落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(97) 裏路地の道産娘⑪

2020-04-28 18:19:14 | 現代小説
北へふたり旅(97) 


 「あれ・・・」急に違和感をかんじた。
身体が重くなったような気がした。


 目まいではないが、一瞬視界も暗くなった。
足から急激に力がぬけていくのを感じた。
思わず妻の肩へ手を置く。
妻が振りむく


 「どうしたの、あなた?」


 「ちょっと目まいがした、ような気がする」


 「だいじょうぶ?」


 「座りたいな。すこし」


 ユキちゃんがあわてて通路を見回す。


 「通路にベンチはあらないべ。
 もうすこしさきに大通駅の広場があるっしょ。
 だいじょうぶですか。そこまで歩くことができますか?」


 「ゆっくりなら・・・」


 感覚のなくなった足をひきずりながら歩きはじめた。
妻が肩を貸し、反対側にまわったユキちゃんが背中をささえてくれた。


 「遠いの。駅は?」


 「あと50メートルくらいっしょ」


 その50mが果てしなく遠い。
踏みこんだはずの足が頼りない。まったく力がはいらない。
歩数にして100歩足らずの距離を必死で歩いた。
こんなことは初めてだ。


 「ここ。座れます」


 地下鉄大通駅の構内、ユキちゃんが空いているベンチを確保してくれた。
人通りは多い。しかしちょっとした休憩は出来る。
違和感はまだ去らない。
とにかく全身がだるい。体が重い。歩くだけで辛い。
何処から来るのだろう・・・この淀んだような疲労感は。


 「何か呑みます?。わたし、買ってくるっしょ」


 ユキちゃんが売店を指さす。


 「ありがとう。のどは乾いていないから大丈夫。
 ただ、みょうに身体が重い。
 もうすこし休んでいれば、良くなるかもしれない。
 わるいね。迷惑かけて」


 「迷惑なんてとんでもない。
 具合がわるいときはお互い様です」


 「疲れが出たのかしらねぇ・・・旅の」妻がささやく。


 「それは有るかもしれない。歳だからな。俺ももう・・・」


 「あら。やだ。本気にしないで。冗談で言ったるもりなのに」


 「こんなときに冗談を言うな。きついな君も」


 「ホントに具合悪いみたいね。あなたったら」


 それ以上、妻に反論する元気もなかった。
それほど身体が重く、すこし動くにも大儀な状態がつづいていた。
何だこの疲労感は・・・どうしちまったんだいったい。
俺の身体は。


 (98)へつづく


北へふたり旅(96) 裏路地の道産娘⑩

2020-04-25 17:24:56 | 現代小説
北へふたり旅(96) 
 
 
 妻が耳をかたむける。


 「小鳥の鳴き声が聞こえます」


 「小鳥の鳴き声?。まさかぁ。ここは地下街だぜ。
 小鳥なんて居るはずがないだろう」


 「そんなことありません。
 たしかに鳴いてます。可愛い声で」


 通行人がさざめく中。妻はたしかに小鳥の鳴き声を聞いたという。
「そんな馬鹿な・・・」思わず左右を見回した。


 「飛んでいないぞ。小鳥なんか・・・」


 人の流れが途切れない地下の通路。
こんな賑やかな空間に、小鳥が住んでいるはずがない。
「空耳だろう君の」と言えば、「あなたったら、ずいぶん耳が遠くなったのね」
と妻が切り返す。


 「通行人の会話は聞こえるが、小鳥の鳴き声なんか聞こえない。
 居るはずがないだろう。こんなにぎやかな地下街に」


 「たしかに聞こえました。ねぇユキちゃん」


 「はい。わたしも聞いたっしょ」


 女2人は口をそろえて聞いたという。


 「もう少し歩けば、はっきりするっしょ」
 
 楽しみですねぇと女2人が肩を並べて歩き出す。
仲良く歩く背中がまるで、孫と散歩しているおばあちゃんのようだ。
いつも散歩しているユキちゃんが、自信満々で妻をリードしていく。
背中に「わたしたちが正解です」と書いてある。
果たして・・・


 歩くこと数分。通路のど真ん中にガラス張りの空間があらわれた。
小鳥の広場、の看板がさがっている。
中に住んでいるのはセキセイインコ。
20羽あまりがおもいおもいのポーズでくつろいでいる。


 「驚いた・・・
 ホントに居た。こんな地下街にセキセイインコが。
 炭鉱じゃあるまいし、まさか酸欠対策じゃないだろうね」


 「炭鉱の酸欠対策?。何それ?」


 「平成生まれのユキちゃんじゃ知らないのも無理ない。
 炭鉱労働は危険と隣り合わせ。有毒ガスの発生は日常茶飯事。
 とくに可燃性のメタンガスは静電気や火花で着火し、爆発事故を起こす。
 そのため坑道にカナリアが持ち込まれた。
 小鳥は人より有毒ガスに敏感だ。
 そういえばメロンで有名な夕張も、むかしは炭鉱の町だった」


 2019年5月。驚きの話題が日本列島を駆け巡った。
夕張メロンの初売りで2玉500万円の高値がついた。前年度は300万円。
いっきにご祝儀が1.5倍に跳ね上がった。
「1個250万円!。いったいだれが食うんだ。そんな高級メロン・・・」
「話題つくりさ。大間のマグロに3億三千万のねだんがつく時代だぜ」


 「2個で500万か・・・俺なんかナスを5個320円で売ってんだぜ。
 差が有り過ぎだ。どうなってんだ日本の農漁業は、いったいぜんたい・・・」
と嘆いていたSさんの顔を思い出す
 
 「夕張が炭鉱の町だったことは知ってます。
 大小24の鉱山、人口12万人まで栄えましたが昭和40年代からつぎつぎ閉山。
 いまはわずかに9000人の町です」


 「9000人しか住んでいないのか・・・いまの夕張には。
 さびしくなったもんだ、高級メロンの故郷は。
 そういえば急激な人口減少が原因で、財政破たんしたはずだ、夕張は」


 「はい。財政破綻(はたん)から12年。
 夕張市のホームページに、「借金時計」が載ってるっしょ。
 その残高が200億円を切ったそうです。
 これまで153億円余を返したことさなるっしょねぇ」


 「再建は無理だといわれていたが、そこまで回復したか夕張は。
 なんだかなぁ・・・
 日本人はどこかで、金の使い方を間違っているかもしれねぇな・・・」


 ぼそっとつぶやきながら妻とユキちゃんの肩越しに、ガラスドームの中にいる
インコたちを覗き込む。
 
(97)へつづく



北へふたり旅(95) 裏路地の道産娘⑨

2020-04-21 18:16:31 | 現代小説
北へふたり旅(95) 

 
 「これからお2人を、札幌の特別な空間へご案内します。
 その場所は、こ・ち・ら」


 どさん娘が自分の足元を指さす。


 「君の足元・・・地下?・・・地下に何かあるの?」


 「大通公園の真下に、地下街のオーロラタウンがあるっしょ。
 突き当りを左へ曲がるともうひとつの地下街、ポールタウンへ行けます。
 それだけじゃあらまないべ。
 北へ曲がれば札幌駅まで直通の、ひろい歩道空間がつづいています」


 「えっ、公園の下が地下街になってるの!。知らなかったわぁ!。
 だから地上の通りに、お店が少ないのね」


 「ぼくらの足元に巨大な地下街と、札幌駅まで行ける歩道空間があるのか!。
 ・・・おどろいたなぁ」


 「びっくりしたっしょ。うふっ」うれしそうどさん娘が目をほそめる。


 「どこから降りていくの?」


 「入り口はわんさあるっしょ。
 交差点の向こう。あそこさ見える階段からオーロラタウンへ入れます」
 
 なるほど。交差点の向こうに地下鉄のようなアーケードが見える。
ときどき人が出入りしている。


 「知らなかった。地下に巨大な商店街があったなんて・・・」


 札幌地下街の歴史はふるい。
札幌冬季オリンピックの開催まであと50日と迫った昭和46年12月15日、
札幌の地下鉄が開通した。
地下鉄が開業するほぼ一ヶ月前、昭和46年11月16日。
札幌市中心部の地下に、南北と東へ伸びる地下街がオープンした。


 大通駅とすすきの駅を南北に結んでいるのが「ポールタウン」。
大通駅から東、テレビ塔の下までのびる「オーロラタウン」。


 背景に、札幌市の急激な人口増が有る。
ラッシュ時の『4丁目十字街』は、車があふれた。最高で7台の電車が連なった。
反対側の歩道へ行こうにも道路を横切ることができない。


 狸小路のショッピング・ゾーンが、二つに分断された。
営業権や生活権をおびやかし、商売あがったりの状態をうみだした。
東西の商店街を自由に行き来できる地下歩道がほしい、という声から
札幌の地下開発がはじまった。


 店舗や公共の通路、おおきな駐車場をもつ地下街をつくることは、
人の流れと車両を分散させる。
雪深い札幌で天候に関係なく、自在に移動できることを可能にした地下街は
おおきな役割を果たすことになった。


 階段をおりていくとあかるい歩道があらわれた。
たくさんの人があるいている。
オーロラタウンの全長は310m。左右にずらり店舗がならんでいる。


 「ここにはなんでもそろっています。
 と言ってもわたしのような貧乏学生は、もっぱら見るだけですが。
 目の保養と運動をかねて、毎日ここを歩いているっしょ」


 「明るいし地上を歩くより便利そうだね。この地下街は」


 「信号は無いし、雪が降っても雨が降っても関係あらないべ。
 地下鉄の駅に直通しているので、地上を歩くより、安心で便利です」


 「驚いたねぇ・・・大通公園の真下が、こんな風になっていたなんて」


 「ほんと。びっくりしました・・・あらっ」


 妻が何かに気が付いた。




(96)へつづく


北へふたり旅(94) 裏路地の道産娘⑧

2020-04-18 17:51:14 | 現代小説
北へふたり旅(94)


 翌朝9時。時間きっかり、妻の携帯が鳴った。
きのう別れ際に番号を交換した、釧路のどさん娘からだ。
  
 「テレビ塔の下で、9時30分に待ち合わせです」


 「若い娘さんが、おれたちみたいな年寄りと付き合ってくれるんだ。
 嬉しいね。北海道の人はみんなやさしいな」


 「呆れた。あなたが言いだしたのよ、昨夜。
 それほどおせっかいを言うのなら、どこでもいいから俺たちを連れて行けって。
 覚えてないの?」


 「えっ、そんなこと言ったか俺・・・まったく覚えてないぞ」


 「困った酔っ払いですねぇ。うふふ」


 妻が着替えをはじめた。
妻は初めての人と、たやすく仲良くなれる。
秘訣は「袖振り合うも多生の縁です」と目をほそめる。


 「地球の総人口は77億人。日本の人口は、1億2616万7千人。
 いちどきりの人生で、何人の方と袖を振りあうことができるでしょうか」


 「袖を振りあう?。
 触れ合うなら知っているけど、それとは別の使い方があるのか?」


 「万葉の昔から、日本の女は袖を振ってきました
 触れ合うも同じ意味です。でも決定的な違いは距離です」


 「距離?」
 
 「袖が触れるのは、至近距離にちかづいたときだけ。
 通行人はたいてい袖に触れず、一生他人のまますれ違います」


 「そうだ。おおぜいのひとと道路で出会うが、ほとんどの場合、
 赤の他人のまま通行人としてすれ違う。
 では、袖を振るの意味は?」


 「袖ははるか遠くからでも振れます。
 知っているかしら。
 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る。
 ねっ。万葉をうんだ奈良時代から、人は袖を振って来たのです」


 袖のたもとが特に長く、着物の中でいっそう華やかさがある振袖。
成人式で多くの女性が振袖を身にまとい、20歳の記念日を華麗に飾る。
女性にとって振袖は特別なものだ。


 振袖が誕生したのは、江戸時代。
女性から思いを伝えることは「はしたない」とされた時代。
女たちは恋愛のサインを、振袖にたくした。


 江戸時代初期。踊り子たちが袖を振ることで愛情をしめした。
袖にすがると、哀れみを請うことを意味した。
この仕草を世の女性たちが模倣した。
男性からのアプローチに対し、「Yes」と伝えるときはたもとを左右に振る。
「No」ときは、たもとを前後に振って意思をしめした。


 「振る」「振られる」の語源はいまから400年前、こんなエピソードが
あったからだ。
結婚した女性は袖を振る必要がない。
そのため振袖の袖を短く詰め「留袖」として着るようになった。


 「ひととの出会いは一度きり。
 出会った瞬間に袖を振らないと、おおくの縁(えにし)は生まれません。
 わたし。どんなひとにも袖を振っちゃうの。
 怖いのよ。長年、水商売の世界を生き抜いてきた女は。うふふ」


 確かに妻はいろんな人とすぐ仲良しになる。


 「ほら。あちらで手を振っているお嬢さんがいます。うふっ」


 妻が指さす先、どさん娘が立っている。
ぴょんぴょんと上下しながら、両手をおおきく左右に振っている。


 (なるほど。たしかに女は手を振る生き物だ。
 それにしてもすごいな。ジャンプ付きで大歓迎を表現している)


 
(95)へつづく


北へふたり旅(93) 裏路地の道産娘⑦ 

2020-04-15 18:22:31 | 現代小説
北へふたり旅(93) 

 
 「信じられないべ。
 大金をつかい、何しに本道(北海道)までやって来たのさ。
 札幌にだって見どころはわんさあるっしょ。
 時計台に大通公園、テレビ塔もあるし、明治に建てられた赤レンガの庁舎、
 それから大志をいだいたわが母校、北大のポプラ並木・・・
 どこもおりがみつきの観光名所です」


 「したっけ(でもさ)」とどさん娘がため息をつく。


 「目いっぱい観光しようとして、無茶な計画をたてる人もいるっしょ。
 2泊3日で函館の夜景と札幌市内の観光と、小樽の寿司と旭山動物園と
 温泉をまわりたいけど どう回れば効率がいいと思う?
 なんて平気で聞いてくるお客さんがいたっしょ」


 「なかなかの観光コースだと思うけどなぁ。
 でもそれって無茶すぎる日程なの?」
 
 「北海道の大きさをなめとんのか、てことさ。
 函館と札幌と旭川回るは、東京から名古屋と京都まわるのとおなじ距離。
 函館と札幌が340キロ。札幌と旭川までが130キロ。
 そこへ小樽までつけたら、京都旅行に飛騨高山をプラスするのと同じっしょ。
 二泊三日でやろうとすると全体力を消耗して、骨と皮だけになります」


 「なるほど・・・たしかにすさまじい強行軍だ」


 「札幌と言えばラーメン。
 ラーメン横丁は有名ですが、札幌市民はほとんどいかないっしょ。
 むしろ札幌ラーメンの面汚しだと思ってるさ。
 お客さんに頼まれると案内して、見るだけ見せますが他の場所へ連れていきます。
 「えっ・・・此処で食べないの?」と言われるけど、3回食べて、
 3回とも腹が立ちました。パスして当然でしょ」


 「なるほど。地元の人はラーメン横丁へ行かないのか。
 東京の人が築地の場外市場へ、マグロを喰いにいかないのと同じだな。
 観光客御用達の店に、おいしいものはないということだね」


 「漁港がある小樽は、星の数ほどおすし屋さんがあるっしょ。
 「寿司屋通り」なんて道があるくらいです。
 でもね、観光バスが行くような店は絶対にパスだべ。
 考えてみて下さい、一時に数百人の観光客が来て、それさ対応するんだべ。
 作り置きのロボット寿司だべ。
 路地裏には小樽市民が行く店があるっしょ。そういうところは安くておいしい。
 町の人つかまえて「この辺でいい店ありますか?」と聞きます。
 そうすると100%いいお店を教えてくれます。ハズレはないっしょ」


 「君。居酒屋のアルバイトのほかに、旅のコーデネイトもできそうだ。
 大学を卒業したら、何をするの?」


 「実家へ戻り、牧場を継ぎます。
 わたし一人っ子です。
 たぶんうまれたときから、わたしはばんばと生きる運命です。うふっ」


 「ほかの選択肢はないの?」


 「ひとなみの夢は見ました。
 アナウンサー、キャビンアテンダント、一流企業のOLさん、新聞記者、
 でもいちばん居心地が良いと思っているのは、やっぱり馬の背中。
 わたし、子供のころからばんばのうえから、釧路の原野を見てきたのさ。
 両親には何も言ってませんが卒業したら、まっすぐ家さ帰るっしょ」


 「いい子だね・・・君は」


 「おじさま。話をもとへ戻しましょう。
 ホントにノープランなのですか、札幌にいるあいだの2日間は?」


 「おなじホテルへ2泊する。
 2日間あるといっても、明後日の朝10時に帰りの電車へ乗る。
 実質的には1日半かな、札幌へ居るのは」


 「1日半のご予定は?」


 「何処へ行くか、まだまったく何も決めていない」


 「呆れたぁ・・・
 おばさま。いいんだべか、こったらノー天気なご主人で!」


 
(94)へつづく