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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町にて、名画の題材。

2012年08月02日 23時10分50秒 | 音とアート。
「今日の一枚」は、アルプラザ津幡店駐車場にて撮影した「糸杉」。
散歩中に傍を通ると、時折、強い香りに鼻をくすぐられる。
原産地は南ヨーロッパ。
ギリシャ神話では、悲嘆にくれる美少年が化身した姿とされ、
古代ローマでは、多くのキリスト教徒が
この樹で作られた十字架に架けられたと言われる。
花言葉は「死・哀悼・絶望」。
西洋においては、どこか後ろ暗いイメージを含んでいる。
そんな先入観で眺めてみれば、確かに妖しい。
うねりながら空へと延びる樹の姿は、
まるで成長する事を迷っているかのようだ。

さて僕は、中学時代に、この糸杉をモチーフにした画が好きになり、
画集を眺め溜息を突いたものである。
画家の名前は「Vincent van Gogh(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)」。
オランダ生まれの奇才だ。

油彩、素描を合わせて2000点とも言われる作品を遺し、
中には美術史上の傑作とされる作品も描いた「ゴッホ」。
しかし、生前には殆ど認められず、貧しく、孤独だった。
不遇を支えたのは、弟「テオ」の援助と、画家「ゴーギャン」の友情。
その「ゴーギャン」とは、南フランスのアルルで共同生活をはじめ、
互いの芸術を高め合うものの、程なく破綻。
心に傷手を負った「ゴッホ」は、自らの手で肉体にも痛みを与える。
発作的に自分の左耳を切り落とし、精神病院の床に就いた。
そこで彼は、失意の自画像を描き、
糸杉をモチーフにしたこの絵も完成させるのである。

   

月も星も、それらを抱く空さえも、糸杉のようにうねる夜。

「ゴッホ」の大脳は、常人と違った像を結んだのだろう。
「心」というフィルターを通し切り取った風景画は、
情念の産物であり、人間にしか成せない「芸術」。
僕は、一種異様な絵に感銘を覚えた。

昭和末期から平成初期、
日本人は「名画」を一種の投機として買い漁った。
彼の作品…「医師ガジェの肖像」や「ひまわり」なども標的となり、
“史上最高額での落札”との見出しがメディアに躍ったものだ。

作者が裡に秘めていたMadnessは後世に実を結んだが、
バブルの狂喜、あるいは狂気は長続きせず、
現世に大きな負債を残したのである。

ところで余談ながら…
最近はファーストネームを「フィンセント」、
ミドルネームを「ファン」と表記するらしい。
知らなかった。

(※2010年8月27日に関連記載アリ)
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