自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

貨幣の話(つづき)

2020-11-30 | Weblog

 昨日のつづきで、貨幣の話
 NHK「麒麟が来る」を見ていると、当時の貨幣単位は、通常、「文」と「貫」であったことが分かる。信長は上洛1年後の永禄12年通達を出す。「金10両は銭15貫、銀10両は銭2貫とする」これは従来の兌換率に比し、銀の価値を上げていた。信長は生野銀山を手に入れることを織り込んでいたと言われる(それには、その後、数年要したが)。また、この場合の「両」は重さ(貫の約1/100)の単位である。
 昨日、日曜のドラマでは、叡山へ薬を売りに行き信長軍に殺された少年は、その直前に薬代として8文を届けた、とあったが、この当時の銭は、中国から輸入された宋銭、明銭であった(その中でも永楽通宝が良貨で有名)。流通を賄いきれるほどではなく、私鋳銭が横行していた。悪貨はビタ銭と呼ばれ(ビタ一文の語源)これは兌換率が低かった。
 一貫は銭1000文のことであり、重さ3.75kgである。信長は堺に2万貫の矢銭を要求したが、現在価値にすると2~30億円とも言われる。(文=100円で20億)
 秀吉(藤吉郎)が親から離れ、家を出る時、母親は一貫を渡したとされるが、12万円程度とする人もいるので大体それぐらいかナ。1000貫で1億2000万円だ。
 昨日のドラマでは、松永久秀が、持っている肩衝茶入を1000貫で買い取れば戦を止める、というところ、順慶が「80貫」と返し、「今、信長が所有する「初花(肩衝)」なら値する」とのシーンがあった。戦には金がかかり、しないで済むなら1000貫でも妥当ではある。
 国産貨幣が庶民に流通するのは江戸時代、寛永通宝のおかげである。「貫」の語源は大量の貨幣を携行するために、銭を束ねた道具「銭貫」からである。穴を貫いて紐や木を通す。江戸時代、こうして結ばれたものは、商慣習で96枚で100枚とみなされた。(96であれば、3,4,6,8で割り切れる)(中国から来ているが、室町幕府が定めた経緯もある)
 写真の貨幣は、ご先祖様が残したものだが、結んだ寛永通宝の枚数を数えると95,6枚となっている。これでも約0.75貫だけれど重い。
  また、江戸中期には1両=4000文(4貫)だったものが、幕末には1両=6000文にまでになったという。この重さの寛永通宝でも、昨日の写真にある一分銀一枚にも足りないのである。

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悪貨は良貨を

2020-11-29 | Weblog

 ブログに9月に稲100円銀貨を掲載したが、反応もなかったし、旅行前に90数枚を銀行(100枚まで手数料のいらないJAバンク)で交換してしまった。(先日コメントを頂いたけれど申し訳なかった)
 銀の価格アップで割に合わなくなったため現行白銅貨に代ったわけだが、こういうことは江戸の昔から行われている。
 自分は小学6年の夏休み自由研究は貨幣の移り変わりとして江戸から戦中までの貨幣を標本にした。貨幣の多くは親父から譲渡されたもの。それがきっかけで、古銭収集趣味は小5の時からだ。
 写真上段は右から安政一分銀、明治18年と明治40年の50銭銀貨。下段は大正から昭和にかけて発行された鳳凰50銭銀貨、戦後昭和21,22年と22,23年発行の50銭黄銅貨。左端は1円玉とほぼ同じ大きさ。
 安政1分銀は銀90%で天保1分銀より金、銀の割合を落としている。1分は4枚で1両となるが、銀の量9,2匁(天保)で、15,6匁相当が1両なのでとても足りない。(1両は銀60匁だが、これは丁銀など合金での重さ、その品位が発行時点で大きく異なり、ややこしい)その分幕府が儲けるわけである。それでも庶民は小判など関係ないから、一分銀などの銀貨が大量流通することになる(一分銀は天保年間から流通始めた。それまでは無かった)。
 明治40年の50銭銀貨は、テレビドラマ「おしん」で、ばあちゃんから貰って最初の奉公に出た頃の銀貨である。大正~昭和には鳳凰の銀貨、戦後の一時期、50銭は黄銅貨として使われた。なお、明治初期の龍紋が後年日章に変わったが、龍紋は天皇をあらわしていたが、龍を尊ぶのは中国の思想であるということで使われなくなった。また、当初龍紋のある方が表であったが(初期の銀貨は表裏は日章と龍紋の意匠であった)、明治30年から菊の紋があるほうが表と定められた。(今は年号のある方が裏である)
 インフレ気味の経済活動もあるが、「悪貨は良貨を駆逐する」の歴史は繰り返す。

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ゴマ汁蕎麦

2020-11-28 | Weblog

 昨日のポタリングのことなど。
 先週のNHKこころ旅で火野正平が三春町でゴマ汁蕎麦を食べていた。ゴマ汁うどんはなんども食べているが、蕎麦の方は食べていない。食べてみたくなったので、ただ、そのためだけにサイクリング、というかポタリング。行き先は久居の「十得」。
 ランチの事が頭に浮かぶと、抑えが効かなく、9時半過ぎに家を出る始末。まっすぐ行けば当然開店しておらず、回り道をする必要がある。それも食べる為だけという動機不純のサイクリング、山道など行きたくない。ということで、平場を時間つぶしのポタリングとなった。
 まずはJR下庄駅前をゆるゆると南下、大里から今徳へ、時間つぶしに光明寺集落の山麓を登ったり遊んでみて、家所、変電所へ入る田舎道をたどって稲葉上垣内まで行き当たり、旧道で久居へ。ぎゅーとらミシェットで明日のパン買って、「十得」へ。
 さて、ゴマ汁蕎麦(写真)やはり、うどんの方が良いかな。蕎麦自体は良いし、ゴマ汁も旨いのだが、香りがゴマに負ける。やはり、うどんは融通無碍だ、と納得。食べた後は真っすぐ帰宅。走行66km

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goto東京(3)

2020-11-27 | Weblog

 goto東京最終日、午前中は平成21年に国宝となった、「迎賓館赤坂離宮」見学。もともと東宮(皇太子)御所として建てられ、戦後東京オリンピックの組織委員会事務所などとしても使われたが、今は国賓の迎賓館。普段は公開されている。平日となり、天気は曇りだが、空いていて良かった(写真、裏側の庭園側から)。まぁ、ベルサイユ宮殿のミニミニ版のようなものだが、一度見ておくのは良いかな。正面玄関階段を2階へ上がったところの両脇に小磯良平の音楽と美術をテーマにした若者群像の絵がある。好きな画家だが、このゴテゴテの館内にはいささかカジュアルな感じ。好きな画家だし、自分はなんとも思わないが、ボランティア説明案内の方は不満げだった。狩野派の絵ならそういう不満はないかも、とも思う。きんきらゴテゴテにはふさわしい。
 四谷駅前の飲み屋街にある、椅子を外に積み上げ、立ち食いそば屋に変身した蕎麦屋でランチして、次は目黒の都立庭園美術館へ。10年以上前に来たことがあるが、裏手に新館ができていた。ここは朝香宮家の邸宅であった所。戦後吉田茂の公邸にも使用された。赤坂迎賓館が昭和49年の改修なるまでは白金迎賓館として使用された。重要文化財でもある。玄関はラリックのガラスレリーフの内扉で飾られている。ラリックの最初のデザインはヌードであったが、着衣に変更されたと曰く付きのもの。アールデコ建築様式の館内では現代美術作家8人の展示。このマッチングが面白い。新館のカフェでお茶し、庭を散策してから帰宅の途へ。
 3日間、コロナに罹らぬよう気を付けたが、どんなもんでしょう・・・。

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goto東京(2)

2020-11-26 | Weblog

 東京2日めは、日中、孫の七五三にお付き合い。昼の会食は地元の寿司屋で、2世帯住宅に一緒に暮らしている婿殿のご両親と計8人の個室密、2家族ではあるけれど・・・。
 夕刻は、西武池袋線東長崎で降りて、徒歩10分少々の「トキワ荘マンガミュージアム」へ立ち寄る。入館無料なれどこの時期予約制。企画展で「寺田ヒロオ展」(500円;缶バッチ付き)をしていたのでそれも見学。
 トキワ荘は漫画好きには聖地のような場所。1982年に解体されたが、近くに場所を移して豊島区立として再現された。
 手塚治虫ついで寺田ヒロオが初期に入居し、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、鈴木伸一、女流漫画家のさきがけ水野英子などなど自分が子どもの頃に読んだ漫画家の巣窟だったのだ。
 寺田ヒロオ、と言っても世代が違うと知らないかもしれないが、少年サンデー創刊号から、「スポーツマン金太郎」という野球漫画を連載した。そのほか「暗闇五段」とかを読んだ記憶がある。月刊COMに「トキワ荘物語」を連載していたのも読んでいる。(一緒に行った山の神は全く知らない、と言っていたが・・・)当時の直筆原稿も展示されており、懐かしかった。
 先日、サイクリングのランチに立ち寄った店で、漫画雑誌があり、手に取って見たが、劇画ばかりで、しかもタッチの荒々しい、とげとげした作品がほとんどで、穏やかにほのぼのとした感じで、かつ、面白く、知的に興奮するような漫画が無くなっているなぁと思ったものだ。今は子どもが読むものではないのかもしれないが、でなければ、いささか心配だ。寺田が描いていたような児童漫画が、漫画のすべてではないとは思うが、当時の刺激的な劇画ブームに掉さし、結局、漫画家としては生きていくのが難しくなってしまったようだ。(1992年61歳で死去)
 今回、トキワ荘を訪問しようと思ったのは、病院に置いてあった「芸術新潮」11月号(写真)を観たためでもありました。、漫画で育ったような自分だし、中3の時にはクラス新聞に4コマ漫画を連載(3回で終了したが)するなど、漫画大好き人間だ。油彩で人物画が好きなのも、そのためかも。

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goto東京

2020-11-25 | Weblog

  てんやわんやのgotoの最中、東京へ行ってきた。段々状況が悪くなっていく中で、ほんまに行くんかいな?!と思っていたが、マスクに消毒薬を持って厳重警戒で行くことに。行きたい居酒屋もあったが、これは断念。孫の七五三にひっかけて山の神と2泊3日。東京は2年半ぶり。
 初日は単独で千葉市(と言っても千葉駅から20kmほど東の土気駅下車(東京駅から快速で1時間)にある「ホキ美術館」へ。ここは写実絵画の殿堂である。駅からバスで行ったが、日曜でもあり、コロナでも予約は満杯。ただ、入場制限で1枚の絵当たり一人もいない館内はゆったりと観ることができる。本や美術雑誌で収蔵されている作品は何度も見ているが、やはり原寸大の現物をまじかで観ると、画家により描きぶりが随分異なることが分かって良かった。どんな絵があるかは美術館のホームページを見ていただきたい。(写真;裏側から見た美術館)
 2時間ほどいて、バスの時刻に合わせて帰ったが、自分の描いているようなものは「写実的」というのもおこがましい、といささかげんなり、打ちのめされてバスに乗る。
 

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伊賀越え

2020-11-21 | Weblog

 明日から3日間、goto利用となる。コロナの勢いが下がっている時に予約していたので、この結果が、さてはて2週間後ぐらいに、どうなるか、だ。新聞に匿名で載るかも。
 ということで、最後のサイクリングになるかもしれない、今日の伊賀越え。朝から、風が強いので、午後は大変かも、と思いながらペダルの重みを味わう。
 紅葉で人気の芸濃、河内渓谷の人出はいつもほどではない。紅葉も先が赤く、中ほどは緑と言う、いささか中途半端。一旦の冷え込みで赤くなったが、このところの暖かさで中断したかのようだ。
 錫杖湖から伊賀越えの道に入る。この辺りは、平維盛(清盛の孫)落人伝説があるところ。那智で入水したと見せかけて、31人の兵とともにこの地へ落ち延びたといわれる。落合集落の成覚寺には墓もあり、守られている(この寺の住職は維盛直系の子孫であるとしている:清盛の父親は津で生まれているので、あながち伝説だけではないかも)。
 今日は伊賀越えなので、墓参りは次回と、南垣内にある、無人の寺のあたりで紅葉見物(写真)。誰もいないが今が盛りの紅葉だ。SFIDAホイールには23Tを嵌めているので、こういう短い峠しか登れないなぁ、と思いながら、峠でギアをみると21T、まだ1枚あった。
 峠を降りて、長野トンネルを抜け、ダウンヒルと楽しむ。38㎜のホイールは速度に乗りやすく自分の脚には下り用かナ。
 ランチは「一粒庵」の弁当。土曜はさすがに注文少なく、ふりのお客には材料不足と、昨夜の仕出しの残りを詰めていただく。ボリュームあって良かったけどネ。
 帰途は、風の影響の少ないグリーンで安濃まで。中勢BPに出て帰宅。風は予想通り午後には強くなっていた。(走行76㎞)

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絵画鑑賞

2020-11-19 | Weblog

 昼過ぎまで、婆さん宅アトリエで油絵作業。まだ自分の絵のスタイルもなにもあったもんではない段階なので、絵の方はいささか膠着状態。2時から「第一美術 三重グループ展」を鑑賞しに、海山道にある「三浜文化会館」へ行く。
 第一美術は全国的な団体であるが、その三重県在住のグループ展。自分の属する「丘の会」の先生の所属団体でもある。11人の作品60点あまりが、3階のギャラリー2室に展示されている。鑑賞すれば、今の描きぶりをなんとかしないといけないなぁ・・・と思うばかり。(会場写真)なお、展示会は23日まで(無料)、ご自由にご覧になってください。

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秋の色どりを愉しむ

2020-11-16 | Weblog

  昨日よりも暖かくなるとの予報。アンダーを夏用半そでに秋用長袖ジャージにウィンドブレーカーを羽織ると暖かく感じる朝、8時半過ぎに家を出る。この格好では、昼からは暑いかなと思わせる天気だ。下は秋用タイツ。まぁ寒くて震えるよりは良いかと。
 今日のランチは「鹿フライ定食」と決めて、まずはグリーンで南下する。この道のアップダウンは好きではないが、これを避けるようになれば、その時はサドルを降りる日だ、と思って走る。猫座坂から家城へ抜けてコンビニ水補給。美杉の谷も久しぶり。天気も良いが、山の紅葉(黄葉)が綺麗。いつもより今年は色づきが早いのではないか、と思うほど。
 ランチのお店「山里」には開店の11時過ぎに到着、最初の客として、さっそく「鹿フライ定食」850円を注文し、美味しく頂きました。
 店を出てしばらくの所にある紅葉をカメラに納め(写真)、山の色どりを愉しみながらのんびりと走って、飼坂峠を登る。
 峠を降りて、霧山神社に立ち寄り、秋景色を堪能。八手俣川沿いに下って、矢頭トンネルを抜けて、大仰、石橋の榎の木の下で休憩。久居、中勢BPで15時過ぎに帰宅。走行121㎞。美杉の山の色どりが綺麗な一日でした。

  なお、矢頭トンネルから嬉野側は途中の拡幅部舗装工事の為、明日(17日)一日全面通行止めです。

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市内散歩

2020-11-14 | Weblog

 良い天気で暖かい。ロングに良いのだが、今日は午前中、市内ポタ。9時過ぎに家を出て、まずは深溝。稲わらでペンギンを作ったというので見物に。稲わらで作る像といえば、下仁柿のものが先輩だが、そこへ勉強に行って制作したようだ。下仁柿もご無沙汰している。「山花」ランチが遠のいているためだが仕方なし。
 ペンギンは下仁柿のものと比較するとボリュウムがやや小ぶりかな。地元のだるま寺の「だるま」も作られている。干支で作れば題材探しに困らないし、この時期に良いのではとも思うのだけど。(写真)
 見物の後は、距離を少し稼ごうと、伊船の集落を抜けて、八島川下りコースへ。次の目的地は広瀬の「長者屋敷」発掘現場見物。
 昔からこの辺りを耕作をすると瓦が出てくる。よほど大きな屋敷で長者様が住んでいたと思われていた。「金藪」という所もある。しかし、実際は伊勢国府跡。今は、南北0.8㎞東西0.6㎞の範囲のうち74,000m2が国史跡に指定されている。奈良時代、伊勢国の役所あとで、役人、軍人など800名以上勤務していたという。
 今日は今年度発掘した現場の見学会。頂いた資料を見ると、政庁のあった場所から北に向けて幅24mほどの大路が500mほどあったような感じ。奈良の都のように碁盤割になった役所・住居?群だ。この辺りで土を掘れば今でも瓦が出てくる(畑のへりに邪魔だからと転がっていることも)。最新の情報仕入れした後は、農道をたどって、森下山の集落経由、国1号を渡り、和泉の「うお徳」で昆布佃煮を買って帰宅。走行45㎞。

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古墳再訪

2020-11-11 | Weblog

  月曜からどうも悪寒がする。風邪の引き始めの症状かと、安静にしていたが、この時期、もしやコロナでは?と言うと「他人と接触してないやんか」と山の神に一撃。
 体の調子も戻ってきたようで、午前中、軽く、椿~和無田~国分町へ抜けて、富士山1号墳を見物サイクリング(写真)。この間新聞に載っていたので9/19以来の再訪。説明板も整備され、木も伐採されて綺麗になっていた。帆立貝式古墳で市内加佐登町の白鳥塚古墳と同形式。全長55m周囲に5m幅の堀があったという。古代から奈良時代の地元の豪族大鹿氏の墓、という。
 昔、中学校内にも古墳が残っており、遊び場であったが、校舎建設で壊すため調査し、鉄剣や勾玉が出てきたことがあった。歴史好きな自分としては、古墳は、出来たら、葺石や埴輪など創建当時の状態に復元して保存してほしいと思っている。走行48㎞。 

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焼鳥丼

2020-11-05 | Weblog

 今朝の新聞、オリンピック自転車ロード選手決まる。男性は新城と増田、女性は与那嶺と金子。金子選手は四日市在住で嬉しいね、おめでとう。おおいに頑張っていただきたいところ。 

 今日は昨日よりは穏やかか、とサイクリング。行き先は「中村川」。8:40頃家を出て、一路中勢BP南下。風は南風で向かい風。「これは、帰途も向かい風になるかな?」と思いながらペダリング。南寄りに小さな低気圧が移動している(多分)。
 北勢と違って、中南勢の地形は奥が深い。川もなだらかに山間を流れる。中村川の風景もそんな感じで味わい深い。
 絵のモデルとなっている現場で観察。今日の流れも水量はやや多く、新たな発見もあった。草木の色付きがモデルとしている昨年より早く、まぁ仕方ないかとも思う。
 ランチは「うきさとむら」。鳥焼きを頼んだつもりが出てきたのは焼鳥丼(写真:850円)。みそ汁付きでご飯もやや多いので良いが、やはり焼きながら食べたほうが良いかな、との感想。
 細野峠を越え、ふもとへ降りるが、やはり向かい風。時間経過で向きが南~東~北へと変化する。強い風で無いのは助かる。いつもは島田橋へ戻るが、今日は直進し久居市内を通過、藤が丘へ抜ける道をとる。中勢BPで帰宅。走行107㎞、このほうがやや距離は短い。

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寒くなってきた

2020-11-04 | Weblog

 今朝は冷えた。年寄りはなぜ寒がるのだろうと、若い頃は思っていたが、なるほど、寒いのだ。
 サイクリングに行こうと思っていたが、風もあるし、やめにして、津の地所の秋の草取りに。9時過ぎに津駅のチャムに寄ってサイクリング用の井村屋一口羊羹をまとめ買い。
 草取りの方は、1時間半ほど要して車一杯。体も暑くなって上着を脱ぐ。帰途に津の酒屋(スギヤ)によって、燗酒用の「大七 純米生酛(2800円)」を購入。夜には早速封を開け、燗で一献。今日は九谷の2合徳利で飲んだが、勿論2合は飲めない。山の神の一口分入れて1.2合も入れたかな。美味しゅうございました。

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