穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

フランス旅行記 余談「百年戦争とジャンヌ・ダルク」

2009年05月26日 | 旅行・ジャンヌダルク
ぼちぼち例の騒動も終息宣言が出されてきたので、控えていたフランス旅行記を書いてみます。
一応、ジャンヌ・ダルク関連の場所をメインに回ったので、前提として彼女の話を先に。
歴史に興味がないという方は、即刻読み飛ばしてください。

あ、それと「ジャンヌ・ダルクは日本史で言えば誰みたいなものか」というのをリアル知人からよく聞かれました。
個人的にはかなり納得はいきませんが、大妥協して無理やり例えるなら源義経あたりのポジションの人です。
歴史のど真ん中には居ないが、それなりに重要な英雄。裏切られた結果、早世してる。
ついでに言えば「ジャンヌが好き」と答えた時の反応は、「へぇ日本史が好きなんだ。誰が好き?」⇒「義経」と答えた時の微妙な空気とそれなりに近いと思ってる。

【百年戦争】

時は14世紀~15世紀。舞台はフランス。
フランスの王位継承権を時のイングランド国王が主張したため、お家騒動から大きな内乱が発生。
だらだらと戦い続けた結果、気がつけば解決まで100年も。これがいわゆる「百年戦争」です。

何故、イングランド国王がフランスの継承権を持っていたかといえば、
元々イングランドはフランスの一地方であるノルマンディによって征服された国だからです。
つまりイングランドは「イングランド王国」であると同時に、「フランスのノルマンディ公国の一領地」でした。

そこにフランス王女が嫁いでいたため、「イングランド国王だけど、フランス人でもある」彼はフランスの王位継承権を保有。
ちょっとややこしいですが、百年戦争は「いわゆる『イギリスVSフランス』の戦争ではない」というのは、この時代の理解としてはかなり大事です。
ヨーロッパ史を勉強中の高校生の方は、ここを理解しておくと勉強がはかどる感じ。

ちなみに「フランス語が高貴な言葉」というイメージを持たれがちなのは、この辺が影響しています。
支配者層であるイングランド国王は実態はフランス出身のフランス人なので、フランス語しか喋れませんでした。
支配されてる一般人はイングランド人なので、もちろん英語。下々の言葉とお上の言葉が分かれてた。

多少時代をイメージしやすいように当時の背景を列挙します。

 ・大砲は存在するが、銃はない
 ・ペストの大流行により暗黒時代とも呼ばれる。流行の度に、人口の1/3が死亡した
 ・魔女狩りはまだ起こっていない
 ・日本では室町時代
 ・百年戦争の終結から約50年後、コロンブスがアメリカ大陸到達
 ・従って、じゃがいもがない。トマトもない。とうもろこしもないし、タバコもない
 ・ゲーム「ファイアーエムブレム 紋章の謎」は、おそらくこの時代がモデル。ハーディンが王弟なのは、実在のオルレアンがそうだったからと思われます。
 ・『国民』の概念が存在しない。いわゆる「民のために云々」「御国のために戦う」といった発想はそもそもない。しばしばジャンヌは「フランスを守るために戦った」と誤解されがちですが、それはナポレオン時代に宣伝のために作られたイメージです。当時のジャンヌはそんな意識はなかった。

さて、勃発した百年戦争は、全体を通してイングランド側が優勢でした。
終盤の状況はこんな感じです。

 ・英国の新兵器「ロングボウ」は驚異的な戦果を誇り、フランス騎士団は壊滅
 ・有力諸侯はイングランド側についた。(上述のとおり、イングランドはフランスでもあるので「裏切り」や「売国」ではないことに注意)
 ・民衆もイングランド国王を支持した。早く戦争が終わって欲しいので。
 ・首都パリは陥落。というか、パリ市民がフランス国王に宣戦布告した。
 ・当時のフランス国王シャルル7世は心底やる気がなかった。もう逃げたい。
 ・諸外国もイングランドを支持した。
 ・シャルル7世の母親もイングランドを支持した。その上「シャルル7世は私生児であり、国王の血を引いていない。従って王位継承権を持っていない」と宣言。
 ・「イングランド国王を新しいフランス国王とする」という講和条約が締結される。
 ・シャルル7世の資金は尽きていた。
 ・シャルル7世の最後の砦オルレアンは包囲され、陥落寸前。

勝ち目がありません。というか、普通この状況は「既に負けた」と言います。
こんなどうしようもない状況で現れたのが、ジャンヌ・ダルクです。

【ジャンヌ・ダルク】

言い伝えとしてはジャンヌは1412年1月6日にドンレミ村で生まれました。
12,3歳の頃にどこかの村の人と婚約。(彼の名前は記録に残っていない)
そのまま普通の人生を歩む…はずだったのが、うっかり神の啓示を聞いてしまい一変。

現れた神の使い曰く、「フランスに行き、国王を助けよ」「オルレアンを解放せよ」。
最初は「そんな無茶な」と拒否してたものの、あんまりしつこく要請されるのでついに折れ、国王の下に駆けつけることを決意。
加えてどういうわけか「純潔を守れ」という趣味丸出しの命令まで受けたため、馬鹿正直にこれを順守。
必然的に、先の婚約は解消することになりました。
当たり前ながら相手の男はブチ切れましたが、ジャンヌは更にブチ切れ返し、裁判を起こして勝訴しています。
この時代、既に「婚約解消で裁判」などというのが存在してるのがちょっと不思議な心持ち。

自由になったジャンヌは意気揚揚と村を飛び出して、シャルル7世が当時逃げ住んでたシノン城へ。
このとき既にジャンヌの噂は国王の元にも届いていたため、謁見自体はそれなりにすんなり許可。
その際、暇に弄ばれていたシャルル7世は、田舎からやってきた頭のおかしい小娘をおちょくってやろうと余興を企画します。
「玉座に偽の国王を座らせ、国王自身は一般貴族の振りをして群衆の中に紛れ込む」。
ところが、ジャンヌは一発で本物の国王を見抜いたそうです。この逸話が、後の様々な憶測を呼んでいます。

無意味に奇跡っぽいものを見せたものの、何せシャルル7世はやる気がない。
が、ジャンヌから何かを囁かれた途端、急に眼の色が変わったそうな。
このとき、彼女が何を言ったのかは永遠の謎です。
その後、ジャンヌが魔女ではないかどうかの査問がポワティエで行われた後、彼女の率いる軍はオルレアンへ。
1428年4月30日。ジャンヌ、オルレアンに到達。

オルレアン市民はようやく来た援軍に大喜び。
ついでにやってきた謎の小娘にげんなりしたものの、割とすぐに慕い始めたらしい。
彼女の命令とともに、包囲するイングランド軍に打って出る覚悟を決めます。

翌5月から戦闘開始。
イングランド軍はオルレアン周辺に幾つかの砦を構えていたのですが、片っぱしから撃破されていきました。
勝因はよく分からない。

ジャンヌが突撃指示を出したその瞬間が、見事に奇襲になっていたこと。オルレアン側の士気がひたすらに高かったこと。
結果的に分散して砦にいたイングランドを各個撃破する形になったこと等々。
他に、ジャンヌは大砲を活用したことでも知られています。
当時の最新兵器・大砲は元々攻城兵器でした。城攻めの兵器なのだから、人間相手には使わない。間が抜けてるように見えますが、それが当時の発想でした。ほのぼのしてる。
しかしジャンヌは平然と言いました。「撃てばいいじゃん。人に向かって」。ほのぼのの欠片もない。

そういった細々とした理由は考えられるものの、決定的に有利になりそうな理由はなく。
結局、なんで勝てたのかは基本的によく分からない。
おかげで世界史の教科書は、この下りを記述するときもにょもにょした表現を使う羽目に。もにょもにょ。

ジャンヌは武装して先陣切って戦いましたが、剣よりも旗を好んだそうです。
片っぱしから敵を切り倒したとか、そういう無双的活躍はしていません。
ただそれでも本気で先頭に立って突撃はしてたらしい。

ちなみに「旗の方が好き」と明言されてしまい、微妙に立場のない彼女の剣ですが、それなりに曰くつきの伝説の剣です。
あるときジャンヌが「サント・カトリーヌにある教会に私用の剣を神が用意してくれた」と予言。行ってみると教会の壁に本当に剣が突き刺さっていたそうな。
凄いですね。ただまぁ残念ながらジャンヌはそういうのにあんまり興味がない娘だった。
結果、「どっかに置き忘れた」というしょうもない理由で紛失。大して日の目も浴びずに歴史から姿を消します。
なお、それでも神は懲りなかったらしく、その後もう一度似たような形で伝説の剣を支給してくれてます。優しいです。その2本目もジャンヌはどこかに置き忘れますが。この聖女も意外にやる気がない。

オルレアンを解放した後、ジャンヌおよび国王一行はランスを目指します。
その途中、パティの戦いでこれまた理不尽な大勝利を収めることに。
本当に理不尽です。武器も場所どりも過去の実績もはるかに上の相手に、ただの突撃で勝ってしまった。それも圧倒的な勝利。
こちら負傷者ゼロ。相手全滅。そんなノリです。こんなんで勝ってしまっては、軍師も兵器開発者も泣きます。

運に運が重なったジャンヌ軍はもはや敵なし。戦う前に、相手が恐慌状態になって逃げていきます。
そりゃそうです。だって、フランスがイングランドに勝てるはずはなかったんですよ。
例えば、当時のイングランド軍の主力兵器ロングボウは、フランス側のクロスボウと比べ、射程距離3倍・速射性能3倍・殺傷能力:500メートル先の完全武装の騎士を一撃死といったレベルです。
そんな武器持ってる相手に、突撃戦法なんて採用したら死にます。実際、過去の決戦ではボロ負けしてます。
それにも関らず、何故か勝った。オルレアンでは完全包囲された状況から。パティでは待ち伏せ攻撃を受けながら。
これはもう、逃げるしかありません。ジャンヌはマジで化け物だ。

フランス国王は伝統的にランスの大聖堂で戴冠式を行ってます。
カール大帝もルイ14世もルイ16世も、ここで戴冠を行った。そして戴冠式を行った者は既に人ではない。
フランス国王は現人神。その手で触れただけ病気を治す、超越者とみなされてました。
(そんな化け物相手に革命を起こしたことが、後のフランス革命が驚愕視されることの一つ。ずっと後の時代のことですけれど)

この「ランスで戴冠式を行う」というのが逆転の妙手となりました。
条約だの民衆の支持だのゴミです。
超人となったフランス国王という肩書に勝る説得力はない。

かくして戦況は逆転。シャルル7世が優位に立ち、そのまま百年戦争の勝利へと進みます。
ですが、いざ勝ち始めてしまうとジャンヌは疎まれるように。
貧相な戦力をあてがわれ、無茶な戦闘を転々とした末に(この時にパリとも戦っている)、コンピエーニュの戦いで味方に見捨てられ、敵の捕虜となります。

当時の捕虜は金銭で交換されていました。
ジャンヌほどの有名人ならば当然多額の金が動く。
そう期待され、当時の作法に則って、ジャンヌは極めて丁重にもてなされました。

が、シャルル7世は捕虜交換を拒否。
仕方がないのでコンピエーニュ側はジャンヌをイングランドに売却。
こうして彼女はイングランド支配下のルーアンへと流れ、そこで宗教裁判にかけられます。

裁判自体は真っ当なものでした。
この時のジャンヌと査問官のやりとりは実に面白いです。
ジャンヌの起こした「奇跡」に関しては疑念の余地もありますが、このときの裁判記録は彼女の魅力をそのまま伝えています。

なお「捕えられたヒロイン」ともなると、よからぬ妄想の一つもしたくなります。
実際ジャンヌ関係のもっともらしい「残酷物語」は結構流布してる。
ですが上述のとおり、イングランド兵は本気でジャンヌに怯えており、病的なまでの警戒態勢を強いてました。無理だから。マジで。
拷問器具の採用も検討されたものの、結局(記録の上では)使用されず。
まぁある程度覚悟決めてる相手を拷問にかけると、そのまま殉教を選んでしまうので逆効果ですし。

ジャンヌを救出すべく動いた人たちもいたものの、結果的にはどれも実らず。
この時頑張った人の中にはジル・ド・レもいます。
後にペロー・グリム童話の「青ひげ」公として有名な彼は、ジャンヌと共に戦った友の一人でした。
「ジャンヌを救うことができなかった」という悔いが、彼を狂気に落とした原因の一つだとか何とか。

そんなこんなはありつつ、1431年5月30日、ルーアンにてジャンヌは「戻り異端」として火刑に処されました。
「戻り異端」とは「魔女」と判断されたものが、その後も罪を改めずに「魔女」のままでいた状態、みたいなものと思ってください。
マイナーな制度ですが、「初犯」は見逃す慣習だったため「魔女」だからって火炙りにはできなかった。なので、わざわざ面倒な手続きを踏んでます。また教会が火刑にしているわけでもないのですが、その辺の事情は省略。

ちょっと興味深いのは、このときの魔女裁判に携わった裁判官数十名はほぼ満場一致で「ジャンヌは聖女である」と判断を下していました。
結果的に魔女認定されたのは、イングランドの要請を受けた裁判長がゴリ押ししたから。
ですので、この後、ジャンヌが復権したり聖女認定されたことと合わせて「キリスト教はご都合で意見を変える」的な批評は的外れだったりします。地味に、「魔女裁判が真っ当に機能した」例になってたりする。

後日談。
ジャンヌの恩を忘れなかったオルレアンは、彼女の母親を街に迎えて老後の面倒を見たそうです。
またジャンヌを称えるお祭りは、当時から今日に至るまで続いている。

時代はこの後宗教改革に。
このとき聖人の像や絵画が偶像崇拝とみなされ破壊されたため、ジャンヌの像は今日残っていません。
今あるものは全て後世の人間が想像で作ったもの。そのためジャンヌの容姿は「髪が短かった」以外は不明なままです。
いわゆる美人さんではなかったそうですが、言動や周囲の信奉ぶりから想像するに、かなりお茶目で愛嬌のあった娘さんなように思えます。

ジャンヌは有名人につきものの「実は○○」のエピソードも色々あります。
有名どころでは、ジャンヌは王族の出身ではないかというもの。
「国王の顔を知っていた」「ランス進軍等、政治判断が的確だった」等々が根拠とされています。
候補となる「死産した王族」(実は彼女は生きていてそれがジャンヌだ云々)もおり、それに基づけばジャンヌの生まれは1407年になります。

他に「ジャンヌは火刑にあっておらず生き延びた」とする説もあります。
ルイ17世や義経他、早世した有名人には必ず付いて回るお約束「実は生きていた」。
当時から既にこの説は人気があったらしく、ジャンヌの死後すぐに「私はジャンヌだ」と名乗る詐欺師が大量発生したそうです。

ジャンヌの死からしばらくした1453年、百年戦争は終結。
これを区切りに「中世」が終り、「近代」が始まります。
ジャンヌの思考や当時の人々の様子は、まさに「中世」を代表し、そして最後となるものばかりでした。
人間の歴史において、大きなターニングポイントは幾つかありますが、この近辺はそういった意味でもとても面白いです。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« しゅごキャラ!!どきっ 第84... | トップ | フランス旅行記 2日目「パリ... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
中世の次は、近世 (日下部ろまん)
2009-05-27 16:12:03
100年戦争といっても
王位継承問題にケリがつくまでに
100年かかったというだけで。
100年間ずっとドンパチやってたわけではない。
意外と平和な100年間だったんじゃ、な~い?
にしても、愛すべき偉大な電波ガール。
ジャンヌの勝利は僥倖だったのだろーか?
返信する
今は「近世」なんて区切りが (RubyGillis)
2009-05-28 01:32:53
>日下部ろまんさん
そんな分類になっていたのですね。
私が学んだ時代(または教科書か学校)では「中世」「近代」「現代」の区分けでした。
聖徳太子の呼び名や、弥生時代の扱いだとかも変わってると聞きますし、体系が変わっていくというのも面白いですね。

100年間ずっと直接対決していたわけではないのですが、それはそれで問題というか、失業した傭兵が野盗化するも頭痛の種だったようです。

あの愛すべき電波娘が何でまたこういう結果を出せたのかは神のみぞ知るところですね。
タイムマシンが発明されたら、ぜひ行って確認したい時代です。
返信する
神剣は引き抜かれるためにある。 (由維)
2009-05-30 23:46:23
お疲れ様でした。

ジャンヌの件のくだりですが、
>教会の壁に本当に剣が突き刺さっていたそうな

 あれですね。「アーサー王伝説」の「神剣エクスカリバー」そのままのようなw。
このあたり、こちらを持ってきた感じがいたしますが、いかがなものでしょうか?
返信する
そして大抵、折れる (RubyGillis)
2009-05-31 14:12:35
>由維さん
ぐだぐだと旅行記を書き綴ってみてます…。

>剣
イタリアには今現在も岩に刺さったままの剣があるそうです。
アーサー王といい、神剣を与えられるというのは、向こうでは定番の奇跡なのかも。

これが日本だと、神剣というか妖刀・村正になってしまいそうです…。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行・ジャンヌダルク」カテゴリの最新記事