青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

速記掲示板 その五百六十

2021年08月13日 17時44分25秒 | 投稿

神戸から明石にかけて、江戸時代早くから温水供給設備や、空中浮き囲炉裏、呂雨濾が漂着している。
しかし、難波方面に関しては月製の呂雨濾が旅館に漂着していたぐらい、だった。
竈や、浴槽への温水供給法は、京と同様煙の出ない薪燃料を燃やしての直接熱し、や大きな銀ダライでの流しへの運び。
薪は一般家屋は三日置き、旅館は毎日、供給施設へ貰いにいく。
外国人が滞在する旅館とは、呂雨濾がしつらえ済みが常。
婦人受けが激しかった。
温水供給設備、空中浮き囲炉裏、呂雨濾といった利器の拡散は近畿以外では見られなかったのか。
日本その他の地域や、外国には見えなかった。
京が眩し過ぎた。
理由不在ながら大画面規格ばかりであった、テレビの拡散は既に触れた。
明石が僅かと、京で大量。
白黒映像が既に内臓録画されている、と住人は知っているが、人の過去の動きを現在の座しの己が
閲覧していく、との意欲の充填が面倒であり、大勢が集まっての鑑賞会以外では、全く点灯は無かった。
大型画面が、家の一階か地下に置かれてあるだけ。
例えば縦一・三、横二・二米。
全て月製であるが、上賀茂神山の倉への漂着は、製造管区との取引や直接関係は無かった金星が、月でのテレビの浮上と共に、誘因していた。
樹脂製の歯ブラシ、水入れ器といった衛生用品の漂着領域は明石方面と京から枚方ひらかた、辺りにかけてのみで、難波は除かれる。
以前触れた、“大陸の遼寧らにも見える発展方向性”とは、コンクリ舗装の道と四階建ての建築物と当時重要であった、民度の許容方向性が京と似り、な点。
コンクリの素材は月から大量が転送されていたが、これは明代後期から知られており、倉での放置事実だった。
付き合ってられん。
浴槽は、火で熱しても、燃焼に至らん木材群を複雑な紋様に編んだ底、との一文を必ず利用者毎度の頭部に点灯せしめる、との溶け意識の時への調律法が異界から降臨間もない者の知恵により、しつらえられていた。
これは京の公家家屋に敷設。
スカしとる。
縄文土器状の側面との、やや斜め広がりを、竹素材が巻き付きて構成。
広範囲は鈍い茶色で底の近くを巻くは、階段三つ下り、二つ昇りの紋様が帯びの中で無数に追い掛け中。
高さ一・五米、円形の底の直径は八十糎に木製の階段が架かる。
水瓶から延びる樹脂製の茎を差し入れての水入れが可能だった公家は十軒以下。
これは高かった。
公家であっても水は、地下の大きな岩風呂状の蓋を開け、銀ダライに汲んで浴槽に入れていた。
浴槽の底には栓が有りここから先の排水溝は、大抵は石素材で漂着先の溜池構造も地下に存在していたが、湯とは全てが、そこに至るまでに蒸発していた。
道の地下に埋まっていた排水溝は、江戸時代末期に撤去されていった。
地域行政に関わる者達に、必ず伝達されていたのは排水溝の敷設地図ではなく、口伝でこれに従い、地面を掘っていった。
撤去の理由とはただ、頭に障る、これだけ。
言語、絶し、をただ強いゆくのみの、謎の純白人生階級への仕え遺構らしき、がまだ行政の端にて確かに埋まる巻物なれば、流行りである、広域民生への同時懸念策に障る。
浴槽への水入れ役は大抵は男、二十四ダライで満。
体洗い用の湯を貯めていたのは、傍らのやや間抜けな樽印象の木目編み、高さ一米以下だったが、これの呼び及び、ここへの熱の伝導とは、当時の言語操作観点から、何ともいたたまれない価値を即座に湯気吸わせてきた、らしかった。
体を荒い布やら、女向けなら全然荒くなく絹素材、で洗うのは浴槽の外。
京の非公家家屋なら、石風呂状が一つまたは二つ。
階段は無い。
浴槽価値領域の高さは七十糎、縦四十五糎、横百三十糎で壁の厚みは何と、十八糎で底も同様。
火力で攻めよ。
水瓶が在ったのは大抵は家の地下で冬は表面が凍っとった。
割るのみ。

難波の楼閣は、寝台が在った。
床からは高し、かつ壁構造備え。
誰でもが思い付いて、製作しとった。
客人は布団とは、口語にて案内されている寝台の倉から、自分用を部屋に持ち帰り、退室前に、使用後置き場の倉に戻しておいて下さい。
これ、常識。
布団を、部屋にしつらえておく、これ客人はすぐ寝れ、翻訳先たる、間抜け人生中への無抵抗履歴ながらの、遠方訪問者よ、へ抵抗出来ず。
ダチョウ、鴨の羽を呑む高級布団は、外人向け楼閣に。
長期滞在者向けの洗濯場なら、どこの楼閣にも在ったが、事前に洗剤を準備しておく、は旅行者の頭には重くのしかかる判断で、現地入手もこれまた難儀であった。
長期予定者は洗剤を事前準備。
酒なら膳の間に出される。
酔わん程度、が滞在先での常識。
疲労の乗せ付け先とは、難波では料理。
広東料理が出る。
不人気。
こっち来てもまた、や。
室内は椅子、机、ガラスの扉、樹脂製の箱に収まるフランス語表記丸出しのコニャックと英語表記のウィスキー、月語丸出しのトニック系の月の酒、夏にはネジ巻き式扇風機、五十分量操作可能、と樹脂製の枠に収まる七十糎立方体の氷が部屋の各所に四つ置き。
紙の器は一階に有るので、そこから自分でお持ちになって下さい。
冬の難波訪問客とは、当時の言語指示と便益の相関結果として、極めて稀だった。
部屋での滞在者は、そこで考え事。
題材は事欠かん時代だった。
アヒルの丸焼きが膳に届く。
大いにへこむ。
ちなみに料理人は上海からの帰化人。

京の火鉢は、瓦斯を燃料とする、斜面が穏やかな湾曲をたたえる小刀に体積を与えた構造が温風を漏らしていた。
操作すれば、温風は止まる。
構造は樹脂製で、素材は既に京自前だった。
これが公家の家に四つから六つ。

色は象牙色。
https://www.colordic.org/colorsample/2161
公家、平民多くの火鉢には、亜鉛、銅、スズ、砂鉄入りの懐炉構造、六十五糎立方体にて触ると危険、式も在った。
これが家に十。
熱を止める方法は水掛け。
起動法は銅の粉を紙越しに大量に置き、灸を据える。

夜間、家では公家、平民問わず、読書が専らだった。
書籍を執筆していたのは、京各地に偏在していた専門の業者で、主張可能な報酬量、到達量とはまあまあ、高かった。
学者未満段階者にとっての、仕事がこれ。
京人が夜間耽っていた読書の故とは、楷書作法への頭部内、攻め立てられを認めず、にあった。
日々生きていると必ず流れる、草書体仕草万象の果ての、頭部、風による草流れを避ける術とは、自然に各々が着想可能だったのが当時の民度への貢献自認者、経済所属者だった。
ひたすらの楷書作法、改め認め、の時とはすべからく、漢語書籍の黙読。
あまり、興味は無いのだが、明代の生活習俗辞典を毎晩読むべし。
これを当時の人間とは、そこそこの意欲と共に実践していた。
効率の良いと知る、だれ、への回避法、気合入れ時間帯を。
公家、平民、十、十割にとっての音読型脳内手淫がこれ。
書籍発行業者の数は京に二百五十。

難波の場合、準、高級旅館やら、とかには呂雨濾どころか、入浴施設、洗面台すら無かった。
朝に、旅行前に掌握済みの近くの湯屋を利用する。
直径一・二米、高さ九十糎の大きな桶状の六割に湯が入っており、この桶がすのこ状または正方形形成のおうとつ感のる陶器群が敷き詰める床の、広い部屋の中央や、端から二米ぐらいに十二個、または七個が一列に並んでいる。
湯は一回利用ごとに、番頭が交換。
全部捨てる。
体を洗うのは、常識としては、桶の外の高さ七十糎の風呂椅子に座ってから。
石鹸やらは持ち込むべし。
小さな桶で中の湯を汲む。
朝七時から利用していい、ようになる。
木の跳ね板が天井近くで複数浮いており、ここが窓状で光を桶に差す。
桶の淵に背中をもたれ、光を呑む。
当時の旅行人としては、この時とは超絶快楽、新皮質抵抗不可であった。
利用可能だったのは、一般利用客のやや上、自覚人以上。

樹脂製のとつを、体重かけて押してから上から湯が降ってくる構造は難波には見えない。
京と神戸方面だけ。

よその市を訪れる、これとは当時、一般人の頭にとってはあまりに大きな買い物籠、頭に引っ掛からせ行為だった。
つまり、非常識。
よその市で滞在がてらの仕事に至っていたのは、一般人自覚状態者ではなかった。
金持ちやら、財界権勢五指自覚者。
結果的に、難波での滞在客は呂雨濾か湯屋のいずれ。
銭湯とは在ったが、これの利用に吸い込まれていたのは、難波の端際からの、仕方の無い難波への移動状態者のみで、銭湯とはくしゃー。
濃い湯気の中に、時間により、十六人が詰める。
湯の交換は無いで、水道も無い。
そこらの椅子に座って湯を汲んだりしてみろ。

難波、京いずれであっても、夏は体を濡らした手拭いで拭く、が入浴日以外では普通だった。
入浴まではせんでも、行水ぎょうずい、だけやらぬるま湯だけで体を洗う、といった日は、中途半端手続き判定、にて何と、極めて稀だった。
頭に、大いに障っとった。
だけん、入浴日以外は手拭いが専ら。
派手な応接ごとの日が控えていたなら、女なら必ず入浴していた。

冬以外の外で着る普段着は、男女共に流し、風体の一張羅だったがこれを洗う頻度とは、二カ月半に一度だった。
常に、洗浄行為価格を購入出来んだったらしい、民度維持への雑多買い物の日々故。
秋は中着はしょっちゅう洗っていた。
そして、外着とは人間一人とは、一季節、一本のみへ誰もが追い詰められていた。
店ならどこにでも在るが、二着目の購入へ誰もが至れん。
季節の変わり目に、一張羅を速攻洗っていた。
家の洗濯場で、洗剤で洗う。
これが、自由には出来んだった頭だったらしい。

一季節向けの服を何本も持っとるやら、箪笥が三つ在るやら、化学繊維丸分かりの薄緑色の、脇から反対のあばらの底辺まで斜め裂けで肌晒しの、金星言語由来意匠の服持っとったのが、外星人応接役標高の二十、三十台の女だった。
電池で一季節動くドライヤーに大きな三面鏡付きの化粧台、各種気合入れ用の小物群。
あまりに多様でから、応じた気合群を励起可能。
真鍮製の複雑紋様に、本物の宝石への合成樹脂の挑戦が、注視者の左脳に永遠にこだます、非スワロフスキーの赤、緑、青、灰の石が埋まる。
“利便性を私の頭上の電灯灯し状態にまで搬入してくれた、私と他者双方の無意味な視線、言葉とは嘘と貶められるべき、いいえ、健全な筋肉内血流の時よ、を健全に言語捉えしゆく機とは、ここに埋まりし光石見詰めが、当然ふさわしいわ。
だって、うふふ、あの人達との会話があったとして、帯の新調の機に私を導いてくれたとして、月人の方のご滞在に関する折衝の時を、あの人達の袴で包ましめすのは、私による、すのこ並べ行為、離れの倉への早歩きに当たってしまうわ。”
耳飾り、口紅、首飾り、金と銅混在金属製のかんざし、にて重量職務頭部揺らし中認識を拡散女。
年中毎日、呂雨濾か入浴。
仕事が盛り上がったら、応接の仕事と関係の無い高級旅館で、外星人の男とちんぽ。
これを購入する意欲とは、預金口座に溜まりまくりだった。
月人、月の異空間文明人、金星人。
表紙の“鶺鴒”の漢字はな、感得とは長いクチバシで赤い血管走りの脳をついばむ、複数の純白のタンチョウ共だったとぞ。
何やこいつら。
遂に、何を喰いおるんか。
初めての戦慄角度を、全て、やった相手とは、ああ、俺とGACKTの喉。
青龍文明へと通じる、唯一の隧道。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする