視、聴、触、味、嗅。
五感への刺激が切っ掛けになって、
脳のどこか奥深くに置き忘れていた古い記憶が蘇る事がある。
先日の散歩中、それは突然やって来た。
茜色の空を、音もなく駆け上がってゆく一本の飛行機雲を目にした時、
「坂本龍一」作曲のメロディと一緒に、
「王立宇宙軍~オネアミスの翼」のクライマックス、
ロケットの打ち上げシーンを思い出した。
「王立…」は、昭和62年(1987年)に公開されたアニメーション映画作品で、
日本の映像制作会社「ガイナックス」の処女作。
その評価・感想は、エンターテイメントの常として様々ある。
しかし、ある種の「転換点」になったのは、
衆目の一致するところではないだろうか?
実績の少ないアマチュア集団の作品が、劇場公開を目指すのは異例。
製作費に4億円以上、宣伝費を合わせれば8億円という異例な経費。
また「庵野英明」「山賀博之」「貞本義行」「樋口真嗣」ら、
当時20代のクリエイター達の多くは、
後に「新世紀エヴァンゲリオン」で、脚光を浴びる事になる。
つまり「王立…」は、過去の常識を覆し、
新しい才能を一線へと打ち上げる土台になった。
そして、頂点を極めようとしていたバブル末期、
時代が転換する直前だったからこそ誕生を許されたのかもしれない。
僕が初めて「王立…」を観たのは、公開から数年が経った夏。
確か、夕暮れ時だったと思う。
レンタルビデオで鑑賞したはずだ。
季節、光の色、気温、情景などの諸条件に五感を刺激され起こった、不意の想起。
既知だけど、新鮮で驚きに満ちた瞬間である。
しばし「王立…」の記憶に浸りながら歩を進めるうち「住吉公園」に到着。
きのうは「つばた町民八朔まつり」の会場になったが、
この時は「庄中町納涼会」の真っ最中だった。
賑やかな笑い声や、屋台から漂う匂いが、一瞬で日常へ引き戻す。
これまた、不意の帰還。
悪くない。
空想と現実を自由に行き来出来るのは、
脳の中で記憶を再構築し、言語や映像表現に変換できる動物…
「人間」ならではの特権である。
五感への刺激が切っ掛けになって、
脳のどこか奥深くに置き忘れていた古い記憶が蘇る事がある。
先日の散歩中、それは突然やって来た。
茜色の空を、音もなく駆け上がってゆく一本の飛行機雲を目にした時、
「坂本龍一」作曲のメロディと一緒に、
「王立宇宙軍~オネアミスの翼」のクライマックス、
ロケットの打ち上げシーンを思い出した。
「王立…」は、昭和62年(1987年)に公開されたアニメーション映画作品で、
日本の映像制作会社「ガイナックス」の処女作。
その評価・感想は、エンターテイメントの常として様々ある。
しかし、ある種の「転換点」になったのは、
衆目の一致するところではないだろうか?
実績の少ないアマチュア集団の作品が、劇場公開を目指すのは異例。
製作費に4億円以上、宣伝費を合わせれば8億円という異例な経費。
また「庵野英明」「山賀博之」「貞本義行」「樋口真嗣」ら、
当時20代のクリエイター達の多くは、
後に「新世紀エヴァンゲリオン」で、脚光を浴びる事になる。
つまり「王立…」は、過去の常識を覆し、
新しい才能を一線へと打ち上げる土台になった。
そして、頂点を極めようとしていたバブル末期、
時代が転換する直前だったからこそ誕生を許されたのかもしれない。
僕が初めて「王立…」を観たのは、公開から数年が経った夏。
確か、夕暮れ時だったと思う。
レンタルビデオで鑑賞したはずだ。
季節、光の色、気温、情景などの諸条件に五感を刺激され起こった、不意の想起。
既知だけど、新鮮で驚きに満ちた瞬間である。
しばし「王立…」の記憶に浸りながら歩を進めるうち「住吉公園」に到着。
きのうは「つばた町民八朔まつり」の会場になったが、
この時は「庄中町納涼会」の真っ最中だった。
賑やかな笑い声や、屋台から漂う匂いが、一瞬で日常へ引き戻す。
これまた、不意の帰還。
悪くない。
空想と現実を自由に行き来出来るのは、
脳の中で記憶を再構築し、言語や映像表現に変換できる動物…
「人間」ならではの特権である。
オネアミスの翼が赤字だったのを回収するためにトップをねらえが創られたと。
赤字で良かった。
オネアミスの赤字解消がなければガイナックスは解散していたとも言われていますから、その後の経過から見れば“失敗は成功の母”になったのかもしれません。個人的には、オネアミスの地味で理屈っぽい作風が好きです(笑)