2日目からの続きです。
○ 登山の朝
京都3日目。いよいよ今回の旅のハイライト、愛宕登山の日となりました。
6時半に起床。寝不足ですが、そんなことは言っていられません。
登山は朝が肝心。手早く支度をすませて、宇治から京阪に乗って、出町柳へ向かいました。
かねがね気になっていたものの、どうしても勇気が出ずに、実行に移せなかった私。
そんなに登山慣れしていないため、ちゃんとした山に一人で登るなんて、私にとってはハードルが高いです。
ということで、友人のチカラくんと一緒に登ることにしました。
○ ヒッチハイカーのチカラくん
旅先の別府で出会った彼は、ヒッチハイクで日本一周旅行をしている最中でした。
ヒッチハイクって、度胸がいりますよすね~。勇者だわ。
私は海外で一度しかやったことがありませんが、「外国でやる方がすごいよ!」と言われました。
いえいえ、ヒッチハイク文化がない日本でやる方が難しそう。
めでたく日本一周を終えて地元の京都に戻った彼と、出町柳で再会しました。
「ちょっと久しぶり!」
チカラくんの車に乗せてもらいます。
たくさんの人の車に乗せてもらって日本一周を成し遂げた彼に、逆に乗せてもらっているというのが不思議。
世の中、持ちつ持たれつね。何もしてない私が言うセリフじゃないけど!
京都人の彼は、3歳の時に愛宕山に登ったそうです。
やっぱりこの土地の風習なんですね。
「親にそう教えられたけれど、まるで覚えてないんだよね」
うーん、3歳はまだ小さいですからね。親の心、子知らず!
その時以来、登ったことはないため、やっぱり見知らぬ山になるとのこと。
似たようなレベルなので、足を引っ張らずに済むかもと、ちょっと安心します。
ビギナーなりに、お互い情報収集してきたので、愛宕山は相当ハードだとわかっています。
「登れるかなあ…」
自信がない者同士、ちょっと不安感もあります。
「でも夕べはめっちゃ寝たから、睡眠は十分とったよ!」と元気そうな彼。
対する私は、寝不足なので、そこも不安。
道路は全く混んでおらず、ほとんど車通りもありません。
スイスイ進んで、昨日の大渋滞にはまった私はびっくり。
朝早いし、地元の人なので混まない道を知っているのでしょう。
快調に車は進み、20分ほどで清滝に着きました。
○ 清滝トンネル
「怖いもの見たさで、前に深泥池に行ってみたことがあるけれど、やっぱり怖かった」と話したら「京都にはいくつか心霊スポットがあるよ。たとえばこの清滝トンネルもそう・・・」と言われて、ハッと思い出します。
そういえば聞いたことがありました!
狭い一車線の清滝トンネルは、信号で調整していますが、通る時に青になっていたらまずいんだそうです。
「どうまずいの?」「もう長くはない的な」
地獄への片道切符ね、ひええ。
運良く、私たちは赤で止まりました。よかった、でないと遭難しそうでした。
それでもこのトンネルは、暗くて狭くてじめじめしていて、本当に怖いです。
前に、愛宕山に登りたいあまりに、バス終点の清滝トンネルまで来てみたことがありますが、暗いトンネルの中で、おもむろに窓の外にぼやーっと白い顔が写ったので「ギャア!」とすくみあがったら、それはバスとトンネルの細い隙間を歩いていく通行人の顔でした。
バス停から先は、本格的な登山道となるため、以前は引き返しました。
ここからは私の知らない世界です。
「駐車場があると思うから」と、ぐっと急坂を下がっていったところに、果たしてPを発見。
ここから歩き始めます。なるべく荷物を減らして。
汗をかくことはわかっていたので、薄着でいこうかと思いましたが、上に登ったら気温が10度違うということで、ダウンコートを持って行くことにしました。
車を降りて、さあ出発です。
お互い、緊張で顔が少しこわばっています。
「き、清滝って、どこにあるんだろうね?」
「まさかあれじゃないよね、ハハハ」
なんていいながら橋を渡って。
鳥居でお辞儀をして、歩き始めたとたんに、急な坂が目に入って、うわあと気持ちがへこたれそうになります。
ここからお宮のある山頂までは、ひたすら山道を4キロ?登っていくことに。
ずっと山の中の道で、途中見晴らしの良い場所や休める場所がほとんどないために、きついのだそうです。
登り始めて早々に、大きな看板がありました。
さっそく脅し文句のような注意書きを読んで、ブルブル。
こういう胸突き八丁の坂は、黙々と登るのが一番体力の消耗が少ないのですが、私たちは車の中でもずっとおしゃべりをしていて、そのまま喋り続けながら坂を上っていきます。
「そのうちしゃべる所じゃなくなるかもね」と言いながら。
チカラくんとは、話したいことがたくさんあるからです。お互い登山は苦手だと言っているし、無理せず休み休み行こうと話しているので、気楽なものです。
そもそも、私が前々から愛宕神社に参拝したいと思っていました。
日本随所にある愛宕神社の総本山である愛宕山。なのに参拝したという話を全然聞きません。
京都では愛宕参りはメジャーらしいのですが、行き方は急な山道をひたすら登っていくほかなく、往復5時間の道のりだと聞くと、相当ヘビーな登山だろうとしり込みします。
その割に、京都では3歳になる前に愛宕詣でをした子は、火事に遭わないと言う言い伝えがあるとのこと。
登るのがひどく大変な神社なのに、京都人はせっせと登っているんでしょうか。
うーん、よく情報がつかめずに、気になっています。
子供でも上れるくらいなら、私も参拝したいもの。そこは明智光秀が、本能寺の変?の戦勝祈願をしたところ。光秀好きとしては行っておきたいところでもあります。
また、日本三代愛宕の東京と福岡は参拝ずみなので、最後に残した本家本元にもいよいよ参拝したいと思ったのです。
ただ、一人ではなかなか決心が付きません。そこに京都人のチカラくんと知り合ったので、話をしてみたら、一緒に行こうと言ってくれました。
そんなわけで、いよいよ今回実現したのです。
彼は、自分が登ったか、全く覚えていないそうですが、ご両親に確認したら、3歳の時に登ったそうです。
つまり一生火事に遭わない魔法をかけてもらっています。親の愛ですねー。本人は全く覚えていないそうですが。
そんなわけで、一緒にいるこの日は、私も火事に遭わずにすむでしょう。
前日「足慣らしにちょっとマラソンした」と。
「ちょっとってどのくらい?」と聞いたら、「10キロ」
そんなにー!私は、歩くのなら一日最多5万歩いったことがありますが、1キロも走れません。
あまりに本格的な登山になるため、自分も登ると自発的に言ってくれる人でないと、とても誘えません。
私につきあうというレベルでは、申し訳ないからです。
これまで「京都の人はいけずや」といわれてきたので、ちょっと構えていましたが、チカラ君はまったくいけずではありません。
「前に聞いたんだけど、京都で"お宅の坊ちゃん、ピアノうまくなりましたなぁ"って言われたら・・・」
「ああ、うるさいってことでしょ」
即答です。
「やっぱりそうなのね。喜んじゃいけないところなのね」
「人によるけどね」
うーん、関東の方では、そういう言い方をする人はいなさそう。
「いけずじゃないけど、京都の人はプライド高いね」
やっぱりそうなんですねー。
ヒッチハイクは200回以上したそう。
そのうち、一番ピンチな思いをした99回目と最高だった100回目の話を教えてもらいました。
道は、石段になったり坂になったり、根っこ道になったりするので、下を見て足場を探していかないと危険です。
また、ずっと話をしているので、顔を見ながら進んでいくと、そんなに前方を見ることがないため、延々と続く坂道を眺めて絶望することはなくすみました。
すぐに暑くなって、Tシャツ1枚になります。
なんと、私のIPODが「容量がいっぱいです」という表示が出て、撮影できなくなりました。
アルバムからかなりの枚数を削除しましたが、それでもまったくカメラ機能が動きません。
「うーん、これは愛宕の神様が"撮ってはならん"って言っているのかしらね」
「参拝したらとれるようになるんじゃないかな」
そう言っていましたが、いくら消しても無理なので、困り果ててしまいました。
旅の途中なのに、とれなくなるなんて。なんかフリーズして、指定がきかなくなったのかしら。
そうしたら、チカラ君が直してくれて、使えるようになりました。
助かったわ!
そんなカメラ騒動があり、山道を進みながらも画像を消去していたりしたため、ますますどこの坂を上っているのかわからなくなっています。
壱岐と隠岐に言ったということで、興味津々。
隠岐というと島流しのイメージくらいしかありませんが、いまでは町をあげて教育に力を入れて、レベルの底上げに成功しているということ。
教育の勉強をしているため、いろいろとおしえてもらいます。
しかし旅では、横浜はほぼスルーしたそうです。
初めて会った時には、和服を着ていました。京都出身という気持ちの表れだとのこと。
私も、最初に見かけたときには、その風貌にびっくりしてなにもいえませんでしたが、そこで顔を知ったので、二度目に会ったときには会話ができました。
そろそろ冬服もほしいそうです。
日本一周は海岸沿い。京都人の海へのあこがれはかなり強いそうです。
京丹後は海沿いですが、遠いですからね。
朝なのに、ふたばはもう人が並んでいました。
「あー」と言ったら、「僕は一度も食べたことがない」そんなものですか。
聞きしに勝る大変なルートですが、かなり子連れ参拝が多いです。
「3歳までの参拝」は、いまでもみなさん守っているようです。
子供はすぐに疲れてしまうから、しょって登るパパが大変ですね。
淡路島の沼島 伊勢エビ漁
喋りながら登るのは大変で、ハーハー言いながら。
途中ちょこちょこと休憩して。
チョコを食べながら。
ほかに登る人は周りに結構多いと思ったら、ふと気がつくと誰もいなくなっていたり、またちょっとすると大勢いたり。不思議です。
この日も京都の中心部は、観光客でごった返していると思いますが、ここには観光客はほぼいないでしょう。駐車場の車もほぼ京都ナンバーでした。
みんな、降りてくる人とすれ違うたびに「こんにちは」と挨拶し合っていきます。
やっぱり京都の人はいけずではないですね。(こだわりすぎー)
これまでのハードな登山参拝として思い出されるのは、大山阿不利神社の奥の宮。もうあの大変さは味わいたくない、と思っています。
阿不利神社への道でも、子供を背負って登っていくパパがいて、大変だなあと思っていましたが、もしかするとこの愛宕参りを踏襲していたのかもしれないと、いまになって思います。
途中で太い枝が落ちていました。
「これ、杖にいいんじゃない?」と持ってみます。
でも、水をたっぷり吸っているのか、結構ずっしりと重かったので、そんなに持ち歩けず、再び塀に持たれかけさせておきました。
きっとほかの誰かが杖に使うでしょう。
途中、木々が少し開けたところから、京都市街が見渡せました。
高くまできていることがわかります。遠くに見えるのは桂川。
すばらしい光景です。
黒門
ようやくようやく、黒門が見えてきました。それからさらに進んでいくと、最後のだめ押しで、すごい石段がありました。
でも、四方山話をしていったら、上れます。
もう、先が見えない山道をひたすら登って行きます。
これは精神を鍛えられそう。私は一人では無理だわ~。気持ちが参りそうです。
ようやく、鳥居が見えてきました。
ゴールが近くなってきたのかしら。
この鳥居をくぐる時にふと目をやったら、イノシシが描かれていました。
着きました~。あうう、とうとう・・・
二人で感激のあまり、変なテンションになっています。
神様にご挨拶。
愛宕の神様は、イノシシに乗った天狗のようだとわかりました。
神様のお使いなので、先程の鳥居のモチーフになっていたんですね。
狛犬のしっぽがなぜかなくて、はめるものもありませんでした。
社務所には長い列。並んで御朱印をいただきます。
行列は、ほかに「火の用心」とかかれたお札を求める人も大勢いました。
私もそれを買って帰ろうと思っていましたが、実際見てみるととても大きくてびっくり。
しわを付けずに家に持ち帰る自信がなかったため、急遽違うお札に変更。
神主さんは2名いました。ここまで、神主さんも下から登ってくるのでしょうか。だとしたらすごいことです。
阿不利の奥の宮には、紙の書き置きしかありませんでしたが、ここは手書きしてくれました。
これでミッションクリア。
明智光秀はここで、大吉が出るまで何度もおみくじを引き直したと言われています。
さしあたり、私はお寺に攻め込む予定はないので、おみくじは引かずに置きました。
光秀の霊が乗り移って、延々とおみくじを引き続けるのも怖いですからね。
その2に続きます。
○ 登山の朝
京都3日目。いよいよ今回の旅のハイライト、愛宕登山の日となりました。
6時半に起床。寝不足ですが、そんなことは言っていられません。
登山は朝が肝心。手早く支度をすませて、宇治から京阪に乗って、出町柳へ向かいました。
かねがね気になっていたものの、どうしても勇気が出ずに、実行に移せなかった私。
そんなに登山慣れしていないため、ちゃんとした山に一人で登るなんて、私にとってはハードルが高いです。
ということで、友人のチカラくんと一緒に登ることにしました。
○ ヒッチハイカーのチカラくん
旅先の別府で出会った彼は、ヒッチハイクで日本一周旅行をしている最中でした。
ヒッチハイクって、度胸がいりますよすね~。勇者だわ。
私は海外で一度しかやったことがありませんが、「外国でやる方がすごいよ!」と言われました。
いえいえ、ヒッチハイク文化がない日本でやる方が難しそう。
めでたく日本一周を終えて地元の京都に戻った彼と、出町柳で再会しました。
「ちょっと久しぶり!」
チカラくんの車に乗せてもらいます。
たくさんの人の車に乗せてもらって日本一周を成し遂げた彼に、逆に乗せてもらっているというのが不思議。
世の中、持ちつ持たれつね。何もしてない私が言うセリフじゃないけど!
京都人の彼は、3歳の時に愛宕山に登ったそうです。
やっぱりこの土地の風習なんですね。
「親にそう教えられたけれど、まるで覚えてないんだよね」
うーん、3歳はまだ小さいですからね。親の心、子知らず!
その時以来、登ったことはないため、やっぱり見知らぬ山になるとのこと。
似たようなレベルなので、足を引っ張らずに済むかもと、ちょっと安心します。
ビギナーなりに、お互い情報収集してきたので、愛宕山は相当ハードだとわかっています。
「登れるかなあ…」
自信がない者同士、ちょっと不安感もあります。
「でも夕べはめっちゃ寝たから、睡眠は十分とったよ!」と元気そうな彼。
対する私は、寝不足なので、そこも不安。
道路は全く混んでおらず、ほとんど車通りもありません。
スイスイ進んで、昨日の大渋滞にはまった私はびっくり。
朝早いし、地元の人なので混まない道を知っているのでしょう。
快調に車は進み、20分ほどで清滝に着きました。
○ 清滝トンネル
「怖いもの見たさで、前に深泥池に行ってみたことがあるけれど、やっぱり怖かった」と話したら「京都にはいくつか心霊スポットがあるよ。たとえばこの清滝トンネルもそう・・・」と言われて、ハッと思い出します。
そういえば聞いたことがありました!
狭い一車線の清滝トンネルは、信号で調整していますが、通る時に青になっていたらまずいんだそうです。
「どうまずいの?」「もう長くはない的な」
地獄への片道切符ね、ひええ。
運良く、私たちは赤で止まりました。よかった、でないと遭難しそうでした。
それでもこのトンネルは、暗くて狭くてじめじめしていて、本当に怖いです。
前に、愛宕山に登りたいあまりに、バス終点の清滝トンネルまで来てみたことがありますが、暗いトンネルの中で、おもむろに窓の外にぼやーっと白い顔が写ったので「ギャア!」とすくみあがったら、それはバスとトンネルの細い隙間を歩いていく通行人の顔でした。
バス停から先は、本格的な登山道となるため、以前は引き返しました。
ここからは私の知らない世界です。
「駐車場があると思うから」と、ぐっと急坂を下がっていったところに、果たしてPを発見。
ここから歩き始めます。なるべく荷物を減らして。
汗をかくことはわかっていたので、薄着でいこうかと思いましたが、上に登ったら気温が10度違うということで、ダウンコートを持って行くことにしました。
車を降りて、さあ出発です。
お互い、緊張で顔が少しこわばっています。
「き、清滝って、どこにあるんだろうね?」
「まさかあれじゃないよね、ハハハ」
なんていいながら橋を渡って。
鳥居でお辞儀をして、歩き始めたとたんに、急な坂が目に入って、うわあと気持ちがへこたれそうになります。
ここからお宮のある山頂までは、ひたすら山道を4キロ?登っていくことに。
ずっと山の中の道で、途中見晴らしの良い場所や休める場所がほとんどないために、きついのだそうです。
登り始めて早々に、大きな看板がありました。
さっそく脅し文句のような注意書きを読んで、ブルブル。
こういう胸突き八丁の坂は、黙々と登るのが一番体力の消耗が少ないのですが、私たちは車の中でもずっとおしゃべりをしていて、そのまま喋り続けながら坂を上っていきます。
「そのうちしゃべる所じゃなくなるかもね」と言いながら。
チカラくんとは、話したいことがたくさんあるからです。お互い登山は苦手だと言っているし、無理せず休み休み行こうと話しているので、気楽なものです。
そもそも、私が前々から愛宕神社に参拝したいと思っていました。
日本随所にある愛宕神社の総本山である愛宕山。なのに参拝したという話を全然聞きません。
京都では愛宕参りはメジャーらしいのですが、行き方は急な山道をひたすら登っていくほかなく、往復5時間の道のりだと聞くと、相当ヘビーな登山だろうとしり込みします。
その割に、京都では3歳になる前に愛宕詣でをした子は、火事に遭わないと言う言い伝えがあるとのこと。
登るのがひどく大変な神社なのに、京都人はせっせと登っているんでしょうか。
うーん、よく情報がつかめずに、気になっています。
子供でも上れるくらいなら、私も参拝したいもの。そこは明智光秀が、本能寺の変?の戦勝祈願をしたところ。光秀好きとしては行っておきたいところでもあります。
また、日本三代愛宕の東京と福岡は参拝ずみなので、最後に残した本家本元にもいよいよ参拝したいと思ったのです。
ただ、一人ではなかなか決心が付きません。そこに京都人のチカラくんと知り合ったので、話をしてみたら、一緒に行こうと言ってくれました。
そんなわけで、いよいよ今回実現したのです。
彼は、自分が登ったか、全く覚えていないそうですが、ご両親に確認したら、3歳の時に登ったそうです。
つまり一生火事に遭わない魔法をかけてもらっています。親の愛ですねー。本人は全く覚えていないそうですが。
そんなわけで、一緒にいるこの日は、私も火事に遭わずにすむでしょう。
前日「足慣らしにちょっとマラソンした」と。
「ちょっとってどのくらい?」と聞いたら、「10キロ」
そんなにー!私は、歩くのなら一日最多5万歩いったことがありますが、1キロも走れません。
あまりに本格的な登山になるため、自分も登ると自発的に言ってくれる人でないと、とても誘えません。
私につきあうというレベルでは、申し訳ないからです。
これまで「京都の人はいけずや」といわれてきたので、ちょっと構えていましたが、チカラ君はまったくいけずではありません。
「前に聞いたんだけど、京都で"お宅の坊ちゃん、ピアノうまくなりましたなぁ"って言われたら・・・」
「ああ、うるさいってことでしょ」
即答です。
「やっぱりそうなのね。喜んじゃいけないところなのね」
「人によるけどね」
うーん、関東の方では、そういう言い方をする人はいなさそう。
「いけずじゃないけど、京都の人はプライド高いね」
やっぱりそうなんですねー。
ヒッチハイクは200回以上したそう。
そのうち、一番ピンチな思いをした99回目と最高だった100回目の話を教えてもらいました。
道は、石段になったり坂になったり、根っこ道になったりするので、下を見て足場を探していかないと危険です。
また、ずっと話をしているので、顔を見ながら進んでいくと、そんなに前方を見ることがないため、延々と続く坂道を眺めて絶望することはなくすみました。
すぐに暑くなって、Tシャツ1枚になります。
なんと、私のIPODが「容量がいっぱいです」という表示が出て、撮影できなくなりました。
アルバムからかなりの枚数を削除しましたが、それでもまったくカメラ機能が動きません。
「うーん、これは愛宕の神様が"撮ってはならん"って言っているのかしらね」
「参拝したらとれるようになるんじゃないかな」
そう言っていましたが、いくら消しても無理なので、困り果ててしまいました。
旅の途中なのに、とれなくなるなんて。なんかフリーズして、指定がきかなくなったのかしら。
そうしたら、チカラ君が直してくれて、使えるようになりました。
助かったわ!
そんなカメラ騒動があり、山道を進みながらも画像を消去していたりしたため、ますますどこの坂を上っているのかわからなくなっています。
壱岐と隠岐に言ったということで、興味津々。
隠岐というと島流しのイメージくらいしかありませんが、いまでは町をあげて教育に力を入れて、レベルの底上げに成功しているということ。
教育の勉強をしているため、いろいろとおしえてもらいます。
しかし旅では、横浜はほぼスルーしたそうです。
初めて会った時には、和服を着ていました。京都出身という気持ちの表れだとのこと。
私も、最初に見かけたときには、その風貌にびっくりしてなにもいえませんでしたが、そこで顔を知ったので、二度目に会ったときには会話ができました。
そろそろ冬服もほしいそうです。
日本一周は海岸沿い。京都人の海へのあこがれはかなり強いそうです。
京丹後は海沿いですが、遠いですからね。
朝なのに、ふたばはもう人が並んでいました。
「あー」と言ったら、「僕は一度も食べたことがない」そんなものですか。
聞きしに勝る大変なルートですが、かなり子連れ参拝が多いです。
「3歳までの参拝」は、いまでもみなさん守っているようです。
子供はすぐに疲れてしまうから、しょって登るパパが大変ですね。
淡路島の沼島 伊勢エビ漁
喋りながら登るのは大変で、ハーハー言いながら。
途中ちょこちょこと休憩して。
チョコを食べながら。
ほかに登る人は周りに結構多いと思ったら、ふと気がつくと誰もいなくなっていたり、またちょっとすると大勢いたり。不思議です。
この日も京都の中心部は、観光客でごった返していると思いますが、ここには観光客はほぼいないでしょう。駐車場の車もほぼ京都ナンバーでした。
みんな、降りてくる人とすれ違うたびに「こんにちは」と挨拶し合っていきます。
やっぱり京都の人はいけずではないですね。(こだわりすぎー)
これまでのハードな登山参拝として思い出されるのは、大山阿不利神社の奥の宮。もうあの大変さは味わいたくない、と思っています。
阿不利神社への道でも、子供を背負って登っていくパパがいて、大変だなあと思っていましたが、もしかするとこの愛宕参りを踏襲していたのかもしれないと、いまになって思います。
途中で太い枝が落ちていました。
「これ、杖にいいんじゃない?」と持ってみます。
でも、水をたっぷり吸っているのか、結構ずっしりと重かったので、そんなに持ち歩けず、再び塀に持たれかけさせておきました。
きっとほかの誰かが杖に使うでしょう。
途中、木々が少し開けたところから、京都市街が見渡せました。
高くまできていることがわかります。遠くに見えるのは桂川。
すばらしい光景です。
黒門
ようやくようやく、黒門が見えてきました。それからさらに進んでいくと、最後のだめ押しで、すごい石段がありました。
でも、四方山話をしていったら、上れます。
もう、先が見えない山道をひたすら登って行きます。
これは精神を鍛えられそう。私は一人では無理だわ~。気持ちが参りそうです。
ようやく、鳥居が見えてきました。
ゴールが近くなってきたのかしら。
この鳥居をくぐる時にふと目をやったら、イノシシが描かれていました。
着きました~。あうう、とうとう・・・
二人で感激のあまり、変なテンションになっています。
神様にご挨拶。
愛宕の神様は、イノシシに乗った天狗のようだとわかりました。
神様のお使いなので、先程の鳥居のモチーフになっていたんですね。
狛犬のしっぽがなぜかなくて、はめるものもありませんでした。
社務所には長い列。並んで御朱印をいただきます。
行列は、ほかに「火の用心」とかかれたお札を求める人も大勢いました。
私もそれを買って帰ろうと思っていましたが、実際見てみるととても大きくてびっくり。
しわを付けずに家に持ち帰る自信がなかったため、急遽違うお札に変更。
神主さんは2名いました。ここまで、神主さんも下から登ってくるのでしょうか。だとしたらすごいことです。
阿不利の奥の宮には、紙の書き置きしかありませんでしたが、ここは手書きしてくれました。
これでミッションクリア。
明智光秀はここで、大吉が出るまで何度もおみくじを引き直したと言われています。
さしあたり、私はお寺に攻め込む予定はないので、おみくじは引かずに置きました。
光秀の霊が乗り移って、延々とおみくじを引き続けるのも怖いですからね。
その2に続きます。
お疲れさまでした。すばらしい脚力です。
大阪で言う金剛山・葛城山くらいの標高なんですね。
恐らく勾配もすごかったんでしょうね。
そりゃ大変だ。
金剛山もすごい人気で10000回登る人も
いるんですよ。
登り切ったときは
きっと気持ちよかったでしょうね。
おめでとうございます。
1万回登る人がいるんですか?
もはや仙人レベルですね!
葛城山も、名前は聞いたことがあります。
いつか登る機会があるかしらー?
もう私は愛宕山でいっぱいいっぱいです(笑)!
今は、下りの話を書いています~♪