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おべんとう&フリー素材

ダンナのお弁当の記録など。

その他徒然。

素材はDLしてお使いください。

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(7)

2011-01-17 21:02:03 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)
<2日目、「出ない!?」>
病室の窓から外を見ると青空。

朝食が届くが、食べようと思っても導尿部分が痛くて起き上がれないので、管をはずしてから食べることにする。
9時ごろ妻と知的障害をもつ息子が見舞いに来るが、寝たままの状態。
(息子は私に近づかない・・・まあ予測どおり)

看護士さんたちは、朝食準備やシフトの入れ替えなどがあってちょうど忙しい時間帯で、息子たちも帰って9時半ごろやっと管をはずしてもらう。

手の点滴は、治療直前から導尿外すまで、導尿と同じ時間したままだった。
たぶん、ぶどう糖と血液の凝固防薬だと思う (ばたばたしてて確かめられず。)

尿意をもよおしトイレに行ってびっくり!
ものすごく痛くて排尿ができない。

これでまた(膀胱破裂でもして)入院か?と思うぐらい痛かった。

じたばたしていて思いついたのは、腰を思いっきり引いて前かがみになって排尿すると多少楽なのがわかった。
帰宅後も数日間は痛みがあり、やがて我慢できる程度になり、5日目ぐらいで急に気にならなくなった。(一番下に詳細続く)

体は動けるようになったが、麻酔のせいか、ムカムカしない2日酔いという感じ(ふわふわして気持ちよく眠くて油断すると寝ちゃう感じ)が終日続く。

息子も来られるようにと個室にしたので、ポータブルDVDを持ち込みたっぷり見ようと思ったのに、見ながらうとうと寝たり起きたり。
そもうちに昼食、少し残してしまった。

午後、CA担当の先生が病室へ。
説明によると典型的な心房細動のパターンで、成功と言うことと再手術の可能性が少なからずあると言うこと。
これはわかっていたことであり、それよりも麻酔の効かなさを強調していた。(酒の可能性も大きいらしくしばらくは禁酒だろうな、やめれればもっといいけど)

夕方、妻が1人でちょこっと様子を見に来て「もう大丈夫そうだね」とすぐ帰る。
夕飯を食べ、面会終わりの合図があり、娘が来た。
消灯後のためプリン置きすぐ帰った。

個室と思って油断していたら、DVD見ていたのに「9時消灯なので電気消します。」と容赦なく消されてしまった。
仕方がないので、暗い中でプリン食べた。
こんなに早い時間に寝たことがないので眠れるかな?と思ったら、疲れのためか結構よく寝てしまった。

普段でも寝ていて頚椎症や腰痛もあるので背中や腰が痛くなるのに、安静の間も、その後長時間寝ていても、どこも痛くならなかった。
あのボコボコした(ちゃんと考えられた)ベットが良かったのかもしれない。

その日は、37度ちょうどの微熱もあった。
これを看護婦さんに言うと、手術室は結構涼しいので、翌日微熱が出ることはよくあるので、それかもしれない。様子を見ましょうとのことだった。
(翌日の退院日にはすっかり下がっていた。)

<3日目、退院>
早く起きてノルマのDVDを見て、朝ごはん食べたら、色々あったのに、予定通り入院から48時間でもう退院。すごい。
3週間後、受診予定。
もともとあまり自覚症状がなかったので、おかしいなと思ったら携帯用心電計の出番、しばらくは用心ですね。

麻酔さえ効けば、全ての時間が半分ぐらいで終わり、1日目の夜には楽になってたはず。
こういうこともあるんですね。
今回の入院で、
一番辛かったこと・・・「導尿」(再治療になったら1番悩むのはこれかも?)
一番よかったこと・・・「ベッド!」(欲しい)

CAが終ってからも、しばらくは、患部を焼いた影響で不整脈が出る場合があるとのこと。
実際に、私も術後5日目から不整脈が出ている。
次の診察は1月25日。主治医と連絡をとりつつホームドクターの手を借りながら、それまで様子を見ることにした。
次回は25日診察のあと退院後のようすまとめてアップ予定です。


=以下、導尿を外した後どうしたら少しでも楽に排尿ができるか、試したことを具体的に記述します。読みたい方だけ読んでください。(至ってまじめです)=
トイレでおしっこをするときは、ちょうどドリフの加トちゃんが酔っ払いコントで「電柱にもたれてゲ○吐くポーズ」で。
会社のトイレで気がついたのが、下に向けてするのでなく水平(小便器が上まであるのでできた)にするとますます楽。
つまり、チ○チ○を曲げないように体に対して直角にする。膀胱からおしっこの出るところまでを、できるだけまっすぐにすると言う感じだと思う。
試してないけど直角より上に向けるともっと楽かもしれないが、公衆トイレのような形じゃないと体制がかなりきつくなるけと思うけど。
ペニバック?(コンドームに管が付いている?かぶせて使う?)というものもあるらしいので、今後調べてみようと思う。


カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(6)

2011-01-16 09:17:12 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)

<どこからか戻ってきた>
CAが終ってから、妻が手を握っているという感覚(遠い記憶)はあったが、気がついたらそばにいてくれたのは娘だった。
意識が朦朧とした中で人に手を握っててもらうのはとても安心感がある。
どこかへ流れていきそうなのを引き止めてもらう感覚かな。

無意識に手を求めていたのも覚えている。(危ない領域?三途の川の土手ぐらいまで行ったのかな?)
(娘は「1回振りほどかれたけどねー」と言ってましたが(笑))

一時的に息子が家に一人になったので、娘が来てからわりとすぐ妻は帰ったようだ。

私の意識がなかなかはっきりしないので、心配した娘が付き添いで泊まってくれた。(病院の許可をもらって)
夜中の12時過ぎには頭がまともに戻ってきた。

カテーテルを入れた足の付け根は止血のため圧迫され、動かしてはいけない。
「安静解除は午前3時」と言われていた。(術後約7時間)
よく考えてみると心配していた安静状態はほとんど辛くなかった。

午前3時安静解除となったが、夜中になにかあるとまずいので導尿を外すのは明朝になるとのこと、
なので動けるのはベットの上だけ、1日何も食べてなかったので、許可をもらい娘にサンドイッチを買って来てもらい少し食べた。
(食事は用意してもらっていたが、時間が経ってしまったため。)

それからは翌朝までうつらうつらしていた。

娘の「ガンバレカード」に気づいたのは、麻酔から覚めてずいぶん経ってからだった・・・


ダンナ本人が「戻ってきた感じがする」と表現していたのがちょっとびっくりと言うか、
怖いと言うか・・・、どこから戻って来たんだろう?なんて考えてしまいます。

結果から言えば、麻酔からはしっかり覚めたわけだし、
今はピンピンしてるので、
まあ、とりあえず無事に終わってよかったなあと。

あとは、これで症状が治まるかどうか。
成功率(治癒率)が70~80%(ダンナが受けた病院による説明)ということなので、微妙です。

そうそう、入院準備品の中に「楽のみ」などがなかったので、準備していなくて、
ダンナに「みず・・」と言われて、娘があわてて曲がるストローをコンビニに買いに行きました。
すぐに目が覚めてもしばらくは上半身は起こせないので、必要だと思う。


カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(5)

2011-01-14 17:18:55 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)

<手術開始~麻酔が・・・?>
手術室に着くと6~8人いる。意外と大きなチームでやる手術らしい。
外来の主治医N先生と、CAの主治医I先生(初対面)ほか数名。

手早くベットに縛り付けられる。
「頚椎症なので枕がほしい」と言うと、カテーテルを入れ終わったら枕を入れてくれるという。
肩(1本)と大腿ソケイ部分から「ちょっと痛いですよ」の声と共に局所麻酔の注射が打たれ、カテーテルが入れられ始めた。(足の付け根から入れた管の本数は不明、3~4本?傷口を見ても圧迫のアザだらけでよくわからない)

まだ局部麻酔なので意識はしっかりある。
カテーテルを入れている感覚はほとんどなく、鈍痛と圧迫感と引きつれ感ぐらい。
導尿の方が気になっていた。

わざと信号を出して異常信号が出ている部位の捜索が始まる。
発作自体は、12月始め手術を決めた外来受診の時とその直前は頻繁に(2日続いて5日休みのような感じ)出ていたのだが、手術の時は止まっていた。
手術中主治医の先生に「何時から出てないの?」と聞かれ、「手術を決めたときからです」と答えるとウケていた・・・。

いろんなところに刺激を与えて反応を見る。
「ドキドキしますよ」とかいわれ、刺激を与えられるたびに脈が乱れるのがわかる。
その間、布の下で顔を動かすと看護婦さんが、必ず「大丈夫ですか?」と聞いてくれるのがすごく心強かった。

そのうち場所が特定できたらしく「焼き始めますよ」と言いながら枕を入れてくれる。
静脈麻酔を打つので「眠くなりますよ」の声と共に本人は意識がなくなる。

ここまで1時間ちょっとだったらしい。
(本来ならここから焼き始め、合計で2時間程度、部屋を出て戻るまでで、3時間と言う感じらしい。)

あとで聞くと、手術が終ったのは午後7時45分ごろで、5時間くらいかかったらしい。
異常部分を見つけるのに手間取った上(焼き始めるまでは意識があり、そんなに手間取ってる感じじゃなかったんだけど「きたきた?」とか言ってたのは覚えてる)、麻酔の効きが悪く過去経験がないくらい体動が激しかったため、麻酔を段階的に増やし、限界値くらいまで入れてようやく治まったと、翌日担当医から説明があった。(そんなこと言われてもなあ・・・)本人は全く記憶なし。

後日たまたま叔父さん(父の兄、何度も大きな手術をしている)と話をしたとき、やはり麻酔がかなり効き辛く苦労したらしい。遺伝か?
とんだ落とし穴と言う感じで、初めての大きな麻酔は注意が必要かな?

先生に聞くと、わかっていれば当然あらかじめ何らかの手(量とか麻酔の種類?)を打つという。
今回のパターンだと少しづつ追加するので時間がかかり、最終的な量も多くなり覚めも悪くなるという悪循環となったようだ。
術後の説明で、とにかく麻酔が効かなかった事を強調していたのには、先生の反省もあるのだろうし、自分も通常よりかなり効きの悪い体質と理解できる。

多くのCA経験談では、局部麻酔のみか、眠っても術後すぐに目覚めると書いてあったのに、私の場合は状況が違った。

意識が戻ってきたのは、2時間以上あとの午後10時ごろ。
ちゃんと考えられるようになったのはさらにあとの午後12時ごろ。
気がつくと導尿があまり気にならなくなっていた。

実は、この間かなり家族に心配させてしまったらしい。


私が2時半ごろ病院に着いたときはすでにCAが始まっていました。
娘に「渡しといてね」と言われていた「がんばれカード」も渡せず。

奥の緑色のドアの中でCAが行われていました。



部屋の中から「ピッ、ピッ、ピッ・・・」という音がずっと聞こえていました。
心電図の心音らしいです。
規則的になったり乱れたり、速くなったり。

途中、シューだかキーだか、自転車のブレーキの音のようなものが聞こえていました。
何の音かなあと思いながら、病院の硬いソファに座っていました。

5時20分ごろ、「○○さん!!○○さん!!」と名前を大声で呼ぶ声が聞こえてきたんです。
男の人の声と女の人の声で何度も何度も。

「○○さん!!目を開けて!!」とか
「動いちゃダメですよ!!何本も管が入っているんですからね!!」とか、
はっきり聞こえてきます。

どのくらいの時間だったかは覚えていませんが、
けっこう長く呼んでいたと思います。

中で何が起こっているんだろうと、とても怖くなり、
ドアの前でただただ「がんばれがんばれ」と祈っていました。

呼ぶ声がしなくなりました。

6時半ごろ、看護士さん?が部屋から出てきて、機械が乗っている台車を2台運び込みました。
あれ何だろう?気なるよぅ~

また、自転車のブレーキ音に似た音。今度は短い。

そして7時45分ごろ、「終ったそうですよ」と、看護士さんがストレッチャーを押して迎えに来ました。

ドアが開いて外来の主治医N先生から大まかな報告と、「あとは担当医Iから部屋で説明がありますので」と言われ、ダンナがストレッチャーに乗せられて出てきました。

口には酸素マスク、大いびき。

看護士さんが、左肩のあたりを思いっきりバシバシ叩いて名前を呼ぶけど反応がない。
普通ならどんなにいびきをかいていても、体を軽く揺らせば止まったり起きたりするのに。

先生は「じき覚めますから」と言うけど、ものすごく不安でした。

この感覚は、息をしていて生きてはいるのに、そこに「いない」感じ。

部屋に戻っても、30分くらいはその状態が続きました。

I先生から一通り説明を受け(ダンナのレポートどおり)、部屋に残され、
娘にすぐ来るように電話をしてから、
「なんとか目を覚まさせないと」という思いで、肩を叩いたり呼んだりしました。

声に反応して少し目を開けても、すぐ眠ってしまう。
うわごとのように「おしっこ」「いまなんじ」といい、
こちらが答えようとするともう眠っていました。

そんな中娘が来て、簡単に引継ぎをして「とにかく目を覚まさせて」と伝えて家に帰りました。

娘は冷静を装っていましたが、とても心配していたはずです。

その後は、レポートのとおり少しずつ意識が戻ってきたようです。

心底ほっとしました。

娘は許可を得てそのまま病室に泊まってくれました。



カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(4)

2011-01-13 12:42:01 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)

<治療当日の朝入院する>
仕事をできるだけ休みたくなかったので(ここ4年くらい、息子の件や母親の介護でかなり半休や全休をとっていたため)、当日朝入院。
本来なら、最初から妻に付き添ってもらうところだが、障害のある息子と母の介護などがあり家を長く空けられないため、朝9時、初心者マークの娘(18歳)が運転する車で送ってもらう。
妻には治療が始まるときに来てもらうことにしていた。
(追記:ちなみに、個室。知的障害をもつ息子が来ても気兼ねしないように)

午前中かなり辛いという噂の「経食道心エコー」検査。
確かに胃カメラより結構太い管をのどに入れるのはかなり辛かったが、短時間だったのであまり嫌な感じは残らなかった。
ただ2~3日くらい、のどに若干の違和感はあった。その後気にならなくなり知らないうちになくなった。

点滴ルート確保(実際の点滴は手術直前から)のためにあらかじめ針を入れる時ついでに、前日自分で剃毛した太もも付け根部分の状態の検査、若い看護婦さんにじっとしばらく見つめられ・・・「大丈夫そうですね。ありがとうございました。」と言われ、変な感じ?(苦笑)

その日、カテーテル治療の順番が3番目ですといわれる。
前日から入院している患者さんから9時スタートで治療が始まり、180分ずつの予定なので、開始予定は3時ごろ。

1人目が1時間遅れたとわかったので、「ひまだ、ひまだ」と言う娘を一旦帰す。

(いざというときに強力な戦力になる娘には本当に感謝)

通常で2~3時間、長いと5時間と言われていたのと、その後の安静時間など考えると、前日に入院して朝一で治療するのが、時間が計算できて体的には楽なスケジュールだが、入院が1日増えるので微妙なところだ?

検査中も部屋に残って暇つぶしに絵を描いていた娘。
「カテーテルアブレーションの入院のスケジュール表」の裏・・・



妻は2時半ごろ到着予定だったが、1番目の患者さんが予定より1時間押したのに、2番目の患者さんは1時間半早く終わったらしく、いきなり「今から治療に行きます」と2時前にバタバタと看護士さんがやってくる。

あわてて妻に電話させてもらうが連絡つかず、そうこうしているうちに導尿される。
これが入れるときもかなり痛いが一瞬なので何とかなる。
管を入れた後の感覚が「尿は出ているのに、漏れる寸前を我慢している感覚」がずっと続く。
管が抜けないように風船のようなものが膀胱の中で膨らんでいるせいらしい。
(手術中もこの感覚のほうが気になり、意識がなくなるまでずっと気をとられる感じだった。)
導尿したあとにT字帯をつけた。

「歩いていけますか?」と看護士さんに言われたが、導尿が気になって動けないので車椅子を持ってきてもらう。
さらに「貴重品はだいじょうぶですか?」と言われても自分しかいないので、どうにもならない。

妻は間に合わず結局一人寂しく手術室(心血管撮影室)に向かう。


カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(3)

2011-01-12 13:47:51 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)

<踏ん切りがつかない>
N病院の主治医から同じような意見をもらい、「カテーテルアブレーション(以下CA)」を薦められる。
治療するならあと1年ぐらいがチャンスで、本格的に慢性化すると治りにくい言われる。(この時が2010年7月頃)
8月に義父が急死したり、母の介護の対応に追われたり忙しかった上、息子の様子もまだ心配で、入院で家を空けられるか悩んでいた。
次の9月に受診したときもCAを受ける決心がつかなかった。


「不整脈」という言葉はよく聞きますが、心房細動という症状が、
血栓ができやすくなって梗塞を起こす可能性があると聞くととても怖いと思いました。

いろいろ忙しかったり、息子のことが心配というのも気持ちはわかるけど、
幸い娘も車の免許を取ったので、私の代わりに動くこともできるし、
決めてしまえば何とかなるだろうと思って、「思い切ってやっちゃえば?」と治療を勧めました。

(ダンナレポート)

<確信とチャンスで決心>
もともと大きな自覚症状はなかったが、時々違和感を感じることがあり、Wクリニックで心電図を撮ってもらったりしていた。
症状は出たり出なかったり。
自分でも確かめたいと思い、値段が高かったが「オムロンの携帯型心電計」を購入し、症状が出たときにすぐ計ってみると見事に心電図の異常波と一致した。さらに指で測った脈の乱れとも一致した。
「治療が必要」と確信。

12月にN病院受診・検査。(超音波、血液、心電図、レントゲン撮影)。
家族の勧めもあったし、どこかで踏ん切りをつけなければ、いつまで経っても治療を受けられないと思い悩んでいたところ、1日だけ会社を休めば可能な日程(2011年1月7日(金)~2泊3日)が取れたため、思い切ってCAを受けることにした。

急いで「限度額適用認定証」を手に入れ(これがあるとあらかじめ高額医療費の払い戻し分を引いた額の支払いですむ感じになる。
はっきりわからないが、推定総額90~150万円、保険適用時の一時負担三割で30~50万円が、10万円以下になる

正月休み中の1月4日に胸部CT造影検査を行った。
この検査は非常に速く、合計で10分程度。造影剤の注射だけですむのでわりと楽。造影剤を入れた瞬間の体のほてりに違和感はあるがすぐに引く。
人によっては、吐き気などをもよおす場合があるらしく、朝食を抜いて検査に臨んだ。

帰りに病院の売店で入院時に必要な「T字帯」を買う。



不整脈があっても、ホルター心電図では症状が出ない場合があるようです。
ダンナは自分で携帯心電計を買いましたが、
最近では、貸し出してくれる病院もあるようなので、
病院を選ぶ参考にしてもいいかもです。
ダンナは、携帯心電計を買ったことが自分に不整脈があるという確信につながったので、
それはとても大きかったと言っています。



カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(2)

2011-01-11 16:11:31 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
(ダンナレポート)

心房細動は偶然見つかった>
20年近く前の健康診断で、「第1度房室ブロック」が見つかり、医者の診断を受けた。
その時点では症状もなく、医者からは、悪くすると将来ペースメーカーが必要になる可能性があるが、今のところ特に気をつけることもないといわれ、放っておいた。
5年ほど前の検診では、第1度房室ブロックの症状が若干進んでいそうなので定期的に検査をしたほうがいいといわれ、近くの循環器で検査設備のあるWクリニックを受診。
超音波検査、ホルター心電図などを取るも異常はなかった。
その1年後、ホルター心電図で7分間の不整脈が見つかり、半年後にも検査しましょうといわれる。
その後長男(自閉傾向・知的障害)の具合が悪くなったため余裕がなくなり、半年後には受診できず、2年ほど間が空き今から約1年前の2009年12月の検査にて「心房細動」と言われる。
その大分前から何か脈おかしいなと思っていたので、実は発症してから結構経っていて、慢性化していたのかもしれない。

このブログでも書いていますが、
息子の調子が悪くなり、息子の病院などで何度も半休や休みを取ったり、
私のヘルプ(息子が暴れて)で会社を飛び出すことも何度もあり、
症状を放っておいたこと+ストレスで慢性化?悪化?した可能性も否めないと思っています。

(ダンナレポート)

<二つの病院にかかる>
通常心房細動は、大きな自覚症状がない場合薬物治療が中心となる。
私の場合、二つ目に試した抗不整脈薬(シベノール)で一旦治まるが、疲れや心労?などで再発する。
(血栓予防のワーファリンは最初から服用しており、術後3ヶ月は最低服用を続けると言うことで現在も服用中です。)

Wクリニックから大きな病院で1度診察をとの意見に従い、2010年6月、J大学病院を紹介してもらい受診する。(通える範囲内に循環器で有名な二つの大きな病院があり、家から近いほう)
もともと頻脈気味だったのが、薬を飲んでいると脈が遅くなると言う症状が出ていて、1度薬をやめ心房細動であることを確認し、そこに注目したJ大学病院の先生から”薬による第1度房室ブロックに対する影響”を指摘され、薬物抜きの治療を薦められる。
しかし、その病院では「心房粗動」の対応までしかやってないと言うので、2011年7月もうひとつのN病院を紹介してもらう。
のちにそのN病院は、「心房細動」においてこの地域ではかなり進んでいる病院だったとわかる。
WクリニックもN病院も、J大学病院が心房細動に対応していないことを知らなかった。
(ちなみにJ大学病院は、循環器で有名でHPにはカテーテル治療の宣伝があった・・・のに)


カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

カテーテルアブレーション体験記@ダンナ(1)

2011-01-10 15:06:55 | 心房細動(カテーテルアブレーション)
先週、ダンナが「カテーテルアブレーション(心筋焼灼術)」という、
心房細動(不整脈の一種)の治療を受けました。

金曜日朝、治術当日に入院、午後施術。
途中心配されるハプニングがあったものの、
結果的に翌々日の日曜日に退院しました。

まだ発展途上にあると言われている「カテーテルアブレーション」なので、
データがあまりありません。

ダンナはインターネットからかなり情報を得て参考にしていたので、
今回の体験も、少しでも参考になればというダンナの想いもあり、
ブログにアップすることにします。

ダンナがカテーテルアブレーションに踏み切った理由・・・
・心房細動は、血液がよどんで血栓ができ、脳梗塞(心原性脳塞栓症)や心筋梗塞を引き起こす恐れがある(長嶋茂雄氏の脳梗塞の原因がこれだそうです。
・体の違和感・不快感(ずっと貧血気味のような感じ)をなくしたい
・治療薬(抗不整脈薬)で、心房粗動に似た症状が出たこと、脈が徐脈になり、もう1つの持病「第1度房室ブロック」に影響する恐れがあり薬を飲まないほうがよいといわれた
・このまま放っておくと慢性化する恐れがあるといわれた


今後、ダンナによるレポートを少しずつアップしていきます。


* * *


参考>>(この先生の治療を受けたわけではありません)
名医 不整脈 カテーテルアブレーション 高橋淳 横須賀

2:24、3:40くらい~「心房細動」図解
4:07~カテーテル(器具)の説明
5:50~治術開始




カテーテルアブレーション体験記@ダンナ
(1)<カテーテルアブレーションに踏み切った理由>
(2)<心房細動は偶然見つかった><二つの病院にかかる>
(3)<踏ん切りがつかない><確信とチャンスで決心>
(4)<治療当日の朝入院する>
(5)<手術開始~麻酔が・・・?>
(6)<どこからか戻ってきた>
(7)<2日目、「出ない!?」><3日目、退院>

青い空♪

2010-12-15 11:58:58 | 息子と娘のこと
今日も息子と日課の散歩。

飛行機が飛んでた。



紅葉も終わり。


ちょうど一ヶ月前。


地元野菜の販売所、白菜、大根、長ねぎ、ごぼう、ブロッコリー、赤い大根、
にんじん、小松菜、ほうれん草、オータムポエム、銀杏etc...


お店が開いたばかり。まだ毛布着て寝てるよ(笑)

・・・大事にされてるね~

今日は、思い切って白菜を丸ごと買いました。
あとでっかいブロッコリー。

プリキュアオールスターズショー@よみうりランド

2010-11-24 14:38:19 | Family/夫婦
11/23、よみうりランド・オープンシアターEASTで、
「プリキュアオールスターズ」のキャラクターショーがありました。

家を出るときはまだ雨が降っていたのですが、
天気予報を信じて向かいました。

到着した頃には雨も上がり、青空も。



2年前に「Yes!プリキュア5 GOGO!」のキャラクターショーを見た「太陽の広場」。



17人揃うオールスターズはなかなか見られないので
息子はかなり楽しみにしていました。
(キュアサンシャインとキュアムーンライトはいない)



オープンシアターEAST

・・・”客席数は固定席4,182(アリーナに最大412席の仮設席設置可能)、
芝生席約4,000名が収容可能。約10,000人の収容が可能な、日本最大級の常設野外ステージ”(Wikipedia

「日本最大級」にビックリ(@@;)

前に「むさしの村」で2回見たこのショーは、
ステージが小さくてパッとしなかったのですが、
よみうりランドのオープンシアターEASTは、
ステージが広いので、みんなのびのび動いていて、
遠くまで見に行った甲斐がありました。

フレッシュプリキュアのピーチとベリーが、
高いところからジャンプして降りて、
ステージに出てくるときにバック転か横転していたのが
かっこよかったです。↓(フレッシュプリキュア!登場は1分40秒くらいから)

2010/4/10の動画が上がってました。





けっこうお兄さんたちもいたりするので、
息子が特別目立つことはない感じ。


オールスターズのステージは、いつもより少し短いです。

終ってから、ランド内の「soba cafe 」で昼食。
息子がほとんど食べるものにこだわらなくなったので
とても楽になりました。


私はおろしカツ丼(敷いてあるのはレタス)、
ダンナは期間限定のマーボーラーメン、息子はラーメン。

観覧車に乗ろうよと息子を誘ったけど、即答で却下。
昼ごろにはランドを出ました(早い。→いつものこと)

帰り道「にじ!!」という息子の声に慌ててカメラを向けました。


もしまた、この場所でオールスターズショーがあるなら
また見に行きたいです。


* * *


おまけと寄り道。


男子トイレにあったという「ランドドッグ」のおしり。


と、反対側に頭。


よみうりランドのイメージキャラクター?ランドドッグ。



* * *


朝、道がすいていて時間があったので、調布飛行場に寄り道。

「Propeller Cafe」のグッズショップにだけちょっとお邪魔しました。


コーヒーを飲む時間はなくて、一冊50円に値下げしてあった雑誌や新聞と
クッキーを買ってお店を出ました。

NYチーズケーキ食べたかったなあ。

プロペラカフェ・ブログ

まとめて買っちゃいました。全部英語で読めないけど。