落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (39)

2017-01-30 17:10:02 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (39)
 恭子と清子と日傘



 「この足袋。意外と履きやすいわねぇ。これ、サイズはいくつなの?」



 「9文半、です」



 「9文半?。センチに直すといくつになるの?」



 「22.5 cmです。その上のサイズは23.0cmで、 9文7分と呼びます」



 「へぇぇ。専門的な呼び方があるんだねぇ。
 で、さぁ。なんでこはぜが5つもついているの。
 足首の部分が深くなっているから履きやすいけど、裏地の様子も
 なんだか、普通の足袋と少し違うみたい。
 なんともいえない、いい履き心地があるわ」


 「それ。日本舞踊用の、特別仕立てです」


 「ふぅ~ん。で、あんたは、もう日本舞踊を踊れるの?」


 「見よう見まねで、奴さんなら舞えます」


 「あんた、歳はいくつ?」

 
 「15です。この春、中学を卒業しました」



 「そうか、15か。あたしは、17。高校3年生で名前は、恭子。
 大学を卒業したら、パパを手伝って、家業の酒蔵を継ぐと決めているの。
 お母さんが亡くなったのは、あたしが7つの時。
 それからは口うるさいおばあちゃんと、パパとあたしの3人暮らし。
 わたしはこの喜多方で、歴史ある大和屋酒造の、10代目になるの」



 「わたしは芸者見習いの清子です。こっちは、親友の三毛猫のたま。」



 懐から顔を出しているたまの頭を、清子が撫でる。
6月半ばを過ぎた川原には、すでに、夏の気配が濃厚に漂っている。
長い竿を操っている鮎釣り師たちの背中が、水面の照り返しを受けて
キラキラと銀色に輝いている。


 (暑くなりそうですねぇ・・・・)


 清子が日傘をパタンとひろげる。
『はい』ともう一本。恭子に向かって日傘を差し出す。
『あら。あたしのために、わざわざ日傘を用意してくれたのかい?』
嬉しそうに恭子が目を細める。
そんな恭子へ清子が小さく頭(かぶり)を振る。



 「いいえ。恭子さんは色が白いから、これを持って行きなさいと、
 市さんが渡してくれました。
 ウチはまだ、そこまでの配慮はできません。
 見習い中の身ですから」


 「そうでもないさ。たまを懐に入れたり、日傘を2本も持ってきたり、
 足袋まであたしに分けてくれたり、あんたも相当な世話焼きだ。
 じゃ、あたしのお気に入りの食堂へこれから案内するから、
 そこでラーメンを食べようか」



 「願ってもありません。着いていきますお姉さん」



 「うふふ。お前ったら、なんだか、いちいち可愛いね。
 よし。着いといで。
 喜多方のラーメンはどこで食べても、美味しいよ。
 あっ、たまには無理がある。スープは熱々のうちが一番旨いからね。
 猫舌のお前には、無理があるなぁ」


 喜多方市のラーメンは昭和の初期、「源来軒」が、中華麺に近い
「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点。
当時は敗戦の影響による食糧難の時代だった
そんな中。「支那そば」は喜多方の市民にとって、すばらしいご馳走になった。
そしてその味は、あっというまに市民生活の中へ浸透した。



 源来軒から、支那そば作りを継承する人間が増えていく。
多くの食堂で、支那そばがメニューとして出されるようになる。
こうした流れから現在でも、多くのラーメン店が「○○ラーメン」という屋号を
使わず、昔ながらの「○○食堂」という表記をしている。
喜多方ならではの、流儀といえる。


 喜多方市は蔵とラーメンの街として、全国に知られている。
きっかけは「蔵」の写真展示会。
市内で写真店を営んでいる金田実氏が、四季を通して喜多方の蔵の写真、
500枚ほど撮影した。
東京で写真展を開催したことで、「蔵のまち喜多方」が
全国に浸透するきっかけを生んだ。



 1975年(昭和50年)。NHKが「新日本紀行」で「蔵のまち喜多方」を
全国に紹介した。このことでついに人気に火がついた。
おおくの観光客たちが、蔵とラーメンと酒蔵の町へやってくるようになった。



(40)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (38)

2017-01-29 17:26:09 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (38)
 朝からラーメンが食べられる街




 清子の前に姿を見せたのは、セーラー服を着た17歳の少女。
真っ白の靴下に、真っ赤な鼻緒の下駄が鮮やかだ。
たまの姿を見た瞬間。


 「うわ。この子が、噂のたまかいな。
 本当や。着物を着た女の子の懐にきっちり収まっているなんて、なんとも
 可愛いところがあるやんか。
 お前。三毛猫のオスなんだってねぇ。・・・
 へぇぇ。そう言われてみれば、なにやら凛々しい雰囲気が、
 どことなく漂っているわねぇ。お前っ」



 「こらこら。恭子。
 いきなり、それでは、お客様に失礼すぎるだろう。
 市さんと清子ちゃんにご挨拶する前に、猫に愛想を言ってどうするんだ。
 すいませんねぇ。市さん。
 失礼なところばかりをお見せして。
 なにしろ、女房に死なれてから、ワシは仕事にばかり追われて、
 この子の躾(しつけ)もろくろく出来ません。
 年頃だというのに、世間知らずのまま、相変わらずこんな有様です。
 女の子には、母親が必要不可欠のようですなぁ」


 「あら。要らないわよ、今さら私に母親なんか。
 あたしはあたしのままだし、パパはパパの生き方をすればそれでいいでしょ。
 ご用はいったい何でしょう?。
 そのためにわざわざ、あたしを呼んだのでしょう?」



 「おっ、そうだ。お前、今日は暇だろう。
 清子ちゃんをつれて、喜多方の街を、案内してやってくれ。
 そのあたりで朝からやっている、ラーメンでも食べさせてくれるとありがたい。
 ワシは酒蔵で市さんをもてなしておくから、案内を頼んだぜ」



 「はい。了解しました。
 じゃ早速、腹ごしらえと行きましょうか。たまと・・・ええと何だっけ?。
 きみの名前は・・・そうだ、清子ちゃんだ」


 くるりと背中を向けた恭子が、下駄を鳴らして駆けだしていく。
(え・・・こんな朝早くから喜多方の人たちは、ラーメンを食べるのかしら、
どうなってんのよ、この街は?)
面くらったままの清子が、あわてて恭子の背中を追いかけていく。



 喜多方市でラーメン(中華そば)が食べられるようになったのは
昭和初期からと言われている。
定着したのは、昭和20年代の前半から。


 朝からラーメンが食べられるようになったのには、諸説がある。
3交替制の工場に勤務していた人たちが、夜勤明けにラーメン屋へ立ち寄った。
朝早く農作業に出た農家の人がひと仕事を終えて、ラーメンを食べにいった。
あるいは、出稼ぎから夜行列車に乗って帰ってきた人たちが、暖まるため、
家に帰る前にラーメン屋に立ち寄ったから。など、いろいろと有る。


 はっきりしているのはずっと以前から、朝からラーメンを食べることは、
喜多方の人たちにとって、ごく自然のことだ。
今でも早朝ソフトボールの帰りとか、二日酔いのためラーメンを食べてから
出勤するなどのことが、当たり前のようにおこなわれている。


 「清子。あんた、食べ物に好き嫌いはあるかい?」



 路地道を歩く恭子が、後ろを振り返る。
カラコロと下駄を鳴らしながら歩く恭子は、かなりの早足だ。
とつぜん目の前にあらわれたT字路や分かれ道を、方向も告げず、
ヒョイと向きを変え、ずんずん進んでいく。
あとを着いて行く清子も、自然に急ぎ足になる。
カラコロと鳴る下駄の音がふたつ。
醤油と味噌の匂いの入り混じった路地にひびいていく。


 いきなり目の前が、ひらけてきた。
喜多方市の中心部を流れている、田付川だ。
飯豊山地を水源に、喜多方の市街地を南に流れたあと、会津城下の坂下町で、
一級河川の阿賀川と合流する。
毎年、鮎の稚魚が大量に放流されることで有名だ。
川べりに出たところで、恭子の足取りが、ようやくゆるやかになった。


 「見て。ここが、あたしの一番好きな、喜多方の景色。
 さてと・・・とっておきの名所の紹介は済んだから、腹ごしらえに行こうか。
 人口3万7000人の街に、120軒以上のラーメン店があるんだ。
 人口の比率で言えば、日本一だ。
 スープは、豚骨と煮干しのものを別々に作り、それをブレンドする。
 醤油味が基本だけど、店によって、塩味や味噌もある。
 好みが有るなら最初に言って。どんな希望でも、かなえてあげるから」


 「食べ物に好き嫌いは、ありません。
 強いて挙げるなら、清子姉さんが大好きなラーメンを、ご馳走してください。
 もしかしたら好みが、あたしと一緒かもしれませんから」


 「ふぅ~ん。逢ったばかりだというのに、面白いことを言うわねぇ。あんたって。
 なんか根拠でもあるの?」



 「赤い鼻緒の色具合が、あたしの好みといっしょです。
 あたし。真っ赤な、鮮烈すぎるほどの赤が、大好きなんです。
 それに白い靴下を履いているから、余計に、赤が目立ってとっても素敵です。
 でも靴下で無理やり下駄を履くと、靴下が2つに割れてしまって、
 見るからに可哀想です」


 「この靴下のことかい。だって仕方ないだろう。
 下駄は好きだけど、あたし、靴下はこれしか持っていないんだもの」


 「あたしの足袋でよければ、差し上げます」



 「お前の足袋をくれる?。逢ったばかりのあたしにかい?。
 そりゃぁ嬉しいよ。だけどさ、あとであんたが、困ることにならないかい?。
 見習いとは言え、足袋は、大切な商売道具のひとつだろう?」


 「でも。2つに割れてしまっている靴下のほうが、よっぽどかわいそうです。
 とても黙って見ていられません。」



 「ふぅ~ん。見過ごすことができないのか。
 あんたって、お節介な子なんだねぇ。
 でもさ。なんだか、ちょっぴり、面白そうな女の子だねぇ・・・・」


(39)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (37)

2017-01-28 16:46:05 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (37)
 蔵と酒とラーメンの街



 喜多方は、福島県会津地方の一角にある街。
名水に恵まれた喜多方市には、おおくの酒蔵が密集している。
白壁のうつくしい、「蔵のまち喜多方」として知られている。
はじめてこの街を訪れた人は、たくさんの蔵の姿に思わずの懐かしさと、郷愁を覚える。
そんな素朴な趣が、この街のあちこちを彩っている。


 たくさんの蔵は、観光のためにつくられたわけではない。
蔵は、いまも人に使われ、暮らしの器としての役割を果たしている。
表通りはもちろんのこと、路地裏や郊外の集落にもいろいろな用途の蔵が
立ち並んでいる。
その数は、4000棟を越すといわれている。



 多くの蔵が建てられているのには、いくつかの理由がある。
蔵のたいはんが、酒蔵や味噌蔵として使われている。
このことから見て取れるように、ここが良質の水と米に恵まれた土地であり
醸造業に適していることがわかる。
蔵はそれに、もっとも適した建物である。


 蔵はまた、男たちの夢の結晶でもある。
「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」「蔵は男の浪曼」とまでいわれている。
喜多方の男たちにとり、自分の蔵を建てることは、誇りであり、
自らの成功を外部に示す証であり、生きる目標のひとつでもある。


 喜多方の蔵は、さまざまな表情を持っている。
白壁や黒漆喰、粗壁やレンガなど、外観もじつにさまざまで、扉の技巧にいたるまで、
きわめて多彩な形で構築されている。
それはそのまま、喜多方に生きる男たち1人1人の、ロマンの現れかもしれない。


 もうひとつ、おおきな理由が有る。
明治13年に発生した、喜多方の市街地一帯を襲った突然の大火。
火は市の中心部から瞬く間に燃え広がり、300棟余りをことごとく、焼き尽くした。
くすぶり続ける焼け野原の中に厳然と残ったのが、今も残っている
多くの蔵だったと言われている。



 喜多方の小原庄助旦那がいとなむ大和屋商店は、江戸時代中期の
寛政二年(1790)に創業している。
以来、9代にわたり酒を造り続けてきた老舗の酒蔵だ。
清冽な飯豊山の蒸留水を、仕込み水として使用している。
「弥右衛門酒」をはじめとする銘酒と美酒を、数多く生みだしている。



 「よう来た。よう来た。
 さっそく来てくれるとは、わしとしても嬉しい限りだ。
 おう。たまも一緒か。すごかったなぁ、お前のあの名演技は!
 遠慮することはない。入れ、入れ。ここがウチの酒蔵だ」



 黒塗りのタクシーが止まった瞬間。
待ちかねていた小原庄助が、酒蔵から、脱兎のように飛んできた。
和服を着ていた昨夜とは異なり、今日は地味な酒蔵の作業着などを着込んでいる。


 「すんまへんなぁ。
 小春は野暮用で、本日は来られまへん。
 代わりにあたしが、この子達の面倒を仰せつかってまいりました」


 「いやいや。市さんに謝ってもらったのでは、こちらが恐縮してしまいます。
 小春が酒蔵へ顔を出さないのはいつものことです。
 気にせんといてください。
 今日は、素晴らしい芸を見せてくれたたまと、清子へのご褒美です。
 と言っても、まだ15歳の清子に、酒蔵見物などの興味はないか・・・・
 おい。娘の恭子を呼んでくれ。
 たまと清子は、喜多方の町の探索と、美味しいラーメンのほうがいいだろう。
 娘に案内させるから、ゆっくり町を歩いてくるといい。
 市さんは、やっぱり搾りたての純米酒のほうがいいでしょうなぁ。
 今年も良いカスモチ原酒※が出来たので、早速、試飲といきますか」


 (へぇぇ・・・喜多方の小原庄助さんには、娘がいるのか。)



 どんな娘さんだろう、と期待がわいてくる。
清子の耳に、遠くから軽快に石畳を蹴る、カラコロと鳴る下駄の音が
聞こえてきた。


 
  ※カスモチ原酒とは
 厳選された会津米と、霊峰飯豊山の雪解け水からうまれる伏流水を用い、
 身も凍る厳寒期に仕込まれる酒のこと。
 ゆっくり、気長に、じわりじわりと発酵させていく。
 晩春の頃、初めて出荷される。
 酒を仕込んだモロミを、カスと言う。
 モチは、長く持たせるという意味で、寒造り低温長期発酵が最大の特徴。
 口あたりはきわめて豊潤。
 こうじを多目に加えた天然の甘い酒で、創業200年の伝統の醸法を厳格に守り、
 今日に受け継がれてきた名品。



(38)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (36)

2017-01-26 17:09:08 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (36)
 清子の日記




 深夜の布団の中。清子が、電気スタンドを引き寄せる。
ついさっき、12時の時報がなったばかりだ。
腹ばいになった清子がノートに向い、書き込みを始める。


 『おい。何やってんだ、清子・・・』
口に何かを咥えたたまが、のそりと姿をあらわす。
『よっこらしょ』わざわざ遠回りの道を選び、清子の背中へのぼってくる。
『何書いてんだお前、さっきから』清子の手元を覗き込む。


 『日記です。
 今日あったことや、覚えたことなどを忘れないうちに、こうしてメモしておくの。
 こうしておけば安心でしょう。忘れたりなんかしないもの』


 『普通は、頭で記憶して覚えるもんだろう。
 もっともお前の場合は、特別だからな。
 メモを書いたとたんに安心して全部、まとめて忘れちまうからな。
 でもまぁ、何もしないよりは、まだマシか』


 『たま。お前の口は、いつでもひとこと余計です。
 あたしが機転をきかせたおかげで、お座敷の綱渡りも無事に済んだのよ。
 感謝しているのなら、あたしに、お礼を先に言うべきでしょう』



 『あん時は全くもって、肝を冷やした。
 あんな格好のまんま、綱渡りなんかした日にゃ、命がいくつあっても足りねぇや。
 ありがとうよ確かに助かった。大いに感謝しているぜ』


 『感謝しているのなら、いい加減に、あたしの背中から降りなさい。
 子猫のくせにやたらと重いわねぇ、おまえは』


 『言うねぇ。清子も。
 忘れ物を拾ってきてやったというのに、感謝の前に、いきなりの小言かよ。
 なんだよ。いらないのなら、また捨ててきちまうぜ』


 『わたしの忘れ物?。いったい何を、拾ってきたのさ?』



 『何だかよくわからねぇ。
 だがよ。妙に乳臭い、細長いバンドみたいなもんだ』


 『乳臭い、細長いバンド・・・・え。あ、ああぁっ!』



 清子が布団をはねのけ、いきなりガバっと飛び起きる。
たまが咥えてきたのは、洗面所へ忘れてきた、新調したばかりのBカップのブラジャー。
浴衣の襟を、いそいでかき合わせた清子が、たまの口からブラジャーを奪い取る。
『簡単には離さないぞ。ちゃんと礼をいうまでは・・・・』
たまも簡単には離さない。必死に食い下がる。
清子の新調したばかりにブラジャーに、たまがぶらりとぶら下がる。


 『こら。離しなさい。BカップがCに伸びちゃうじゃないのさ。たま!』



 『お前。いつの間にBカップになったんだよ。
 このあいだまで確か、ブカブカで、隙間だらけのAだったはずだ!』


 いつものように、右から清子のパンチが飛んでくる。
『へへん。お前の攻撃なんざ、すでに見抜いておるわい。右から来ると見せかけて
本当は、左からの平手打ちが本命だ。その手は食うものか。おっとっと・・・」
ひひひと笑った瞬間、たまの口がブラジャーが外れてしまう。


 『愚か者。結果が出る前に笑うから、みずから落ちる羽目になるのです。
 こら。たま。乙女の胸を、大きな目をして覗き見るんじゃないの!。
 お願いだから、少しのあいだあっちを見ててちょうだい。
 すぐに済むから・・・・』



 『どうしたのさ。賑やかだけど、何か事件でも起こったのかい?』
カラリと襖が開く。寝る支度を整えた小春姉さんが、隣室から顔を見せる。
『あ、いえ。なんでもありません』あわてて胸元を整えて、清子が正座する。
清子の膝の上で『いつもの、小競り合いです』とたまが、ヘラヘラと笑い返す。



 「そう?。何事もないの。ならいいのですが。
 明日は早くから喜多方に出向きます。たまも清子も、早く寝なさい」


 じゃあね、と襖に手をかけて閉めようとする小春に、なぜか清子が食い下がる。



 「小春お姐さん。
 喜多方の庄助旦那様は、たまと清子と小春姐さんの3人でおいでくださいと、
 熱心に誘って下さいました。
 小春姐さんと喜多方の旦那様には、深い縁が有ると伺っています。
 なにゆえに小春姐さんは、お誘いをお断りしたのですか?
 せっかくのお誘いです。
 3人揃ってお伺いするのを、楽しみにしていると思うのですが?」



 「他意はありません。売れっ子芸者は忙しいのです。
 別口の先約がありますので、明日は無理です。
 そのかわり。市さんにお願いしておきましたから、安心して行ってきなさい。
 私のことは気にしないでください。
 たまと一緒に、蔵とお酒と、ラーメンの街を満喫しておいで」

 
 「ふぅ~ん。蔵と、お酒と、ラーメンの街だってさ喜多方は。たま・・・・」


 「素敵な街です、喜多方は。
 明日のお出かけを楽しみに、もうおやすみなさい、2人とも。うふふふ」


(37)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (35)

2017-01-25 18:13:28 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (35)
 たまの綱渡り



 「さぁて。すべての準備が整いました。
 それではそろそろ、覚悟を決めて、綱渡りとまいりましょうか、
 うふふ。たま」


 清子がニコニコ笑いながら、たまの首筋をなでている。
『冗談じゃないぜ、まったく。人ごとだと思って、呑気だな清子は・・・』
目の前でふわふわと揺れている、綱渡りの細い紐を見つめながら、
たまが額から一筋、脂汗を流している。


 「ちょっと待て。その猫に、もうすこし細工しょうじゃないか。
 その格好ではまだ、なんとも地味すぎる。
 見た目がもっと、パッと映えるような小道具はないか。
 探せ、さがせ。そのあたりに、何かあるだろう」



 庄助旦那の再度の提案に、一同がドッとどよめく。
女たちが、室内に置いてある道具や人形を片っ端から物色していく。
棚に、勇ましい武者人形が飾ってある。
熊にまたがった金太郎が、床の間に置いてある。


 「そらまた良い考えどすなぁ。何か無いかしらねぇ・・・小道具が」


 「そうやねぁ。せっかくのたまの晴れ舞台です。
 手ぬぐいと日傘だけでは、たしかに、寂しいものがありますねぇ」



 「もうすこし、凛々しくしてはどうですか。
 武者人形の兜なんかどうでしょう。
 ついでです。鎧も全部着させて、猫武者風に仕立てあげましょうか」


 「おっ金太郎がいるぞ。金の字の腹掛けなんかどうだ。
 頭に兜。、腹に金太郎。
 悪くはないが、まだ地味すぎるなぁ。もっとほかに何か無いか、
 これではまだ、格好がさびしすぎる」



 「長靴なんか、どうですか。
 さきほど入口で、幼子用の長靴を見かけました。
 ひとっ走りしてそれを取ってまいりましょう。いい絵になります」


 「そいつはいい考えや。兜に、金太郎、長靴で決まりだな。
 清子、準備ができるまでその子猫を絶対に逃がすんじゃないぞ。
 オジサンがいまから、凛々しく飾ってあげるからな。
 ははは。なにやら一気に、面白くなってきたぞ。
 いまから史上最高の傑作が観られるぞ」


 たまがジタバタと抵抗する。しかし。それも虚しく兜やら腹巻やら、
長靴などの小道具が無理矢理、たまに装着されていく。



 『こら。や、やめろ。おまえら。
 清子まで一緒になって喜んでいる場合じゃないぞ。
 綱渡りをさせられんだぜ。
 ごちゃごちゃこんなものをおいらに取り付けて、いったいどうするつもりだ。
 綱から落ちたら、さすがのオイラだって只じゃ済まねぇ。
 笑ってる場合じゃないぜ、清子ったら。
 早く助けろ。な、なんだよ・・・・お前。
 なんだかんだ言いながら、結局、お前が一番、喜んでいるじゃねえか。
 喜んでいられるのも今のうちだ。
 あとでかならず仇をとってやるからな。よく覚えておけ、この薄情女』


 『お口が下品です、たま。
 いい加減で、あきらめてください。
 みなさん、おまえの綱渡りにたいへん期待しております。
 先程から、お待ちかねです。
 みなさんのおかげで、ずいぶん凛々しく、男らしくなりましたねぇ。
 はい。それではそろそろ参りましょう。
 たま渾身の綱渡りのお座敷芸を、みなさまにお見せいたします』



 ヒョイと持ち上げられたたまが、清子の手で綱の上へ移動する。



 『よ、よせ。清子。た、高すぎるぞ。目がくらむ!。
 悪いことは言わないから、こんな乱暴なことは今すぐに、やめろ!』



 『何言ってんの。このくらいの高さで。
 あんた。ミイシャに会いにいくときは、平気で高いところをヒョイヒョイと
 渡っていくじゃないの。
 あれから見れば、こんなもの、目をつぶったって行けるわよ。
 男の子なら、もう覚悟を決めていきましょう。
 いきますよ。はいっ』


 清子が合図した瞬間、たまの両足が綱の上に置かれる。


 『万事休す。もはやこれまで!』
たまがすっかり覚悟を決める。
『こうなったら意地でも向こう側まで歩いてやる。
だけどよ。兜に、腹掛けに、長靴だろう。おまけに背中に日傘を背負っているんだ。
これじゃ茶釜のタヌキより、重装備じゃねぇか。
ま。などと泣き言を並べてもはじまらないか。みんが期待して見ているんだ。
じゃ・・・ぼちぼち行くか。覚悟を決めて・・・」


 たまが覚悟をきめて、1歩目を踏み出す。その瞬間。
ピンと張られていた紐が、ぱたりと音を立てて畳の上に落ちる。
たまには、何が起きたのか、さっぱり意味がわからない。
『な、なんだぁ。何がどうしたんだぁ?』背中をつかまれたたまが、
ふわりと畳の上にある腰紐へ軟着陸する。



 「よしよし、いい子だ。
 そのまま。そのままでいい。そのままでいいから、紐を踏み外さず、
 こっちまで歩いてこい。
 出来るだろうお前。そのくらいの芸なら」


 おいで、おいでと紐の向こうから、庄助旦那がたまを手招きする。
笑顔の小春と、市もそこに座っている。
清子までいつの間にか、紐の向こう側に陣取っている。
おいで、おいでと全員が、たまに向かって手招きをしている。



 『なんだよ。さんざん人を脅かしておいて、最後はこういう仕掛けかよ。
 よしっ。一世一代の、おいらの晴れ舞台だ。
 優雅に綱を渡りきったあと、着地は、後方宙返りの4回転ひねりを決めてやるぜ。
 見てろよ。おいらの芸は、あとで高くつくぞ!』



 たまが優雅に綱の上へ、最初の1歩を踏み出す。
お座敷から、ワァ~という大歓声とともに、大きな拍手が湧き上がる。

 
 (36)へ、つづく


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