落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(3)デザイナーへの道

2020-07-12 14:33:55 | 現代小説
上州の「寅」(3)


 寅は都内の大学へ進学した。
住んだのは八王子市。アパートの窓から多摩丘陵が見える。


 「グラフィックデザイナーになりたい?。
 どんな仕事じゃ。いったいそれは」


 「広告や看板、チラシなどをデザインする仕事です」


 「広告?、看板?。看板屋になりたいのか。おまえは」


 「看板屋じゃありません。いろいろデザインする仕事です」


 「絵描きになるのが夢だったはずだ。気持ちが変ったのか?」


 「芸術は食えません」


 「賢明な判断だ。デザイナーになるための学校なんか有るのか?」


 「多摩にあります」


 「高尾山のふもとだな。ハイキングに行くときの宿泊に便利だ。
 いいだろう許可する。看板屋の学校へ行け」
 
 「だから、グラフィックデザイナーだって・・・もう」


 父のひと声で、造形大学への進学が許された。
寅の熱意がつうじたわけではない。
ハイキングに凝り始めていた父が、高尾山の魅力にひかれただけだ。
しかしこのひとことで寅のデザイナーへの道がひらかれた。


 ここまで、長いとん挫の歴史があった。
ピアノでとん挫し、柔道でつまずいた寅が、つぎに選んだのはスイミング。
それもまたわずか3ヶ月で挫折した。


 バイオリンならどうかと通いだした。これも半年で終わりになった。
ギターを習い、サッカーへ通ったが、またまた長続きをしなかった。
13回ほど挫折したあと、絵画造形へたどりついた。
 
 きっかけは単純だった。
寅がたまたま描いた絵が、父の目にとまった。


 「これはなかなかいい画だ。才能を感じる。ピカソの生まれ変わりだ」


 「そうですか。わたしにはただの落書きにしか見えませんが」


 「抽象画なんてものはそんなものだ」


 「抽象画ですか・・・
 いったいなにを書いたのでしょう。寅は」


 寅はパンダを書いた。
寝そべったパンダ。しかし輪郭は崩れ、目の周りも白いままだった。
まったくもって不可解な一枚が、なぜか父から好評を得た。
(不覚だった。寅には絵の才能があったのか・・・またとない大発見だ)
真相を知られることもなく、寅は絵画教室へ通うことになった。


 年の暮れがちかづいた頃。母から電話がかかって来た。


 「寅。今年は帰ってこないでね。
 銀婚式ということで、ことしの年末年始は父さんと2人でハワイです。
 長女はスキー場でアルバイト。次男は部活で帰らないとのこと。
 ということで実家は留守です。
 あんたは好きに自由に過ごしてね。じゃあね」


 と電話が切れた。
 
 「なんや。誰もおらんのか。じゃ家へ帰っても仕方ないか。
 学友どもはみんな実家へ帰省中。
 遊んでくれそうなやつは、おれのまわりに誰もおらん。
 なんとも暇じゃのう。ことしの年の暮れは・・・退屈だな。
 まいったのう」


(4)へつづく