落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(5)正月用品を売る

2020-07-16 16:34:28 | 現代小説
上州の「寅」(5)

 
 アパートへ戻った寅が電話をかける。
威勢のいい男性が電話に出た。


 「君で3人目だ。やる気があるなら即採用だ。どうする?」


 「はぁ・・・僕でいいのですか。本当に?」


 「やりたいだろ。短期バイト。
 その気があるのなら大晦日の昼に、履歴書はいらんから、
 免許証のコピーを持って、これから指定する寺院の境内へ来てくれ」


 即採用ということで話が決まった。
免許証のコピーがあれば、履歴書はいらないという。
変った会社だと思ったが、ふかく詮索しなかった。
5日間の短期仕事だ。
問題はないだろう・・・とタカをくくっていた。


 暮れの31日。
予定の時間より早く寺院へ着いた。
有名寺院はすでに、初詣客を迎えるための屋台があふれている。


(正月用品を売るということは、まさかテキヤの仕事・・・)


 準備にいそがしい屋台の様子を見ているうち、不安がわいてきた。
免許証のコピーはポケットにおさまっている。
(困ったぞ。どうする、このまま帰っちまってもいいんだが・・・)
と思った時。運悪く、携帯へ着信が来た。


 「もう来とるか~」


 「あ、はい。門のちかくにいます」


 「そしたらすぐ行くから、そこで待っといて~」


 聞き覚えのある大前田氏の声だ。
数分後。全身ジャージの男があらわれた。
後ろに数人の若い者がひかえている。
だがいずれもどう見ても、まっとうな商いをする堅気の人に見えない。


 「免許証のコピーは?」


 「あ、はい。これです」


 反射的にコピーを渡してしまう。


 「名前は寅太郎か。おっ、生まれは群馬か。
 なんでぇ。群馬と言えば侠客の国定忠治をうんだ土地だ。
 となるとさしずめお兄ちゃんは、上州の寅だな。
 こいつはいけねぇ。挨拶が遅れた。
 お初にお目にかかります。
 住友総合商社の人事担当、大前田と申します」


 上州には、大前田英五郎という大親分が居た。
國定忠治より18歳年上。「おじご」と呼び、同盟を組んでいた。


 江戸時代の侠客と言えば、斬った張ったがお手の物。
腕っ節にものを言わせ、のし上がった者がほとんど。
その結果、役人に追われ、人の恨みを買う。
あげく非業の死を遂げることが多い。


 しかし大前田英五郎は若い頃、殺人事件を起こしてお尋ね者になるが
悪い評判は起たなかった。
英五郎が得意としたのは喧嘩の仲裁。


 やくざ同志の喧嘩に出張り、双方をなだめ、無事におさめた。
そのため「天下の和合人」と呼ばれた。
流血の雨が降るところを英五郎に救われた侠客たちは、その謝礼に
縄張りを差し出した。
その結果。役人に追われ全国を流浪する身でありながら、縄張り200カ所、
3000人の子分をもつ大親分にのしあがった。


 「こら。おめえらもこちらの兄ちゃんにご挨拶しねぇか!」


 人事担当、大前田の険しい声が参道へひびいた。


(6)へつづく