ぐるぐる☆インディア  ~ 廻る廻るよ、宇宙は廻る。

踊り手の日々想う色々しのごの。
西へ東へ、あっちこっち。

踊りにジャンルなし!国境もなし!

フリーダム@ヨーガ!

2009年10月07日 | ヨ~ガ、よ~がす …我が身は実験台。 

なんということでしょう。

これもお導きで(としか思えません)、定期的にお山の麓でヨーガを指導させていただく流れになりました。

と言っても

(´-ω-`) 10年は初心者。


と言われている世界です。 しかも、毎日毎日熱心にやって10年。
(踊りもそうかと思います)

今の私にできることは、具体的な動き方の説明と、昔取った杵柄でマントラの意味(字面だけですが)の説明くらいです。
でも全くの初心者の方に、安心して取り組んでいただけるクラスにしたいと思っています。


(´-ω-`) これをきっかけに、皆様ご自身のヨーガが深まることを祈ってやみません。


などと、志は高く・お導きは激しく、しかし私自身初心者でどーするんだ、ヒヨコがヒヨコの面倒みて大丈夫か?

と、泡喰って(自転車操業・・・) 『1%の理論』 を学びに先週末、某ヨガ道場まで行って講義を受けてきました。

いやぁ~~、わからんことは先輩に聴くことです。 しかも日本人で日本語なのでわかりやすい。
謎が解ける、謎が解ける。 
漠然と思っていた事柄が、確固とした言葉で表明されるヨロコビ。

(´-ω-`) ヨーガは自分が実践することのみならず、ひと様に教えることもヨーガなのだ。

自己との対峙を深めていく先には、ひと様がいるものだと。 
自分ばかりでなく、他人にも向かえよ、独り占めはあかん! …そゆことか。

(´-ω-`) 独り占めは楽し過ぎるから ダメダメーー!
 
そうです。悟りを開いた直後のブッダとて「教えるの勿体ないわ」と、すぐには動かなかったくらいですから。


自己というチクワを穴の中へ中へ押し込んでいくと、いつの間にやら裏返ってまた筒状に。 


なんか変な例えだが、裏返ったチクワが浮かんでしまったから仕方が無い。
なんだか、印度人ぽい考え方だなあと感慨に耽る。

 

あ。チクワが、ぢゃないよ。


長くなったのでこの辺で切り上げますが、グットキた言葉を最後に書かせていただきます。

『伝統を勝手に変えるな。 
何故ならば、自分たちで勝手に作ったものを練習するのは「外的な自由を通して内的制限を作り上げること」であるからだ。』


先達たちが作り上げたヨーガのシステムは天啓ですからね。 
単なる気まぐれや、試行錯誤の創作じゃないのです。

例え(今は)できなくても、伝統のシステム通りにやってみる。 
できなかったとしても、その「できなかった」が、そ の 時 点 の 自分のヨーガなのではないでしょうか。


外からの枠組みに 敢 え て 己をはめ込むことによって「自由」に導かれる。


そういう考え方だそうですよ、ヨーガ。  深いねぃ・・・
景気づけに貼っておきます。 Nina Hagen が詠じます。 
Om Namah Sivaya. 名曲でやんす。




このアグレッシヴなマントラはどーだ!


女のたしなみ。

2009年10月03日 | ラヴ ユー 東京

感情を表現するように言われました。 踊りで。

登り終えることの無い山ですな、踊り道。

ひたすら己との対峙です。 
私にとって踊りは、他人様と競争するものではないし、ましてや、お見せしてナンボのものではないです。

オーディエンスありきの踊りの世界とは少し異なる感があります。

しかし、オーディエンスが存在する以上、無視してはならないとも思うのです。

話が横道に反れました。 
トルコ人先生、アナトリアの大地に響き渡るよーな声で言うのです。

( ゚Д゚) なんで日本人は、感情をあらわさないのー!


ウマイんだよねー。 技、日本人、まねウマイから。
でも違う。 音聴いて! 音感じて! 頭で考えないで! 頭 無 視 で 踊って!!


この簡単な短い日本語の中に、新たな頂が見えるのです。

トルコ人先生はどちらかというと、技術よりも表現重視の方針の御仁で、決まった振付よりもアドリブのレッスンが多いのです。
仲間同士とはいえ、皆が座って見ている中で一人アドリブを披露するプレッシャーは、なかなかのものですぜ。

どうしても 「巧く踊らなくては」 「間違えないようにせねば」 「笑わなくちゃ!」 の3大必要悪?が自動的にスイッチオンになるのです。


・・・巧く踊らなくちゃいかんのか? 何故?
間違えるって何を? 何が間違いで間違いじゃないのか?
笑わなくちゃいけないのか? 笑うとするなら、何故笑う?

同時にココロの叫びが渦巻いて、困惑したまま持ち時間が終るのです。
そして、前述のコメントです。 

私の場合は「困惑」の感情を封じ込めるがために、精一杯のワザを駆使したようです。
それが逆に、困惑を表していることになった。
あはあは笑いの「動き」で終了。 そんな感情表してどうするのだー。
二重三重に問題です。 ややこしーなー。


(´-ω-`) そうだ、困惑しなければいいのだ。


なんとなく辿り着くも、じゃあ、どうすりゃ困惑しないんだ。スイッチオフにしちまって、本当にいいのかい?
それはそれで、新たな困りが生ずるんちゃうか?

更なるグルグル感に苛まれていると、トルコ人先生はさらに言い賜るのです。

表現してほしいのはね、 「女」よ。 皆さん、女でしょう?
自分の中の女を出してほしい。 エレガントに。


          オンナ!! ジブンノナカノ!
                

長年考えていることなのですが、本当の女らしさって何でしょうね。
肉体の形状ではないような気がします。 ある種の「強さ」のような気がします。

(´-ω-`) 強さは「やさしさ」の裏づけとなるものだからです。

やさしさは、許していくことだと思うからです。 
強くないと許せません。

一抹の強暴さは持ち続けたいものだ、女のたしなみとして。  暴が余分か。


ここで映像です。 来日記念です。 ココロの師匠:オレィシオ様の艶姿↓




エレガンスとはこのことね。