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講演会、ありがとう

2015-06-18 11:38:57 | 幸い病気のおかげさま

慶応大学看護医療学部での講演会、無事に終えてきました。
お越し下さったみなさま、ありがとうございました!

 おもしろかった!
 共感した!

という声をくださった患者経験のあるみなさま、看護を学んでいる方々他
しっかり受け取ってくださったみなさま
ありがとうございます。

私が病気を通して見つけた心と体のつながりは
病気とは関係なく、すべての人に通じるものです。

それをダイレクトに経験してるか、
気づかずにやりすごしているかの違いなだけ。

心の状態は体に現れるし
体の状態も心に現れます。

なので、体調不良がすべて体だけの問題とは言えないし
もちろん心だけの問題とも言えません。

人間はすべて数値化できるほど単純ではありませんので
「数値に現れない≠異常がない」です。

一方、人間は驚くほど単純な面ももっているので
「心と体と魂はすべてつながっている」という視点から本当に大切に自分と向き合えば、心と体は必ず応えてくれると思うのです。

そしてこれは別に「病気」という限定された場合に限らず
ごくごく普通の日常を送っている人すべてに当てはまることだと思います。

ただ残念ながら、
私も含めて“大きく健康を損なう”等の経験をしないと気付けない人が多いわけですが。



私の長きにわたる闘病生活は、西洋医学側にのみ立つ方々からすると
「???」
という点も多いだろうと思います。

受け入れたくないと思う医療者もいるだろうなと思うし
事実、私の体験を話して返ってくる言葉に
「うーん…結局伝わらないか~…」と残念に思うことは正直よくあります。


実際、中学生の頃からあった体調不良は
ずっとずっと『原因不明』。

当時(今から25年くらい前かな?)はまだ
今ほど心と体のつながりに注目している人はいなかったし
「心の問題」という言葉の裏には
 「気の持ちよう」
 「気持ちが弱いから悪い」
 「あんたがおかしいんじゃないの?!」
という悪意が潜んでいました。

「そんなつもりはない!」と言われるかもしれません。

でも
「はぁ~?!気持ちの問題なんじゃないの~?!」とか
「俺だってそんな風になることあるよ!」なんて
子どもの私が“医師という肩書きを持った大人の男”に上から目線で言われれば、それは恐怖でしかありません。

「自分が悪いのか…、じゃあこの痛みや苦しみは我慢しなくてはいけない」
と自分を責めることしかできなくなるのです。

事実、子どもの頃からことあるごとにそう言われ続けた私にとって
生きるとは、34年間痛くて苦しいことでした。

なので

 「普通の人は、そんなに痛くないし、苦しくないんだよ」

と言われたときの衝撃といったら!


 えっ?! そうなの??!


基本的に病院に行くのは体調の悪いときです。
そんなときに医者という肩書きを持った人に断言されてしまえば、それがどんなに自分を傷つけるような言葉や態度でも、「違う」と言うのにはすごいパワーが必要ですよね。

それは大人になった今でもそう。
体調がそこそこのときですら、肩書きを出して強く言われると「どうせ表面的にしか聞いてもらえない」という、経験からの諦めが足を竦ませます。



ここまでの経験をしたということは

  誰かの役に立てないかな?

私が広島で療養生活を送っていたときに思ったことです。

医療に携わっている方々の理解も必要ですが
それ以上に、もうどうしていいかわからず途方に暮れてしまう患者や患者家族という立場にいるみなさんに、少しでも私の経験がヒントになればいいな、と。

そう思い、過ごしていた頃からの第一歩を 先日とうとう踏み出せたという感じです。

ありがとうございます。

聞いてくださる方がいらっしゃるから成り立つことだと思います。



自分の健康は自分で守れるように。
自分の心も 自分の体も、自分自身で守れるように。

「『医療』っていう言葉が昔あったんだって!」
「その分野の専門家がいたんだって!」
と笑って話せるくらい、
 健康を当たり前に自分で創造し守っていけるような人間社会になるといいな~
なんて思います。
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肉づけしてから、削ぎ落とす

2015-06-04 16:33:44 | 幸い病気のおかげさま
これから6月16日の公開講座『患者学』の打合せです。

パワーポイントを使ってのプレゼン資料作りは人生2回目。
(しかも1度目は10数年前に、むちゃくちゃなものを…)

どうしたら一番伝えたいことが伝わるのかな~?
どうしたらより伝わりやすくなるかな~?

カラーセラピスト養成講座と違って
カリキュラムがあるわけではないし
自分の体験をベースに伝えていくわけだし
パワーポイントを使ってなんて未知の世界!

資料を作っているうちに
横道に逸れてしまいそうになったり
盛り込みすぎてコアがわかりづらくなってしまったり
一番伝えたいことの伝え方に、一番戸惑ったり…

削ぎ落として
一番大切なポイントが伝わるようにするために
今日はお話してきます。

チラシできました!
もうすぐです♡
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講演会【回復力をあげる患者の技】

2015-06-02 12:19:32 | 幸い病気のおかげさま

6月16日(火)に慶応大学看護医療学部の加藤先生が開催されている
市民公開講座『患者学』でお話させていただくことになりました。

タイトル&テーマは
『回復力をあげる患者の技』


西洋医学的には「異常なし」
東洋医学的にも「気血の滞りとしか言えない」

それでも
動けない・歩けない・息ができない・全身がしびれる・
全身が麻痺する・話せない・発熱・嘔吐・頭痛・耳鳴り・めまい…
と、様々な症状が出、長期にわたって闘病を生活を送った私が、
どんな風に病気と向き合い、また自分と向き合って体を癒していったのか。

知っていてよかったこと、助かったこと
自分と向き合うって何なのか
家族や過去と向き合うことがどう病気と関係したのか
あの頃私はどんな気持ちで過ごしていたのか
患者の立場で言われたら嬉しいこと、傷つくこと
心と体って本当につながっているのか…

このように病気を癒していくために私がしたことをお話することで、
少しでも闘病中の方やそのご家族、また医療者の方にとっての
何かしらのヒントになればと思っています。


私が治療を受ける中で、ある治療家の方に言われた印象的な言葉があります。

曰く
「『治す』っていうのは、もとに戻すことじゃないんだよ。
 もとの状態より、より良くなってなきゃいけないんだ」



講演後はワールドカフェ形式で参加者同士のフリートークの場もあります。
参加費は無料。

Facebookにて『患者学』として情報公開されていますので、ご興味ある方はぜひ。
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患者も、医療者も。

2015-01-17 20:30:00 | 幸い病気のおかげさま

私は闘病生活に3~4年を費やした。
命をかけて、しかも病院では対応できない状態で、それでもここまで回復できた自分。

この体験は、似たような苦しみの中にある人たちの役に立てるんじゃないかな?
そうだと嬉しいな…

そう思って立ち上げたのが、闘病体験ブログ『幸い病気のおかげさま』だった。


そして、友人と会話をする中で出会った『患者学』。
この場において、患者や患者家族だけでなく、医療者や医療系大学に通う学生たちと会話を重ねた。

それによって私の中で、変化・進化したことがある。



ひとつは、医療者に対する感覚。

私は中学生の頃から約20年間、各地の病院で、たくさんの医者たちから暴言を浴びせられてきた。
数値に表れない私の症状は、それがどんなに苦しいものであっても、倒れて動けなくなってしまった状態であっても「あんた(私)が悪い」「あんたがおかしい」のだそうだ。

診察中にタバコを吸う医師に思いっきり煙を吹きかけられたことも何度かあった。
適当に打たれた注射によって、3日間腕がまったく上がらなくなってしまったこともあった。

こんな実話は他にもたくさんある。
私の感覚が変わってきたからといって、こういった事実そのものに対して「いいよ いいよ、気にしないで」とはやっぱり言い難い。


ただ私が今後活動していく中で、患者としての体験を伝え、医療者と患者の関係が対等な(患者学では『協働の関係』と言い表されている)ものにシフトしていくことに携わっていく場合、医者や西洋医学に対する私の中の感覚が『怒り』ではダメだと思ったのだ。

そう、怒り。

あれだけの長い年月の、しかも二桁に登るドクター・ハラスメントの体験は、私の中に大きな『医者不信』を生み出したし、『怒り』を植え付けた。


もし私が日本の片隅で「医者ってむかつくー!」とか「医者なんて大っ嫌い」と文句を言って暮らすことを意図して生活を送ると決めたのなら、別にその怒りや不信感はそのままにしておいてもいいのかもしれない。


でも私はそうではなくて。


私には長期間体の不調・痛み・苦しみを味わった患者として
この体験を通して伝えられることがある。

プロの立場から、自分との向き合い方を伝えていくことができる。



そこにより添っていく場合、医療者から目を背けてしまってはダメだと思った。
だってそれでは、ただの、片側にいる人間の傷の舐め合いになってしまう。


患者学の場に足を運ぶ医療関係者は、業界の中でも患者に対して意識が高い人たちだろうと思う。
西洋医学、医術だけではない何かがあることに、心のどこかで気づいていたり、「何かひっかかるけどまだ正体のわからないもの」を探していたりする人たちなのだろうと、ここでの出会いを通して知ることができた。


そんな彼らが言っていた。

「私が今までやってきたことって何だったんだろうって思って凹んだ」
「私は何を学んできたんだろう?あ、医学や看護学か。患者学とは違う…」
「患者さんの方がずっとよくわかってた」
「どうしたらいいんだろう」
「医療者が一番わかってるって、無意識に思っていた自分に気がついた」

彼らのその言葉は、とても人間らしい。
人間が、人間と向き合ったときに生まれてきた言葉なのだろうと思った。

これらの言葉が発せられるだけでも価値がある。


同時に感じる、専門的な知識と技術だけがあるという恐ろしさ。


学ぶことは大切だ。
知識も、技術も必要だ。

でも、自分が人間であり、相手も人間である以上、
根本的には人と人として向き合っていく必要がある。

相手と向き合うこと。
そして、もっと自分の中にあるものと向き合うこと。


ある看護師さんが、素敵なシェアをしてくれた。

 患者さんと話をする中で起こる、逃げたくなる感覚

私は、彼女が自分の中にあるその感覚を認めたことが、まず素晴らしいと思った。
さらにそれを、大勢の前で質問という形で出したことが。

逃げたくなった彼女。
その「逃げたい」と感じた部分に、彼女にとっての大きなものが隠れている。



 そうか。

 自分と向き合う必要があるのは、
 患者だけではなく、医療者側もなんだ…!



倒れてから、病気と向き合い治療してくる中で、私は
・自分の体
・心
・過去
・夫との間にある愛と信頼
・パートナーシップ
・親との関係
・トラウマ
・ひっかかっている人間関係
などと向き合うことが、体を癒し治していくことにおいてどんなに大切で機能することかを体験してきた。


では『自分と向き合う』とはどういうことか。

残念ながら私たちの受けてきた教育に、それは含まれていない。
なので患者学の場でも、私が体験を話すと何人かの方からは
「『自分と向き合う』なんて怖い…」
という言葉が零れ落ちる。

慣れてないし、知らないことだからね。
人間、自分の知らない世界は怖いのだ。

本当は世の中なんて、知らないことに満ちているのだけれど。
ついつい、知っていることがすべてだと思い込んでしまう私たち。

さらに『本当はそこにキーがある』ことを無意識に感じることができるのが人間だ。
気づいてしまえば、現実は動き出す。
だから必死に目を背ける。

向き合うには、ちょっとだけ勇気がいる。
でも、「怖いけど、でも…」と踏み切れれば発車可能だ。


私はそこと向き合ったからこそ、ここまで回復できた。

指1本自分で動かせなかった私が、今や1時間踊り続けることができるくらいにまでなったのだ。

そしてやってしまえばそれは、実はそんなに悪くない。
むしろ突破すると快感すら覚える。

だから患者の立場にある人や、患者家族として生活している人たちに、オススメしたいことだったのだけれど…。



 こっち側(片側)だけではダメだ!!



医療者も人間であるということはわかっていた。
でも、大事な部分に私は気づいていなかった。


他と同様医療者も、
自分と向き合うことを体験してきていない
のだ。


だから、自分の持っている知識と技術と立場でカバーしようとする。

でも患者側と対等&水平な関係を築く上で、それだけでは解決できない。
協働の関係が成立しない。
圧倒的に存在している溝は埋まらない。
壁は壊れない。


つまり、
医療に携わる人たちにも、
自分と向き合うトレーニングをする場が必要

だということ。

そこに気づかせてもらった患者学。



私はコーチで、セラピスト。

私の立場においてもっとも大切なのは、自分自身が自分と向き合い続けているか、だ。

自分と向き合い、ドロドロしたものや怖さ、悲しみ、喜び、怒り、幸福感を味わう体験を続けるからこそ、他人と向き合える。
そして現実を動かしていくことができる。

その体験がないまま、資格だけ取得してセッションするなんて恐ろしい。
それはただの、自分の価値観の押し付けでしかない。


同じなんだな、と思った。

コーチやセラピストとして立っている私と
医療現場に立っている彼らとは。

人と 命と 向き合うこと。

それは知識や技術だけではカバーできない。


長期闘病生活を送った患者体験者としてだけではなく、
自分と向き合うプロとして
私は今後、『医者と患者の協働な関係』の現場に携わっていく可能性が見えた瞬間だった。
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頭の中のリビングウィルと、命と向き合うリビングウィル

2015-01-09 00:42:47 | 幸い病気のおかげさま

『健康第一』という言葉を耳にしたことのない日本人は少ないだろうな…と思う。

でも本当に「健康第一だわ~!」と腹の底から思い、
命や体、そして健康というものと向き合ったことがある人は…?というと、
どのくらいいるのだろう?

私自身、『健康第一』なんて子供のころからあまりに耳にしすぎていて、
少しも真剣に考えていなかったことに、倒れて初めて気づかされた。
きちんと向き合っていなかったんだなと気づいたのは、
健康を失った時だったというわけだ。

「失くして初めて気づく」とはよく言ったもの。



公開講座『患者学』で
「リビングウィル」や「事前指示書」について考える機会があった。

延命治療を希望するかとか
臓器提供をどうするかとか
他にもいろいろなことが含まれる、考えさせられる事案。

私が思ったのは、
実際に自分の命を向き合った時と
頭の中でイメージして出す結論には雲泥の差があるということ。

おかしな言い方かもしれないけれど
私たちは健康を害するチャンスがなければ、
『健康第一』の言葉の重さすら感じない。
本気で自分の心や体と向き合わない。
自分の命と向き合わない。
自分の人生と向き合おうとしない。

もちろんすべての人がそうであるとは言わないけれど。
何かしらのきっかけがなければ、
積極的に向き合いたいとは思わないことなのかもしれない。

向き合った経験のある私に言わせていただけるなら
そういったことと向き合えるって、とても幸せなことなのだけれど。


健康なとき
ー自分の命や体、人生、健康などと腹の底から向き合う経験をしたことがないときー、
その判断は『頭』に頼ってしまいがち。
・世間でこう言われているから
・この方が世間的に認められるだろうから
・一般的にこういうものだろうから
・この方がいいって言われた(読んだ/聞いた)から
・家族がこう思うだろうからetc...
出す回答は、「いい子」の「理想的な」ものになる可能性が高いように思う。

どんなに情報を集めたとしても、それはあくまで『外部の情報』。
それは『自分の内側』から沸き起こってきた自分の意志ではない。

とはいえ実際、どう向き合ったらいいのかすら、わからない場合が多いのだろうとも思う。


私が指1本自分の意志では動かせず、
呼吸するのすら困難な状況になって初めて
健康や命と向き合ったとき、
頭の中の理想論なんてものは自分の中に存在していなかった。

そこにあるのは、ただ現実。

自分の体と向き合うこと
自分の人生と向き合うこと
夫と向き合うこと
両親と向き合うこと
過去と向き合うことetc...

倒れる前の自分よりもずっと、自分自身と向き合い寄り添い、
幸せだとすら感じていた。


こういった状況において自分の内側から湧き出てくるリビングウィルと、
腹の底から命と向きある経験のないまま思考によって決定するリビングウィルが
同じであるはずはないのではないか、と私は思う。

だからといって、病気になることを推奨しているわけではない。
もちろん病気にならなかったら向き合えないと言っているわけでもない。
そこは誤解しないでいただきたいのだけれど。


正しい答えが存在しているわけではない。

でも

「頭で理想であろうこと」を想像して決定するほど、命は軽くない。


そんなことと向き合った今日。
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病気と笑い④~医療現場での笑い

2014-12-05 20:30:00 | 幸い病気のおかげさま

病気と笑い③』のつづき


今、医療関係の大学では「笑いなさい」と教えられるらしい。

 へ~…そうなんだ。

まぁ確かに、昔の医者に比べるとずいぶん愛想のいい医師が増えてはきた。
それだけで「お、この先生、笑ってる…」なんて思ってしまうのだから、
まだまだ当たり前のこととしては浸透していないということなのだろうけれど。


さてこの「笑い」について。
医療関係の学部に通う学生さん達が戸惑いを露にしていた。

どの程度のものが求められているのかがわからず、イメージできないらしい。
また深刻な場での笑いは不謹慎ではないか、と。

うーん…
これって、医療の現場がどうこうというより、
『人として、人とどう向き合うか』ということなんじゃないかな?
と、私は思う。


たとえば誰かに助けを求めたいとき。
眉間にしわを寄せて、気難しそうな顔をしている人に声はかけにくい。
逆に表情がやわらかく、話を聞いてくれそうな雰囲気の人にだったら
安心して声をかけられる。

基本的には、医者も看護師も歯医者さんも、みんな同じだ。

「笑い」が重要だからといって、ニヤニヤしていてほしいわけではない。
ヘラヘラしていてほしいわけでもない。

ニコニコはしていてほしいけれど、
かといって深刻な状況や話をするときにニコニコされてしまうと、
「この人何考えているのかしら?」と思ってしまう。
また病院であれば、必要以上にハイテンションでいられても患者は疲れるだけだ。

患者(と患者の家族)が求めているのは、安心して任せられること。
話しかけやすい雰囲気。

果たしてこれは難しいことだろうか?
『人と人』として向き合ったら、当たり前のことなんじゃないのかな?


闘病中の笑いは大切だけれど、
だからといって病院のスタッフに大喜利を求めているわけではない。
もちろんそれが得意な人がいるのであれば、披露していただいてもかまわないけれど。

私はそんなことより「綺麗に咲いていたからおすそ分け~♪」なんて言って、
近くで撮ったお花の写真を見せて幸せを共有してくれようとする人が
たくさんいる方が嬉しい。

私の闘病中、お世話になったお医者さんはこの感覚が絶妙だった。

その日最後の患者としてクリニックに残っていた私に
「これ、僕の愛孫(あいまご)」なんて言って、
お孫さんたちの写真を見せてくださったり、
好きで撮りためたバラの花の写真を見せてくださったり。

“『愛孫』なんて言葉、初めて聞いた!!”
と、私は爆笑だった。



『笑い』には大きく2種類ある。
人を癒したり幸せにしたりする笑いと、
人をあざ笑い、傷つける笑い。

当たり前のことだとは思うのだけれど、人を元気にするのは前者の笑いだ。

だから病院で、人をバカにするような笑いは必要ない。
またスタッフ同士、内輪ウケの笑いも、患者には必要ない。


 “一緒に笑える、心がポカポカするような、幸せな笑い”


患者として、医療者との間に欲しいのはそんな笑いじゃないのかなって。
私は思うのだけれど、どうだろう?


もちろん、病院で大喜利が聞けるのなら、私は聞きに行きたいけどね。
それは医師や看護師が身につけなくても、プロを呼んだっていいことだと思うのよ。





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病気と笑い③~笑えないときもある

2014-12-05 18:00:00 | 幸い病気のおかげさま

病気と笑い②』のつづき


私個人の体験としては、
笑いを取り戻したのは病気になって自分と向き合ったからだった。

とはいえ、すべての人が
「病気になれば自分と向き合える」わけでも
「病気になれば笑いを取り戻せる」わけでもない。
あれはあくまで、私の個人的体験だ。
もちろん、似たような体験をしたことがある方はいらっしゃるだろうけれど。


 病気なのに笑えない。
 痛くて苦しい中で笑うなんてできない。

そんな声も聞いたし

 他人が笑っているのが嫌だった。
 他人の笑い声に嫉妬する。

そんな声も聞いた。

うん。そういう気持ちだって、あって当たり前。


そんな会話の中
「無理矢理でも笑顔を作ってみることに効果はあるのかな?」
と投げかけた方がいた。

うん、そういうの、あるよね。
笑顔セラピーとか、ありがとうセラピーとか。


やってどんな効果があるのか。
それは、人間がみんな違うように個人差がある。
個人差なんて、あってあたりまえ。

その人にとってそれがどういう結果をもたらすことになるのかは、
やってみた後のその人しか知らないのだから。


人間は予測する。
そして最良の結果を期待する。
行く末の見えていないことをすることに、戸惑いやためらいを覚える人も少なくない。

だけどさ、はっきり言ってしまえば

 “やってみなけりゃ わからないじゃん!”


予測して期待して、思い通りにいかなければ絶望したり怒ったり。
人間は忙しい。

でも予測も期待も、もとを辿れば自分が創り出したただのストーリーだ。



たとえば無理矢理でも笑顔を作ってみる。
一度や二度やったところで…ということで、まぁちょっとそれなりの期間、やってみる。
1週間とか、1ヶ月とか。もちろん、年単位だって問題ない。

「ありがとう」も同じ。
思ってなくても口にしてみる。
まだ結果が伴っていなくても、先に言ってみる。
それでいい。
そうじゃなかったら、『ホ・オポノポノ』があんなにすごい結果は出してない。

そうやって積み重ねてみる。

笑顔を作るにしろ、ありがとうを言うにしろ、
これのいいところは実践したところで何も失わないということだ。
うまくいけば、いい方に変わる。
うまくいかなかったら、現状と変わらない。
ただそれだけ。
しかも無料。

そして何より、笑顔も「ありがとう」も、基本的に人に幸せをもたらすものだということ。
人が幸せを感じているときに出てくる表情であり、言葉であるということ。

だからもし、興味があるならやってみればいい。
疑いながらでもいいから。

「やる」と決めた時点で、もう変化は起こってる。
実践し始めた時点で、もっと変化は起こってる。



笑えないとき
笑顔だけを無理矢理作ってみたっていい。
作れないなら、作れない自分を許してあげればいい。
笑えない自分がいることを認めてあげるのもいい。

何が自分を笑わせるかなんて、わからない。
少なくとも、私はそうだった。


   >『病気と笑い④』につづく





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病気と笑い②~笑いが戻ってきた頃

2014-12-05 14:00:00 | 幸い病気のおかげさま

病気と笑い①』のつづき



「笑わなくなってたな~…」と気づいた私だけれど、
じゃあ私はいつ、再び笑うようになったのだろう?

よくよく思い返してみると、それは闘病中だった。

闘病中の過ごし方は人それぞれだけれど、
大きくわけると2パターンにわけられるように私は思える。

 受け入れて向き合うか 嘆いて責めるか

こう書くと結構キツイ言い回しになってしまうけれど。

べつにこれは、いいとか悪いとか、だからダメだとかいう話ではないということだけは、
了承しておいていただけると嬉しいな。
このことについて書くと、また違ったテーマで語ることになってしまうので、
今回は書くのを避けるけれど。



自分の体験で言えば、私はまずその時の自分の体の状態を受け入れた。
そして、仕事などの抱えていたものをパッと手放した。

それがすぐにできたことは、とても楽なことだったと思う。
あの時の自分に拍手^^(笑)

次に自分の体と徹底的に向き合った。
痛みや苦しみ、その変化。
さらに、育ってくる中での実家の家族(特に母)との関係や、
夫との関係、自分の過去の傷や人間関係と徹底的に向き合った。

それはもう、吐きそうになりながら。

心と体はつながっている。
よく「あなたの病気は精神的なものだったの?」なんて聞かれるのだけれど、
病気ってそういうものではない。
逆に心と体が関係していない病気なんて、世の中にどれだけあるのだろう?
…あるのかな??

そうやって、自分の体や心、潜在意識の中に蓄積された経験と向き合い、
ひとつひとつ丁寧に解消・または完了させていった。


当時札幌で暮らしていた私が、闘病初期を送ったのは広島県。
指1本自分の意志で動かせないという状態からのスタートだったから、
東京から駆けつけた母が付き添ってくれていた。

母と2人、過去と向き合った2ヶ月間。
おとぼけだけれど根は真面目な母と、いい子でいようとし続けた長女の私。
2人の間の会話は、涙が絶えなかった。

そしてそんな風に闘病生活を送る中で、私は徐々に笑いを取り戻していった。

母との間に起こる笑い。
それはもう、本当にくだらない小さなことだった。
「どんなことで笑ってたの?」なんて聞かれても、もう思い出せない。
そのくらい、些細なことだった。

ただ覚えているのは、あまりにも毎日笑いすぎて、ふにゃふにゃになっていたこと。
2ヶ月が過ぎ、ひとまず実家に帰ろうとコンビニに荷物を運んだとき、
またも笑いが止まらなくなった私たち。

「もう…トイレが我慢できなく…これ以上笑わせないで~~~っ!!」

くっだらない小さな笑いが、とても愛おしかった。


   >『病気と笑い③』につづく





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病気と笑い①~笑わなかった「健康時代」

2014-12-05 11:40:31 | 幸い病気のおかげさま

「笑い」は体にいいとか
NK細胞が増えるとか
病状が良くなったとか
価値観が変わって快方に向かったとか
そういった話はしばしば耳にする。

体験があるからこそ、それは語られるのだと思うし
自然療法を少しかじれば
「笑い=NK細胞の活性化→免疫力が高まる」
という図式は当たり前だとも思えてくる。


ところで『笑い』って何だろね?

昨日の公開講座『患者学』のテーマは『笑い』だった。


自分の体験を振り返ってみると
私が「最近笑ってないな…」と気づいたのは倒れる数年前のことだった。

それまではおかしいこと、楽しいことがあったら
床を転げ回って大笑いしていたはずなのに。

生きることに必死で
生活することに必死で
押し寄せる不安や不信感に必死に抗って
「仕事しなきゃ」「稼がなきゃ」「何とかしなきゃ」と足掻いていた頃。

気づくと、私は笑わなくなっていた。
楽しさも、嬉しさも、おいしさも、今思えば全然感じていなかったのではないかな。
おそらく、疲れ果てていた。

そんな数年を経て、倒れる半年ほど前。
私は、自分が色のついた洋服を着られなくなっていることに気がついた。

白や茶色を着ると安心する。
「あー…疲れてるんだな~…」とは思ったけれど、
それが体からの最後通牒だとは気づけずにいた。

頭の中は常にごちゃごちゃしていて、爆発しそう。
生きるのはシンドイ。
いっそ死んでしまいたい…なんて、当たり前のように思っていた。

笑わなくなっていた私は、「何だかな~…」とは思いつつも、
それがとんでもなく危険な状態であることには気づけずにいた。

もっと言ってしまえば、
それが危険な状態であったのだということに気づけたのは、今だ。

今、自分の心や体の変化を改めて探究したり、
患者学に出て自分の内側を見ながら体験をシェアしたりすることによって、
『日常生活で笑っていないことの危険性』を改めて感じたから。

「笑いは人を健康にする」とか「笑いが病気を治す」と言う。
医療現場でもそれは注目されているし、
そんな講演を行っている大学病院の先生もいらっしゃる。
私も確かにそうだと思う。

けれど、“自分は健康なつもりの多くの社会人”は、
日々の生活に謀殺されてしまうと“笑っていない自分”にすら気づくチャンスがない。

 大丈夫なつもりでいる。
 または、大丈夫な自分でいなければゆるされない。

“自分は健康なつもりの社会人”
それは実は、命がけで綱渡りしている予備軍なのだということに、気づけない。
または
気づくことにストップをかけている。

気づいたら、何かが変わってしまう…
もしかしたらそんな漠然とした不安が、
無意識に「気づくこと」にストップをかけているのかもしれない。


  >『病気と笑い②』につづく





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患者の言葉 ③ ~公開講座『患者学』

2014-11-28 22:00:00 | 幸い病気のおかげさま

~『患者の言葉 ②』のつづき~


彼が教えてくれたのは、
慶応大学の加藤眞三先生が主催されている
『患者学』という公開講座でした。

「患者に学ぶ、患者も学ぶ」
をコンセプトにしているこの会。

 何だかものすごーく惹かれる…


というわけで早速連絡をとり、参加させていただいてきました。

患者さんの話を聞き
ワールドカフェ形式で全員参加して対話をし
何かに気づいたり交換したり。

私は、自分の闘病体験から得たこと
社会復帰した後に取り組んだこと
カラーセラピスト・コーチという自分の仕事を通して
気づいたりクライアントさんと共に体験していること
などと通じるものを話したり受け取ったりして帰ってきました。


病気であろうと
基本的に健康体であろうと
現実と向き合ったり
自分を変えていこうとしたりするには
少々エネルギーというか、覚悟が必要です。

自分の経験上、覚悟して取り組んでしまった方が
目をそらして逃げ続けるより結果としては楽。

でもたぶん、
「向き合う」と決めるまで…その第一歩を踏み出すまでの間に、
多くの人は躊躇したり戸惑ったりするのだろうと思います。

それは実際に、
私が闘病中にお世話になったお医者さんや整体師さん、
そして今回の患者学に参加されていた方々も仰っていました。

うん、そうね。
そうなんだろうな。


今、私は「元気になった」と言えるようになりました。
「病気になってよかった」とは、あの頃から思っています。

そして、闘病と、
今年になって体験している体とコミュニケーションしていく方法を通じて、
人間の持っている力の大きさや深さを味わっています。


患者学を紹介してくれた友人がくれた言葉

 『体験と存在が貢献でござる』

ほんとにね。




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