬるだ。
 換気扇は一年たたず脂まみれ。フィルターも2ヶ月持たない。
 そのうえ台所やふろ場、洗面所や玄関も平気で汚す。
 清潔を保て、みんなでつかう場所だから汚さないように気をつけろと
 なんど言っても、連中に通じなかった」

 「苦労したんだな。おめぇも」

 「掃除だけじゃねぇ。騒音とゴミの分別でも苦労した」

 「騒音?」

 「金曜日になると、中国人が集まって来る。
 さいしょのうちは小さな声で呑んでいる。
 だが酒がすすむと大声になる。
 あげくのはて、一晩中の大騒ぎに発展する」

 「中国語はうるさいからな。ご近所さんも大変だ」
 
 「ゴミの問題はもっと大変だ。
 連中は、ゴミを出す曜日をまったく守らない。分別もしない。
 汚れたふとんやマットレスを、燃えるゴミの日に出す。
 なんど注意してもまったく直らねぇ。
 日本のゴミ収集車はどんなものでも、持って行っていくと信じてる」
 
 「どうにもならないのか?」

 「粘り強く説明する。すると連中は分かりましたとこたえる。
 しかし数日後にはもう雑多なゴミが、収集所に出ている。
 いたちごっこの繰り返しさ。
 何度注意しても、いっこうに改善されなかった」
 
 「なるほどなぁ。
 しかし俺も困っている。2日後にはベトナムがやってくる。
 住まいを確保してないから待ってくれと、いまさら言えねぇ。
 俺にも立場がある。
 なんとかしてくれ。頼むぜ。恩に着る」

 「駄目だ。あきらめろ。外人だと言わなかったお前が悪い。
 無理なものはむりだ」

 「それなら俺も腹をくくる。
 おまえにゃ悪いが、このあいだのことをカミさんにばらす。
 身に覚えがあるだろう。
 長年の念願が叶った例の件だ」

 「例の件?。まさか、おまえ・・・」

 「おう。スナック・ハイテンションの美代ちゃんだ。
 いいのかおまえ、カミさんに知られても?」

 「そっ、それだけは待ってくれ。
 頼む。武士の情けだ」

 「俺のおかげで結ばれたようなものだろう。
 おまえと美代ちゃんは。
 なのに感謝の気持ちが足らねぇなぁ。俺にたいして?」

 「しかたねぇなぁ。
 同級生のよしみで今回だけは、特別に許可しょう。
 きれいに使ってくれよ、3年間」

 「おう。ありがてぇ。もつべきものは同級生だ。
 交渉成立だ。
 ということで今夜、呑みにいくか、美代ちゃんの処へ」

 「持つべきはやっぱり同級生だな。
 行こうぜ、行こう。
 愛しの美代ちゃんに逢いによ・・・へっへっへ」
 
(9)へつづく

北へふたり旅(7) 第一話 ベトナムがやってくる ⑦

2018-12-11 17:35:18 | 現代小説
北へふたり旅(7)


 

 その日の昼。騒ぎがさらにおおきくなる。
アパートの掃除に駆けつけた奥さんと妻が、家主に追い返された。

 「なんじゃと!。
 外人が住むとは聞いておらん。
 そういうことなら話は別じゃ。ぜったいにアパートは貸さん!」

 奥さんと妻が青くなる。
2日後にはベトナムがやってくる。
住むアパートがなくなれば、2人は路頭に迷うことになる。

 「困るのはそちらの勝手じゃ。わしには関係ない。
 Sに言ってくれ。契約は破棄だ。
 わしは外人が大嫌いじゃ」

 実習生制度は国の規定により、雇用主が住居を用意する決まりになっている。
1室につき2名以内。一人当たりの寝室床は、3帖以上を確保すること。

 しかし。今どき社員寮をもっている雇用者は少ない。
99%の雇用者がアパートを借りあげる。
ここへ実習生を住まわせる。
しかし多くの家主が外人と聞いた瞬間、拒否反応を起こす。

 電話を受けたSさんが、あわてて現場へやってきた。

 「おい、どうした。
 いまごろになって契約破棄なんて、いったいどういうことだ?」

 「数年前のことだ。
 中国から来た実習生たちにアパートを貸して、酷い目にあった。
 やつら。日本のルールをまったく守らない」

 「中国からやってきた例の実習生たちか。
 たしかにあいつらは酷かった。
 雇い入れた農家も嘆いていたからなぁ・・・
 しかし。空き部屋が増えて困っていると言ったのは、おまえのほうだ。
 いまごろになって、外人は駄目というのは無責任だ」

 「老朽化が進んだ。そのせいで、空き部屋が増えた。
 収入が減り苦労しているのは確かだ。
 でもよ、俺は無責任な人間じゃねぇ。無責任はおまえのほうだ。
 外人が入るというのは、初めて聞いた」
 
 「こんど入るのは中国人じゃねぇ、ベトナムだ。
 中国人ほどひどくねぇ。たぶん・・・」

 「分かるもんか。
 中国から生まれたんだぞベトナムは。根っこはひとつだ」

 「なに?。そうなのか!。知らんぞ俺は・・・」

 「べト(Viet=越)人は、3000年ほど前、揚子江の南から
 さらに南へ移った。
 南へ移住したべト人だから、ベトナム(VietNam=越南)と呼ばれた」

 3000年前。彼らはレッド・リバーデルタ(ハノイ周辺)へ定着する。
地理的に近いことから、ベトナムは常に中国からの支配を受ける。
しかし10世紀、中国の政治が弱体化した隙に独立を果たす。

 その後9世紀にわたりベトナムは、独立を保つ。
中部ベトナムのチャム族を支配下に入れる。
さらにメコンデルタをカンボジアから奪い、ラオスの大部分も傘下におさめる。
19世紀。フランスが進出してくるまでベトナムは独立を維持する。

 ベトナムは誕生以来、中国と15回の戦いを交えている。
その度、中国の追い返しに成功している。


(8)へつづく

北へふたり旅(6) 第一話 ベトナムがやってくる ⑥

2018-12-07 18:26:17 | 現代小説
北へふたり旅(6) 




 3月1日。朝から農場が騒がしくなった。
Sさんの発言が火種になった。

 「3日にベトナムがやって来る。
 寮はこちらで用意するという決まりだ」

 「寮を用意する?。聞いていません。
 こちらで滞在のためのアパートを、用意するということですか?」

 突然の話に、奥さんの目が丸くなる。

 「そういうことだ。
 安心しろ。アパートは昨日おれが契約してきた」

 「借りただけでは住めないでしょう?」

 「そうだな。
 とりあえず寝るための布団と、カーテンくらいは必要だろう。
 おまえ。用意しておいてくれ」

 奥さんの顔が青くなる。

 「なに言ってんの、あなた。
 蒲団とカーテンだけで、3年間も住めると思ってるのですか!。
 暮らすためには準備があります。
 ああ・・・もう~あなたったら、呑気なんだから。
 甘いったらありゃしない」

 「無理か。布団とカーテンだけじゃ・・・」

 「当たり前です!」

 たった2日で、借りたばかりのアパートを住めるようにするのは至難の業。
そばに居た妻がしゃしゃり出た。

 「奥さん。私も手伝います」

 「助かるわ。こういうとき、男は役にたたないもの。
 掃除も必要だし、日用品も買い揃えなきゃいけないし・・・
 手分けして、準備しましょう」

 奥さんと妻が母屋へ消えていく。
Sさんが借りたのは、隣村の古い木造の一軒家。
一ヶ月の家賃は4万円。
トイレは、汲み取り式だという。
いまでも残っているのだろうか。そんな古式なトイレが。

 Sさんは万事こんな調子。
作業中。ときどき居なくなることがある。
用事を思い出したのだろう。
または忘れていたなにかを思い出し、あわてて動き始める。

 Sさんの頭に、ものごとの優先順位はない。
思いついたらそく実行にうつす。それを信条とする。
計画性はない。
ゆえに奥さんは、Sさんに振り回される。

 「まったくもう、うちのひとときたら・・・」

 今日もまた奥さんは、Sさんのしりぬぐいに走り回ることになる。
(遅くなりそうです。今日は)
助手席から顔をだした妻が、そんな風につぶやいた。


(7)へつづく

北へふたり旅(5) 第一話 ベトナムがやってくる ⑤

2018-12-01 16:46:00 | 現代小説
北へふたり旅(5)

 

 
 「落とし穴がある?」

 「いろいろ引かれます。
 家賃、保険、税金、水道光熱費などで、まず5万円がひかれます。
 住民税は2年目以降、ドンとあがります。
 それを見越して一年目から、高めに徴収されます」

 「5万円ひかれると残りは14万2千円。まだ余裕はあるな」

 「食費と雑費で、4万円くらい消えます。
 ここまでで、102,654円。
 この金額がとりあえず、実習生の手元に残ることになります」

 「月10万円か。
 3年間35ヶ月はたらいて、350万円が手元へのこる計算だ。
 待てよ。まだ負債がある。
 出国時に背負った借金の100万円と、管理団体の初期費用の40万がある。
 これらを清算すると、残りは210万。
 なんだか微妙な金額になってきたなぁ」

 「引き算はまだつづきます。
 家族のいるベトナムへ送金しなければいけません。
 月に3万円ずつ送ると35ヶ月で、105万円が手元から消えます。
 家を建てるために貯金していればいいのですが・・・
 たぶん便利に使ってしまうでしょう」

 「踏んだり蹴ったりだな、実習生も・・・。
 となると手元に残るのは115万円。ずいぶん少なくなってきたなぁ」

 「帰国するときの土産代も馬鹿になりません。
 携帯電話やパソコンを買っていくと、30万から50万が消えてしまいます」
 
 「なんだい。そうなると3年後の実習生に残るのは、50万から80万だ。
 悲惨になってきたなぁ。
 いったいなんのため、汗水たらして日本で働いたんだ」

 「いまのケースは、恵まれた例です。
 最低賃金以下の時給700円や、600円で働かされたケースもあります。
 むしろ、そういう例のほうがおおいかもしれません」

 「いろいろ問題になっているからね。
 実習生をとりまく実態は」

 「ベトナム出身の女性実習生が、厚生労働省へ手紙を書きました。
 勤務時間は8時から5時、残業は5時半から9時半まで。
 そのあとも仕事があり、そのときは服を手で縫います。
 毎月の給与明細はありません。
 わたしの基本給は6万円。
 残業は時給400円。給料は月に12万円。
 ベトナムでサインした契約書では、基本給は食費別で8万5,000円でしたが、
 実際の給料は6万円です。
 ベトナムの送り出し機関に電話したけれど、電話に出なかった。
 ベトナムで契約した給料と違います。
 監理団体からは「ベトナムの会社のことはわからない」と言われた。
 道理にあわないので、この手紙を書きました。
 氷山の一角です。こんな話は・・・」

 (6)へつづく