なんということでしょう。
これもお導きで(としか思えません)、定期的にお山の麓でヨーガを指導させていただく流れになりました。
と言っても
(´-ω-`) 10年は初心者。
と言われている世界です。 しかも、毎日毎日熱心にやって10年。
(踊りもそうかと思います)
今の私にできることは、具体的な動き方の説明と、昔取った杵柄でマントラの意味(字面だけですが)の説明くらいです。
でも全くの初心者の方に、安心して取り組んでいただけるクラスにしたいと思っています。
(´-ω-`) これをきっかけに、皆様ご自身のヨーガが深まることを祈ってやみません。
などと、志は高く・お導きは激しく、しかし私自身初心者でどーするんだ、ヒヨコがヒヨコの面倒みて大丈夫か?
と、泡喰って(自転車操業・・・) 『1%の理論』 を学びに先週末、某ヨガ道場まで行って講義を受けてきました。
いやぁ~~、わからんことは先輩に聴くことです。 しかも日本人で日本語なのでわかりやすい。
謎が解ける、謎が解ける。
漠然と思っていた事柄が、確固とした言葉で表明されるヨロコビ。
(´-ω-`) ヨーガは自分が実践することのみならず、ひと様に教えることもヨーガなのだ。
自己との対峙を深めていく先には、ひと様がいるものだと。
自分ばかりでなく、他人にも向かえよ、独り占めはあかん! …そゆことか。
(´-ω-`) 独り占めは楽し過ぎるから ダメダメーー!
そうです。悟りを開いた直後のブッダとて「教えるの勿体ないわ」と、すぐには動かなかったくらいですから。
自己というチクワを穴の中へ中へ押し込んでいくと、いつの間にやら裏返ってまた筒状に。
なんか変な例えだが、裏返ったチクワが浮かんでしまったから仕方が無い。
なんだか、印度人ぽい考え方だなあと感慨に耽る。
あ。チクワが、ぢゃないよ。
長くなったのでこの辺で切り上げますが、グットキた言葉を最後に書かせていただきます。
『伝統を勝手に変えるな。
何故ならば、自分たちで勝手に作ったものを練習するのは「外的な自由を通して内的制限を作り上げること」であるからだ。』
先達たちが作り上げたヨーガのシステムは天啓ですからね。
単なる気まぐれや、試行錯誤の創作じゃないのです。
例え(今は)できなくても、伝統のシステム通りにやってみる。
できなかったとしても、その「できなかった」が、そ の 時 点 の 自分のヨーガなのではないでしょうか。
外からの枠組みに 敢 え て 己をはめ込むことによって「自由」に導かれる。
そういう考え方だそうですよ、ヨーガ。 深いねぃ・・・
景気づけに貼っておきます。 Nina Hagen が詠じます。
Om Namah Sivaya. 名曲でやんす。
このアグレッシヴなマントラはどーだ!