幸せのカケラ

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頭の中のリビングウィルと、命と向き合うリビングウィル

2015-01-09 00:42:47 | 幸い病気のおかげさま

『健康第一』という言葉を耳にしたことのない日本人は少ないだろうな…と思う。

でも本当に「健康第一だわ~!」と腹の底から思い、
命や体、そして健康というものと向き合ったことがある人は…?というと、
どのくらいいるのだろう?

私自身、『健康第一』なんて子供のころからあまりに耳にしすぎていて、
少しも真剣に考えていなかったことに、倒れて初めて気づかされた。
きちんと向き合っていなかったんだなと気づいたのは、
健康を失った時だったというわけだ。

「失くして初めて気づく」とはよく言ったもの。



公開講座『患者学』で
「リビングウィル」や「事前指示書」について考える機会があった。

延命治療を希望するかとか
臓器提供をどうするかとか
他にもいろいろなことが含まれる、考えさせられる事案。

私が思ったのは、
実際に自分の命を向き合った時と
頭の中でイメージして出す結論には雲泥の差があるということ。

おかしな言い方かもしれないけれど
私たちは健康を害するチャンスがなければ、
『健康第一』の言葉の重さすら感じない。
本気で自分の心や体と向き合わない。
自分の命と向き合わない。
自分の人生と向き合おうとしない。

もちろんすべての人がそうであるとは言わないけれど。
何かしらのきっかけがなければ、
積極的に向き合いたいとは思わないことなのかもしれない。

向き合った経験のある私に言わせていただけるなら
そういったことと向き合えるって、とても幸せなことなのだけれど。


健康なとき
ー自分の命や体、人生、健康などと腹の底から向き合う経験をしたことがないときー、
その判断は『頭』に頼ってしまいがち。
・世間でこう言われているから
・この方が世間的に認められるだろうから
・一般的にこういうものだろうから
・この方がいいって言われた(読んだ/聞いた)から
・家族がこう思うだろうからetc...
出す回答は、「いい子」の「理想的な」ものになる可能性が高いように思う。

どんなに情報を集めたとしても、それはあくまで『外部の情報』。
それは『自分の内側』から沸き起こってきた自分の意志ではない。

とはいえ実際、どう向き合ったらいいのかすら、わからない場合が多いのだろうとも思う。


私が指1本自分の意志では動かせず、
呼吸するのすら困難な状況になって初めて
健康や命と向き合ったとき、
頭の中の理想論なんてものは自分の中に存在していなかった。

そこにあるのは、ただ現実。

自分の体と向き合うこと
自分の人生と向き合うこと
夫と向き合うこと
両親と向き合うこと
過去と向き合うことetc...

倒れる前の自分よりもずっと、自分自身と向き合い寄り添い、
幸せだとすら感じていた。


こういった状況において自分の内側から湧き出てくるリビングウィルと、
腹の底から命と向きある経験のないまま思考によって決定するリビングウィルが
同じであるはずはないのではないか、と私は思う。

だからといって、病気になることを推奨しているわけではない。
もちろん病気にならなかったら向き合えないと言っているわけでもない。
そこは誤解しないでいただきたいのだけれど。


正しい答えが存在しているわけではない。

でも

「頭で理想であろうこと」を想像して決定するほど、命は軽くない。


そんなことと向き合った今日。


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