『病気と笑い①』のつづき
「笑わなくなってたな~…」と気づいた私だけれど、
じゃあ私はいつ、再び笑うようになったのだろう?
よくよく思い返してみると、それは闘病中だった。
闘病中の過ごし方は人それぞれだけれど、
大きくわけると2パターンにわけられるように私は思える。
受け入れて向き合うか 嘆いて責めるか
こう書くと結構キツイ言い回しになってしまうけれど。
べつにこれは、いいとか悪いとか、だからダメだとかいう話ではないということだけは、
了承しておいていただけると嬉しいな。
このことについて書くと、また違ったテーマで語ることになってしまうので、
今回は書くのを避けるけれど。
自分の体験で言えば、私はまずその時の自分の体の状態を受け入れた。
そして、仕事などの抱えていたものをパッと手放した。
それがすぐにできたことは、とても楽なことだったと思う。
あの時の自分に拍手^^(笑)
次に自分の体と徹底的に向き合った。
痛みや苦しみ、その変化。
さらに、育ってくる中での実家の家族(特に母)との関係や、
夫との関係、自分の過去の傷や人間関係と徹底的に向き合った。
それはもう、吐きそうになりながら。
心と体はつながっている。
よく「あなたの病気は精神的なものだったの?」なんて聞かれるのだけれど、
病気ってそういうものではない。
逆に心と体が関係していない病気なんて、世の中にどれだけあるのだろう?
…あるのかな??
そうやって、自分の体や心、潜在意識の中に蓄積された経験と向き合い、
ひとつひとつ丁寧に解消・または完了させていった。
当時札幌で暮らしていた私が、闘病初期を送ったのは広島県。
指1本自分の意志で動かせないという状態からのスタートだったから、
東京から駆けつけた母が付き添ってくれていた。
母と2人、過去と向き合った2ヶ月間。
おとぼけだけれど根は真面目な母と、いい子でいようとし続けた長女の私。
2人の間の会話は、涙が絶えなかった。
そしてそんな風に闘病生活を送る中で、私は徐々に笑いを取り戻していった。
母との間に起こる笑い。
それはもう、本当にくだらない小さなことだった。
「どんなことで笑ってたの?」なんて聞かれても、もう思い出せない。
そのくらい、些細なことだった。
ただ覚えているのは、あまりにも毎日笑いすぎて、ふにゃふにゃになっていたこと。
2ヶ月が過ぎ、ひとまず実家に帰ろうとコンビニに荷物を運んだとき、
またも笑いが止まらなくなった私たち。
「もう…トイレが我慢できなく…これ以上笑わせないで~~~っ!!」
くっだらない小さな笑いが、とても愛おしかった。
>『病気と笑い③』につづく
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