緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2016年スペインギター音楽コンクールを聴く

2016-10-10 00:43:16 | ギター
今日(9日)、東京都台東区のミレニアムホールで、第34回スペインギター音楽コンクールが開催されたので聴きに行ってきた。
このコンクールも1991年に初めて聴いてから25年、仕事などで行けなかった数回を除きほぼ毎回聴かせていただいたことになる。
25年前と今と比べてレベルは上がったのか、と言われるとあまり変化を感じないというのが正直なところ。

今日は第2次予選の3分の2が終った頃に会場に到着した。
第2次予選の課題曲はマラッツのスペインセレナーデ(タレガ編)であった。
この曲を初めて聴いたのは、中学2年生の時にナルシソ・イエペスが録音した6弦ギター時代の演奏。
タレガによる編曲ではなく、イエペス自身による編曲であったが、私は今でもタレガ編ではなくイエペス編の方が好きだ。
イエペス編は、彼の弟子のホセ・ルイス・ロパテギによる運指により出版された。



タレガ編による演奏で今まで聴いた中では、故、阿部保夫氏が「珠玉アルバム」シリーズのレコードに録音した演奏が最も印象に残っている。



阿部保夫氏は現東京国際ギターコンクールの第1回目で、このスペインセレナーデを弾いて優勝したと記憶している。

この第2次予選でのスペインセレナーデは全ての演奏を聴いたわけではないので、断片的なことしか言うことができないが、あいかわらずタッチが軽く、か細い音の演奏が多かったということだ。
やはり右手の角度を弦に対し45度の角度で弾く奏者が少なからずいたが、傍から見ていても指の動きが不自然で弾きづらそう。
一体誰がこんな手の角度を広めたのか。
この角度でのタッチだと、必然的に爪の右側で弦を弾くことになるので、弦に対する力は左側のそれよりも弱まる。
この角度によるタッチだと楽器の持つ能力を最大限に引き出すことは無理であろう。

さて本選では下記の6名が選出され、順位も発表された(カッコ内は私が付けた順位)

課題曲;パバーナ(G.サンス作曲)/パバーナ・カプリチョ(アルベニス作曲)

①渡邊 華さん 第6位(第6位) 自由曲:第7幻想曲(Op.30、ソル作曲)
②横村 嘉乃さん 第4位(第2位) 自由曲:ムーア風舞曲(タレガ作曲)/グランソロ(ソル作曲)
③杉田 文さん 第3位(第4位) 自由曲:ソナタ作品61(トゥリーナ作曲)
④茂木 拓真さん 第1位(第1位) 自由曲:ソナタ作品61(トゥリーナ作曲)
⑤山口 莉奈さん 第2位(第3位) 自由曲:ソナチネ(トローバ作曲)
⑥大沢 美月さん 第5位(第5位) 自由曲:暁の鐘(デ・ラ・マーサ作曲)/ソルの主題による変奏曲(リョベート作曲)

以下感想を簡単に示す(演奏順)。

①渡邊 華さん
課題曲(サンス):音が渇いている。音色の変化に乏しく、平板に聴こえた。
課題曲(アルベニス):全体的におとなしく平板、感情的なものに欠ける。左手の押さえに課題を感じる。
曲の途中でどわすれしてしまったのが惜しい。
自由曲:これもおとなしく平板に聴こえた。速度、音量、音色が一本調子。テンポは正確だった。
長調に転調した後はもっと繊細で、高音を歌わせて欲しかった。終盤の激しさのある部分はもっと大胆さが欲しい。

②横村 嘉乃さん
課題曲(サンス):低音が太く、高音の抜けも良い。変化がありいい音だ。古楽器の音を意識してよく表現していた。
課題曲(アルベニス):演奏、音がこじんまりしていておとなしい。アルベニス特有の情緒に満ちた曲であるが、スペインらしい民族的なリズム、歌心をベースにしながらも作者が感じたであろう強い気持ちの理解が十分でなかったように思う。自由曲が素晴らしかっただけに、この課題曲の演奏はやや残念。
自由曲(タレガ):指が良く回る。音のアクセントの付け方、そしてリズムがいい。よく研究している。この曲が意外にも楽しめた。
課題曲(ソル):定番の自由曲。この難曲を淀みなく弾いたのは立派。冷静であり、ちょっとしたミスでも動揺しない落ち着きがある。舞台度胸の強さを感じた。
中低音域の音の使い方、旋律の運びに新たな発見をした。高校生なのだろうか。将来性を強く感じた。
願わくは自分自身の解釈、感じ方を今後伸ばし、研鑽を積み重ねて欲しい。

③杉田 文さん
課題曲(サンス):高音に芯があり美しい。しかしやや平板。古楽器的な響きを聴きたかった。
課題曲(アルベニス):感情の起伏に物足りなさを感じる。もっと情熱が欲しい。スペインの熱い気持ちを感じさせて欲しかった。高音がややメタリック。転調しても同じような傾向が続く。
自由曲:(トゥリーナ):高音がやはりやや細く、骨太さに欠ける。この曲もスペイン特有のリズムの変化、情熱的な激しさに欠けていたように思う。
繊細で誠実な演奏をされる方。私はこの方の演奏に好感を持てた。

④茂木 拓真さん
課題曲(サンス):テンポはやや速め。音の響きは豊かだったが、高音はもっと繊細な表現があってもいいと思った。中盤の高音の強い意識したアクセントは少し違和感を感じた。
課題曲(アルベニス):高音の強音がややメタリック。しかしスペインの情熱を感じさせる、自分のものとして消化された演奏。懐に入った淀みの無い演奏。
転調後の出だしはやや乱雑に聴こえた。もっとゆったりしてそれまでの曲想との違いを浮かび上がらせてもいい。
メカニックは正確で、旋律も良く歌っている。音が硬い部分があるが、歌を感じさせてくれた演奏だった。
自由曲(トゥリーナ):楽器を良く響かせている。音色の変化も豊かで力強さもある。
第二楽章も音色の変化に富んでおり楽しめた。第3楽章は力強いラスゲアードと、うねるようなスケールが良かった。メカニックも正確だ。終結部は激しさを増し、スペインらしいクライマックスを楽しめた。

⑤山口 莉奈さん
課題曲(アルベニス):調子が悪いのか音が鳴りきらない。高音はやわらかくこの曲の繊細な気持ちを良く表していた。やはり大人の演奏だ。作曲者の心情を理解しているし、素直に表現されていた。
課題曲(サンス):高音の出し方が上手い。この高音に哀愁を感じた。やわらかな低音もいい。
中間部もアルペジオは古楽器的な響きを十分に出していた。音楽の流れが自然で素直なのが良かった。
自由曲(トローバ):やや余裕の無さを感じた。歌い方に物足りなさを感じる。左手のミスがかなり散見され、それが音楽の中に入っていけてないように思えた。
しなやかな演奏ができ、表現力もあり、音楽的にはこの奏者が最も深いものを感じたが、ミスが多かったのが残念。

⑥大沢 美月さん
課題曲(サンス):和音をアルペジオにしていたが、どうかと思う。速度、テンポにやや不安定さを感じた。クレッシェンドで速度がやや速まっていたように思える。
課題曲(アルベニス):音が浮ついた感じがする。音と音との分離、境界が不明瞭で、旋律が明確に感じられない。しかしこの不明瞭のような感じも魅力、持ち味と感じる方もいるかもしれない。
途中、致命的などわすれがあったが、これがきっかけで後の演奏は落ち着いた自信に満ちた演奏だった。
自由曲(デ・ラ・マーサ、リョベート):やや平板、音色の変化に乏しかったが、 リョベートの演奏は落ち着いており、自信を感じた。

全体的にはレベルは例年比べそう高くはないと感じた。
本選出場者6人中5名が女性というのは初めて。
女性はギターの場合、ダイナミックスさに欠けるように感じるが、ピアノ界では女性でも男以上のパワフルな演奏をするピアニストがたくさんいる。
繊細さを十分に生かし、同時にパワフルな表現を研究して欲しいと思った。

第2次予選で終わった方を含め、出場者の本選自由曲の曲目を見ると、毎年のおなじみの曲ばかり。
もっと現代の、現代作曲家の曲はないのだろうか。
現代音楽を選んではいけないという制約はないはずだ。
硬派で難解な現代音楽を弾く人が現れないだろうか。

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コンクール (fado)
2016-10-11 15:11:37
緑陽さん、こんにちはfadoです。
今年のスペインギター音楽コンクールのレポート楽しく読ませていただきました。
参加者は未だ、「音楽の表現者にはなっていない」ということですよね。
80年代以降(バルエコ世代)の若者たちのテクニック重視には・・・?と思ってしまいますが…。
楽器もGスモールマンなどマイクを使うことを前提に作られたもので貧弱な響きしかしないものが主流になってきていますよね。
今週の日曜日、暇だったものですから録画してあった8月28日にNHKのBSで放映された〝もう一つのショパンコンクール・・日本人調律師たちの挑戦”という番組を見ました。
緑陽さんは、既にご覧になっていることと思いますが、コンクールの参加者を、使用するピアノ(楽器)という面から支える調律師たちに焦点を当て、ショパンコンクールを表現した番組でした。
イタリアのFAZIORI、YAMAHA、河合、STEINWAY、4社の楽器を演奏者が自由に選ぶことができ、コンクールに臨むことができるというものでした。
FAZIORIの責任者の日本人調律師は、ショパンということで「柔らかさ」「あたたかさ」を楽器の前面に押し上げて調律を完成していったのですが結局ホールという条件ではボケた感じになり誰からも受け入れられませんでした。結局、急きょピアノの心臓部分を変更し、1名に使ってもらえることになりましたか1次予選で敗退でした。
その他の楽器も主張をもっており、特にYAMAHAは何年も前からコンクールの行われるホールの研究をしておりホール全体を楽器と考えた設計をしていたようです。
結局、ファイナルに残った人(10人)の選んだ楽器は、YAMAHA5人、STEINWAY5人で争われSTAEINWAY
が優勝、YAMAHAが2位ということでした。
その間、断片的ではありますが、コンクールの模様が映し出され、皆、音楽を表現するための手段としてピアノを選んだということが見てとれました。
ということは、ピアノを弾く人にテクニックを感じなかったということができます。ピアノを弾いているのではなく音楽を表現しているということが現実味を帯びてきました。
ふと、現代のギター界を見渡してみて、真に音楽を感じさせてくれるギタリストはいるのか・・・?と考えてみると、CDを聴く限りにおいては、セゴビア・ブリーム、イエペスを筆頭に日本では、松田晃演先生などほんの少しの昔活躍したギタリストくらいしか思い当たりません。
若者たち(中堅を含め)は、ロックや歌謡曲と融合したり真の芸術としてのギターは残念ながら存在していません。低俗な「ギターでこんなこともできるよ」という曲芸に終始しているような気がします。
80年代バルエコが登場した時、彼はギターをピアノに近づけようとしたのでしょう。しかし、ピアニストたちは音楽を表現しようとしていたのです。
ギターを、音だけピアノに近づけても音楽にならないのです。
その影響をもろに受けている現代の若者たちは、音楽ではなく「いかにギターをスムーズに弾くか…!」に腐心しているような気がします。
そろそろ、方向性を修正しなければ、クラシックギターというジャンルがなくなってしまう危険性さえはらんでいますね。
楽器についても言えることですが、どのポジションも、どの弦も、誰が弾いても同じ音が出る・・・では・・・ギターの魅力もなくなります。
ピアノのコンクールを見てこんなことを考えてしまいました。
寒くなってきましたので緑陽さんもお体にはお気をつけて過ごされてください。
Unknown (緑陽)
2016-10-11 23:18:40
fadoさん、こんにちは。またコメントをいただき嬉しく思います。ありがとうございます。
fadoさんの今回のご意見、全く同感です。
fadoさんのコメントにはいつも深く考えさせられます。
音楽に常に真摯に向き合っていらっしゃる姿が伝わってきて、私も気持ちが引き締まります。

私はBSを契約していないので、ご紹介のテレビ番組を見ておりませんでしたが、まずYAMAHAが意外にも健闘していることに驚きました。
そういえばあのリヒテルもYAMAHAのピアノを愛用していましたね。
ピアノの調律とホールの響きとの関係、難しいのですね。
fadoさんのおっしゃる「ピアノを弾く人にテクニックを感じなかったということができます。ピアノを弾いているのではなく音楽を表現しているということが現実味を帯びてきました」という文面は、数日前に聴いたNコン全国大会(合唱コンクール)やスペインギター音楽コンクールで私が感じていたことを改めて思い出させ、奏者にとって本当には何が必要か、ということを示唆する重要なキー・ポイントだと受け止めました。

「コンクールに勝つ」という意識が様々な弊害を生みだしていると思います。
勝つために、頭で色々考え、術(すべ)を身に付けようとする。そのためにかえって音楽にとって最も大切なものが犠牲にされ、失われていることに気が付かなくなっている。
「勝つ」という意識を根こそぎ捨て去らなければならないと思います。
自分の表現したい音楽があり、その音楽の演奏に没頭している、そんな中でその音楽を披露する機会をたまたま見つけた、それがコンクールだった。そして、そのコンクールという場を利用して、自分の表現したい音楽を思いっきり完全燃焼するまで演奏させてもらいたい、こんな情熱を持った演奏家が出てこないから、毎年国際ギターコンクールで優勝してもその後は忘れられてしまうのではないかと思います。

セゴビア、イエペス、ブリームの時代にはコンクールがありませんでした。
とくにセゴビア、イエペスは若いころに本当に苦労していますね。
でもとてつもない情熱を持っていたから多くの人の心をつかむまでの巨匠になれたのですね。
テクニックや楽譜の分析だとか、音を他楽器に近いものにしたいとか、そんなちっぽけなことは二の次で、それ以前に「音楽を通して自分の全て」を表現したいという並々ならぬ気持ちがあったのだと思います。
彼らの音楽は物凄い感情エネルギーを感じます。

おっしゃるように近年のギター界は、ポピュラー界との境界がますますあいまいにあり、危機的状況に近づいていると言わざるを得ません。
新曲もBGMのような軽い曲が氾作されているようだが、1960年代、1970年代の前衛時代にギター専門外の作曲家がギター曲の力作を生みだしていた時代にはるかにおよびません。
今の若い人はポピュラーも聴いたり、中途半端ですね。
クラシックにとことんはまっている、ちょっと近寄りがたい一風変わった若いギター弾きってあんまり見かけない。
現代音楽にも全く関心を示さない。

聴く側もおっしゃるように表面だけの曲芸には感心し高い評価をするけど、中身の音楽に触れていないし、何が本物なのかわかっていないような気がします。

長くなりました。
北海道はもうストーブを点けるほど寒くなっているのでしょうね。
関東もこのところ急に冷えるようになってきました。
北海道の晩秋、一番好きな季節で思い出がたくさんあります。
またコメントいただけると嬉しく思います。
ありがとうございました。
右手の角度 (角笛)
2016-10-13 11:17:00
緑陽さん、はじめまして。以前よりブログを楽しみに拝見させて頂いています。
以前から気になっていたことがあり、コメントさせて頂きます。
緑陽さんは「右手の角度が45度だと必然的に爪の右側で弦を弾くことになる」と書かれていますがはたしてそうでしょうか?
もちろん爪の右側を使う人もいますが、殆どの人は右手の角度によらず左側を使っているはずです。
私自身も45度近くを常用していますがタッチは爪の左側です。
手首が真っ直ぐが良いのか、曲がっていた方が良いのかという議論はあまり意味はなく
重要なのは音量や音色を幅広くコントロール出来ることであってフォームではないと考えています。
指先や爪の形状によっても最適なタッチは人によって異なると思います。
私の場合は爪が薄めで固いので直角方向を基本にすると音が細く、鋭くなり過ぎてしまい、
自分自身が好む太く深みのある音を指向していると必然的に斜めのタッチになってしまいます。
レッスンでは状況により直角方向のタッチを指示されることもありますが、使い分けだと思っています。
ただ最近の若者の多くは指板よりの位置でアルアイレ中心でボケた力のない音を出す人が多いとは感じています。
ご存知かもしれませんが藤井眞吾さんのGUITAR STUDYで右手の角度についても理論的な考察がされていて面白いです。
http://shingofujii.com/guitarstudy/index.html
Unknown (緑陽)
2016-10-13 23:20:08
角笛さん、はじめまして。当ブログをお読み下さりありがとうございました。
先ほど帰宅し、早速試してみましたが、結論からいうと45度の角度を維持しながら、爪の左側で弾くことは不可能でした。
この角度で本当に爪の左側でタッチできるのですか?
鏡を正面に置き、右手の角度を45度になっているのを確認しながらimの交互スケールやアルペジオ、トレモロなど試してみましたが、どう弾いても爪の右半分が弦に当たります。
もう一つ気付かされたのは、45度の角度でi,m,a指を同一の弦上に同時に置いてみると、i指がツンと伸びきったままとなり、他方m,a指は深く曲がったフォームとなります。
この各指の体勢でトレモロを弾くことはとても不合理なのではないでしょうか。何故ならばi指は常に伸びきったままであるからです。私ならトレモロできません。
またアポヤンドも十分にできませんでした。
この角度で弾く演奏家の指を見て、何か不自然な動きを感じた理由も分かるような気がしました。

右手の角度を45度に維持しながら爪の左側で弾こうとすると、必然的に左手の角度は現に対し直角かそれに近い角度になります。
何度試してもそうなりました。
あと気付いたことは45度の角度を保つために、右腕の肘の関節、丁度ギターのふくらみに腕が乗っかる箇所に力が入ることです。
曲がった角度を維持するということは常に重力に逆らいます。入れなくて良い力を入れているということです。
脱力すれば自然に右手はダランと下がり、弦に対し直角になります。

長々と書いてしまいましたが、私は右手の角度は演奏にとってとても重要な要素だと思っております。
スポーツでも武道でもフォームは極めて大切な要素です。軽視できません。
往年の巨匠たちや素晴らしい音を出すギタリスト、国際コンクールの本選に残る方で、45度のような浅い角度で弾いている人を見たことがありません。
直角かそれに近い角度です。

やはり美しい音を生むタッチには、おのずとゆきつく方法、メソッドがあるのではないでしょうか。
もちろんおっしゃるように個人個人で指の長さ、手の大きさ、腕の長さ、柔軟性など差がありますから、多少の差異はあると思いますが、教育的な立場からすると、教える側は最良の音を生み出すためには何が最も必要なのか、という基本を示すべきだと思います。
初学者にとってフォームは極めて重要です。
一度覚えてしまったものは後でなかなか矯正できるものではありません。

1980年代からこのような斜めタッチが増えてきましたが、それ共にギターの音はつまらなくなりました。
これまで数多くの演奏を聴いてきましたが、このようなタッチをする方で真に感動する演奏を聴いたことはありません。

昔の時代に比較し、若い人たちから素晴らしい演奏家がなかなか育っていかない要因の1つとして、タッチが十分に理解、習得されていないことにあるのではないか、と思います。
Unknown (角笛)
2016-10-14 10:16:37
緑陽さん、検証お疲れ様です。
出来るのですかと質問されましたので返答します。
右手の角度と爪の位置は独立です。
左側の爪の生え際を弦との接点として維持したまま右手の角度を変えることは可能ですし、実証できます。
これは右手の形を完全に固定したままという意味ではなく、接点を維持したまま、設定を支点として右手の形は自由に変えられるということで、指の曲がり方などは変化します。
後は蛇足です。
初学者に対して基本のフォームというのはとても重要であることは同意です。
但し、なぜそうするのが良いのかということを説明出来ることが大切で、目指しているのは最終的に出る音であってフォームではありません。
イダ・プレスティの独特なフォームを理由にあの名演を否定できませんよね。
若い人達の演奏に不満を感じるのは奏法に起因するのではなく、彼らの音の嗜好、音楽の嗜好が古い世代とは異なるからだと思います。

なお私は自分の素性を隠すつもりはなく、URLに自分のブログも張っています。参考までに私のyoutubeの動画をご紹介しておきます。
斜めのタッチでも爪の左を使っている例
https://youtu.be/RaK297B2LeA
トレモロでは右手の角度、タッチが異なる例
https://youtu.be/JZH-xhaFkTM
Unknown (緑陽)
2016-10-14 23:50:31
角笛さん、コメント拝読させていただきました。
私が今回のコンクールの記事などで書いた、右手45度の角度によるタッチの見解について、随分と気にされているようですね。
私がスペインギターコンクールなどで出場者のタッチを直に見て正直に感じたことは、

①右手の角度が約45度で、タッチが斜めの方の多くが、音がかすれたり、細く貧弱だったこと。
(特徴としてアル・アイレしか使用していない)
②右指の動きがぎこちなく不自然に感じたこと。
(特にトレモロ)
③教室の先生に最初に教わったとおりの、角度、タッチに盲目的に従っていると思われること。
④この角度、このタッチで自分の弾く音が悪いことに気付いていないと思われること。

以上4点です。
右手の角度はトレモロ、スケール、アルペジオ等の違いによっても常に変化しません。

以上から推測すると、
ギターを習い始めた最初に、先生から右手はこの角度、このタッチで弾きなさい、と教えられているのです。
初学者は教えに盲目的に従うものです。
教授者が示すものが全てです。
独学ではなく、最初から習った人は、先生の教えに物凄く影響されます。
教えられたことに忠実です。多くは自分で試行錯誤して変えようとしません。
それはギター教室の発表会を見に行けば如実に分かります。

角笛さんのコメントや実演で主張する、試行錯誤を繰り返し、自分の合う、考え抜かれた結果としての角度やタッチ、またトレモロ、アポ・ヤンド、アルペジオ等の奏法の相違により柔軟に変化する角度やタッチとは次元が違います。別物です。動きが変化しません。

私が言いたいのは、誰が広めたのかはわからないが、弦に対し斜め45度のタッチが固定化し、習慣化し、それによる音の貧弱化、指の動きの不自然さが表面化しているのに、奏者は気付かずにいる、ということです。
もし力を抜いて、自然に弦に対し直角かそれに近い角度にして、アポヤンドでタッチを身に着け、鍛錬を繰り返していけば、もっといい音が出せるのに、と感じていることです。

私は1976年から独学でギターを始めましたが、その当時の教則本は全てと言っていいくらい、右手の角度は弦に対し直角、そしてタッチはアルアイレよりもまずアポヤンドを徹底して教えるものでした。
私はこの初学者の頃の習得がその後、とてもギター好きにさせる原動力となったと自負しております。
もし、私が最初から教室で、右手45度、アルアイレのみの指導を受け続けたならば、途中でギターという楽器の音に魅力を失い、やめてしまっただろうと思っています。
Unknown (角笛)
2016-10-15 00:57:25
これで最後にします。
私が指摘しているのは
「この角度でのタッチだと、必然的に爪の右側で弦を弾くことになる」と断定されていることに対してのみです。
Unknown (緑陽)
2016-10-15 01:33:43
角笛さんは、私が指摘する「固定化された45度の角度のタッチ」と、あなたが主張される「45度に近く、斜めでありながら、柔軟に角度や形を変化させるタッチ」との区別ができていません。
何度も試しましたが、前者の固定化されたタッチですと、爪の左側で弾弦することは極めて困難です。主張されるように、指の角度を柔軟に変えないとまず不可能です。
私が問題だと繰り返し言っているのは前者の「固定化されたタッチ」の方です。
弦へのエネルギーのかけ方 (fado)
2016-10-15 13:09:35
緑陽さんこんにちはfadoです。
緑陽さんと角笛さんのかみ合っていない論争に一言・・・(笑い)
藤井さんの理論も「いかに弾く弦にエネルギーを伝えるか?」というものですよね。アルアイレでもアポヤンドでもしっかりと指が弦にエネルギーを伝えることができると強く太い音になります。
ただし、藤井さんも述べられていますが、現に直角に近いタッチであればシャープな音、45度であればボケた音という表現をしております。ひょっとしたら45度のほうが弾いている本人は太い音に感じているかもしれないと言っております。(この部分が非常に重要です)
角笛さんのyoutueを見させていただきましたが、ゆっくりした楽曲では、どのような手首の角度でも自分の出したい音が出せていますが、速いトレモロではやはり手首が変化していますね。
緑陽さんの指摘しているのは、出したい音があって、手首は自然に変化するものであって45度に固定した指導はいけないということですよね。
藤井さんが述べているように45度ではじいているときは狭い部屋で弾く場合、弾いている本人は、太く感じる・・・というところに大きな問題があります。
本人は、それなりの音が出ていると思っていても、コンクールなどの広いホールでは情けない音になってしまうというのが現実です。
以前、緑陽さんがタッチについて詳しく述べられている文章読んだとき、私は大変に共感できました。
浅い角度で強い音を出そうとするとどうしても弦を強く引っ張ってしまうのです。そうすると「グシャ」という不快な音になってしまいます。
爪が弦を素早く滑る・・・が最もエネルギーのかかる方法と思います。
試してみましたが、45度程度の角度で自分自身が柔らかく太く感じる音がホールでは聴く人の頭を2つ3つ超えたところで失速してしまい、逆に直角に近いタッチで弾く固く鋭い音がホールの隅々まで柔らかく太く力強い音が聞こえるということができます。
以前、デイビッド・ラッセルの45度のタッチを真似したことがありますが、手首を痛めてしまいました。参考までに…。
ブログを見させていただく場合は、見る側の「情報リテラシイ」が大変に重要になりますね。
くれぐれも気を付けたいものです。
別に悪気があってのことではありません。
それではまた。
爪の左側? (アグアド)
2016-10-15 13:49:50
熱の入った議論に水を差すわけではありませんが、「爪の左側」で弾くというのは、爪の側から見て左側ですか?、手のひら側から爪を見ての左側でしょうか?
この点が引っかかって、「かみ合っていない」と感じてしまいます。

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