自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

それでいいのか「自転車男」

2006-11-29 | Weblog
 本当は「それでいいのか蕎麦打ち男」と言う題名の本。残間里江子著である。今日は東京出張で、新幹線の往復で読んだ。ようするに、中高年、特に団塊の世代に蕎麦打ち男に代表される内にこもった趣味【せいぜいご近所に蕎麦を配るぐらい】に走ることを戒めている。
 本書は団塊の世代が埋もれ、朽ち果てていくのではなく、社会的に存在感を示し、社会に影響を与えるべくがんばんなさいと言う趣旨のようだ。
 著者は一つ年上(多分)の’50年生まれ。団塊のはずれだが、団塊世代に入れている。’51年生まれのポスト団塊?の私としても、団塊の世代の共通的性向、考え方、行動様式など書いてあることにはガテンがいく。
 さしずめ本のタイトルを当てはめれば「それでいいのか自転車男」である。うーん、少し考えておこう。
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卒業旅行

2006-11-28 | Weblog
 山の神が、ロンドン、パリなどと書かれたツアーのパンフレットを大量仕入れてきている。3月中下旬に行くのだそうである。長女の大学院修了に引っ掛けて、次女も併せて3人で行くのだそうだ。「あんたは仕事」だ。
 面白くないが、早々休めないのを見透かされての発言。長女は大学の卒業旅行でロンパリは行っているからどちらかと言えば山の神の主導のようだ。
 なんてこった。稼いだ大枚が消えていく。なんて事を言えば山のような反撃が恐ろしいのでブログで不平たらたら。
 こうなったら、ホイール返し、いやフレーム返し、えーいまどろっこしい・・・・。本当は一緒に行きたい・・・
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伊賀牛

2006-11-26 | Weblog
 今日は朝から図書館で仕事の勉強。天気は何とかもっているので、残念だが、仕方ない。ただ、走る動機もあまり強くない。走る意識がオフ状態だ。夕刻ローラー30分、汗を流す。こういう意識がはっきりしていないときは、短くともローラーの方が集中するかも。
 さて、23日の京都の帰りには、石部の常楽寺で紅葉を見て、柘植に出て、旧街道の街中にある「大道精肉店」に寄って肉を買って帰宅した。
 「鹿深の道」コースを走るとき、いつも気になっていた店で、伊賀牛で知られた店だ。店の中のケースにはそれほど肉は入ってなく、注文を聞いて、スライスなどしてくれる。肉を包むのもヒノキの薄皮、ひねり紐である。昔ながらの包装にもこだわりが感じられる。高い肉は買わずに大衆的値段の肉で済ませた。さっそくその夜、しゃぶしゃぶにして食べたが、期待に違わず、濃い味の旨い肉であった。
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観劇

2006-11-25 | Weblog
 今日は午前中お仕事で、思いのほかはかどる。仕事を切り上げて、昼からは山の神と名古屋で劇団四季公演観劇。「夢から醒めた夢」まぁ青少年向けか。でもミュージカルは躍動感があって当然音楽、歌ありで楽しく好きだ。
 
 それにしても、気が付いたのだが、一昨日ブログに、「永楽 和全保全」展を昨年秋見た観たと書いたが、観たのは4月末ゴーデンウィークだった。記憶もいい加減になってきた。髪もとんと薄くなってきたし、老化著しいのか・・・
 さてはて、これからの身過ぎ世過ぎは、もの事難しく考えないで、歌や踊りや自転車漕いで老いを迎えるのみなのか・・・いやはや。
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京都で陶器鑑賞

2006-11-23 | Weblog
 今日は山の神と京都へ美術展(陶器)のはしご。天気は曇りだが、紅葉散策ではないのであまり気にしない。
 朝10時前に、京都国立博物館駐車場へ車を停める。この時間だと道もスムーズだし早く来るに限る。で、特別展「京焼」を観る。仁清以前の京焼誕生から、明治までの歴史的集大成。観るのに2時間半ぐらいかかった。昨年同時期に東京国立博物館で「伊万里京焼」展、三井記念美術館で「京焼の名工永楽 保全・和全」展を観ているので、一部に同じ作品もあったが、今回は様々な作品、ボリュームがあって見ごたえがあった。
 北山で昼食後、上賀茂神社横【写真】の「なり田」で漬物を買って、今度は上京区の「楽美術館」へ。企画展「光悦と楽道入」を観る。
 ここは楽家の敷地内の小さな建物で、茶碗展示も40点ほど。しかし山の神お気に入りの光悦「七里」などがあり、ここはお付き合い。もともと陶磁器は、染付けや民芸(沖縄の壺屋焼きなど)が好きなので楽茶碗は好きでもなかったが、こうしてみているとなかなか見所もあるものかなと感じてしまう。柳宗悦の言う「茶の毒」に染まってきたのかもしれない。
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業爆

2006-11-22 | Weblog
 今週は、東京出張、今日は名古屋出張と忙しい。夜まで予定があり、自転車屋による暇もない。
 それでも明日の休みには山の神と京都へ遊びに行こうと考えている。この土日は仕事のスケジュールが入っているし、多度のみかん狩りにもいけない。とんだシーズンオフの状態だ。これでは12月からの始動となりますね。
 三重テレビで放送された四日市のレースも見ることが出来ず帰宅した。DVDに録画をするようメールで頼んだら、山の神は会議で不在で、既に「ためしてがってん」が録画されていた。大腸がん特集で、先週は千島地震で放送できなくなり、再度の放送だ。そんなことになったので、録画するよう言っていたためだ。残念。四日市のは再放送はないのかな??
 
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今年の目標と結果

2006-11-19 | Weblog
一応今年の目標は3つだった。
1 丸岡集団ゴール、2 乗鞍1h28分切り、3 沖縄完走 100位以内
結果は、
1 丸岡はチェーンが脱落。集団に置いていかれた。 2 乗鞍1h28分5秒、と5秒で涙。 3 沖縄は完走はしたものの、138位と密かな目標には届かず。
来年の目標は、沖縄は欠場予定として、それ以外は、そのままか。
乗鞍で終わると、秋の走りが気儘になるので、何かをつくる必要がある。そのうち、考えることとしよう。・・・ウィダー4耐23周なんてね。(昨年22周)  
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今夜は忘年会

2006-11-18 | Weblog
 今夜はチームMS97の忘年会。自転車乗りのシーズンが終わる時期であり、リーダーからは「明日から来シーズンイン」の檄が飛ぶ。
 今年の忘年会は会費0、というのもチーム5人のメンバーが10月の鈴鹿ウィダーエンデューロ8時間で2位となったから。2位の賞金は15万円。これを皆にご提供いただいたという、誠に感謝に堪えないご奉仕。会は大いに盛り上がり、上等のお肉で焼肉、腹いっぱい。5人の皆さん、ありがとうございました。

 午前中は椿神社往復。今年のシーズンの無事を報告・感謝のお礼参り。走りのほうは、シーズンオフとなり気儘走り。今年のレースが終わって気儘に走るのも良いものだが、目的なしの走りでは調子もいまいち。やはり目的意識をもって走りたい。(走行43km)
 午後からは所要で伊賀市往復(車)。戻って、忘年会と忙しかった。
 
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沖縄の顛末(番外編)

2006-11-17 | Weblog
1 スタート地点で後ろにいた武蔵野「サイクルハウスイシダ」のチームHOTSTAFFのメンバーと話をした。
 「高坂さんは参加してるの?」回答は、「今回は茄子の次回作の栃木を舞台の作品に没頭していて欠場」
2 知らなかったが、名護は桜の名所らしい。「名護桜の女王」別嬪さんが3人も受付会場で笑顔を振りまいていた。南国の桜、どんなんだろう?
3 那覇のバスは、ちゃんと意思表示しないとバス停でも止まってくれないらしい。宿のフロントで言われた。時刻から早く来た場合でもゆっくり走ることはないとも。市内はバスで移動したが、手をあげてTAXIに乗るようだった。
4 首里城復元は沖縄の歴史文化のシンボルとなったとガイドが解説していた。確かにそうだろう。県立博物館は来年秋まで新館建設中で休館なので、沖縄の歴史、文化を首里城でお勉強をした。
5 那覇空港1階南端にある「空港食堂」(写真)は私の御用達。安くて味もそこそこ。「ゴーヤチャンプルー定食500円」。でも空港内に案内は一切ないからね。従業員用だから。店の名前は「空港食堂」昼は地元の乗客も多いが、夕刻は整備員などが目立つ。
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沖縄の顛末(4)

2006-11-16 | Weblog
 さて、レース後は自転車を片付け、参加料に含まれる昼食券でアグー豚丼を食べ、後はレンタカーでチーム3人那覇に向かう。
 那覇の夜は3人完走で、楽しい晩餐。去年のお店「回」で地元名物をいただく。
 翌朝は那覇見物。前回(2年前)は日曜に帰ったので、ホテルと80kmの道と空港しか覚えがない。で、今回は最終便を予約しゆっくり観光。午後便の二人と船員会館で別れてバスで首里城へ。
 首里城をくまなく見て昼食は近くのお店でソーキそば定食。石畳道や玉ウドゥン(王の墓)なども見学の後、国際通りへ。市場見学のあと、やちむん通りで皿や小鉢【写真】の買い物。各5枚計10枚買って、後で山の神に叱られた(2人しか生活してないのに5枚もいらんというのだ)。泡盛も買ってカバンがずっしり重くなり、空港までバスで。これもバス停で待つ暇もなく来たので助かった。早めの夕食を2日前と同じ従業員用の1階の「空港食堂」で食べた。
 機内の臨席はやはり自転車人。市民200にでた愛知県の27歳。高江で足切りだったそうだ。初めての参戦でまたリベンジするといっていた。
 登りが遅いので練習する、と言っていたが、沖縄は山岳というより、アップダウン。インターバルに強い人に向いているのではないかと思う。
 さて、今後だが、130は完走すらできないのは明白。来年はお休み確定。山の神ともお約束。では、次に出るのは還暦記念か。5年後だが、走れるかな?
 
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沖縄の顛末(3)

2006-11-15 | Weblog
 スタートして与那までの10kmあたりは平坦。追い風基調でAv40オーバーのスピード。50番手ぐらいで走行。センターラインにそって走行していたが、3台ほど前で左から急に右に斜行する自転車アリ。あっと思うまもなく倒れる。ガチャンガチャンと右側走行の自転車が巻き込まれる。私の隣の自転車も巻き込まれた。10cmの差で助かった。集団にはすぐ追いついて復帰。かがみさんも追いついてきてお互いの無事を確認。ハスったのだろうが、落車の山だ。
 与那からは山岳、普久川の登り。といっても350mの標高差。かがみさんが飛び出したが、私はマイペースを維持。前回は目一杯力走して、失敗した。
 流れに乗るような感じで無理せず登る。130に出場のK田さんがいた。彼は遅れ始める。同クラスの泥プロジャージのロラ男さんには抜かれる。(コナさんには気が付かなかった)補給所で水ボトルを交換。
 下りも脚を使わず、Max73km程度。前回は脚つりで休んだ、安波から高江の最初の登りも調子よく登れた。しかし、アップダウンが始まり、脚が攣る前兆がでる。「クランプストップ」を時々使用して、なんとか痛みは出なかっが、スピードが落ちる。後ろから同クラスの小集団が来るが乗り遅れる。これは我ながら情けなかった。
 一人旅で走っていたが、途中から、同クラスのディープリムを履いた人と、平坦は彼が、登りは私が、と暗黙の了解で交替で走ることが出来た。声も交わさずの共同作業だった。積極的に良いタイミングで交替するので楽しかった。平良の手前まで2人交替で走る。130、200の一人旅を吸収してグループとなり、平良の関門のあたりの平坦を私が35,6kmで引いたが交替してますますスピードアップ、ちぎれてしまった。
 しかし、しばらくして200の集団が来たので、乗ることに。平坦は40kmで走行するので、追いつくことができた。しかし、この集団、後ろを見ると、普久川のあたりで抜いてきた、同クラスのメンバーを何人か連れてきていて、ちょっとがっかり。
 慶佐次の坂も調子よく登り、補給所でボトルをゲット。有銘の3段登りでは、先ほどの集団ぶら下がり組みでグループが出来ていた。その先頭をはしるべくするすると抜け出した、つもりが、サミット手前で左のふくらはぎが突然攣る。登坂途中、とても乗っていられない。降りて休んでいる間に、先ほどの集団が通り過ぎる。少々痛くてもこがずにはいられない。サミットを越えて、最後の坂で今度は右ふくらはぎが突然攣る。とても乗っていられない。源河の関門時間には余裕があるので、あわてる必要はないが、最後の坂ということでやや油断したか。
 源河通過はさすがに前回のような感興はなかった。源河からは全くの一人旅となる。最後の緩やかな坂でようやく他の自転車を捕らえることができたが、他のクラスだ。結局、ゴール手前1km前で同クラスが一人追いついてきたので付く事に。そしてすぐ、コナさんが後ろから現れた。「なんで後ろから??」と思ったが、40km越えで引いてもらい、ひかれたままではみっともないので、最後の300mぐらいから並ぶように走った。
 最後は手をつないでゴール。沖縄で同チームメンバーと偶然にもこういうゴールが出来たのは全く良い気分だ。
 弱脚なりに思うのだが、「沖縄」はロードの王様だ。楽しさも苦しさも最大級ですね。これぞロード、と言う感じか。
 
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沖縄の顛末(2)

2006-11-14 | Weblog
 今日、沖縄で預けた自転車が到着した。3日である。速いものだ。
 さて、土曜日の大会前日は山の神に送ってもらい、津港7時発の船でセントレアへ。8時50発のANA。隣の席も自転車乗りと思い声をかけると、四日市のK田さん。「沖縄」は初めてという。130km出場。普段はトライアスロンに出場。沖縄よりマレーシアやアジア諸国の方が安いと言う。そんなものかと感心。
 一応経験者なので、補給食はどうするのか、と聞くと「130kmぐらいなしでも」というので、「それは無理。脚に来るし、リタイアすることになる」と忠告。会場でパワーゲルなど買うことを勧める。朝食からスタートまで時間があるからスタート前の補給も考えたほうが、とも助言。
 那覇空港の空港食堂で昼を食べて、高速バスで名護へ。受付を済ませて送迎バスのでる4時半まで会場で時間をつぶす。日暮れオクマ入り。あらかじめホテルに送ってあった自転車を組む時間を考えると4時までにバスはでてほしい。
 しかし、快適なホテルでかがみさん、コナさんと3人でゆっくり食事。酒も控えめに、早めの就寝、移動の疲れもシーサイドスパの気泡風呂で癒された。
 北西の風が強く、80kmにとって、追い風基調で有利だな、と期待。
 2年前と異なり、夜は良く寝ることが出来た。やはり2回目なので落ち着けたのだと思う。
 翌朝まだ暗い中、自転車輸送トラックの付近でK田さんに会ったとき、全く眠ることが出来なかった、と言っていたが、「同じ経験をしたので良くわかる。気を張っているから影響ないよ」と話しておいた。
 80kmは最北端の辺土岬近くの寒村の漁港前がスタート。向かい風なのでバスで移動したが宿からは20km弱。足慣らしに良い距離。
 スタートラインには9時過ぎから選手も並び始める。あわてて前のほうに並んでいたかがみさんの横へ。普久川の登りの入口、与那までは海岸沿いの平坦。集団走行となる。坂の入口までには前のほうにいたほうが良い。スタートは国際200km、国際高校130km、市民130km、市民200kmの順に先頭集団が通過してからのスタート。10:05が予定だが、やきもきする。なにしろ国際200kmの進行しだいでスタートに影響する。前日この逆風では15分ぐらい遅れるのではないか、と心配したものだ。まぁ少し昨日より風は収まったが、いつ国際があらわれるか、気が気でなかった。
 それは思いもかけず、早く来た。「良いぞこの調子」と念じつつ早く各集団が通り過ぎるのを祈る。市民130の第3集団にコナさんがいた。それから市民200kmの先頭集団が来て、スタートとなった。予定より4分ぐらい早い。よーし!(続く)
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沖縄の顛末(1)

2006-11-13 | Weblog
 ようやく、帰宅した。一風呂浴びて「沖縄市民80km」を振り返る。
 2年前と違ったこと。
 (1)夜は寝ることができた。2回目で前回完走しているので、興奮しなかったためか。(2)普久川の登りは抑えた。かがみさんの後を追いかけずに、ゆとりを持たせて登ることができた。(3)このため心拍90%ゾーンへは前回より25分短い42分ですんだ。(4)また、このため全体のコースを速く走れた。体も楽だった。(5)脚の痙攣は高江の少し手前から発生しそうになったが、痙攣止めの「CRAMPSTOP」が効果的だったと思う。しかし慶佐次の登りでなんともなかったので油断、有銘の3段のぼりの坂で最初は左、次のピーク手前で右とふくらはぎが攣ってしまい、堪らず計2回、脚を着く羽目に。だいぶ順位を落とした。この攣りは糸が切れたみたいに一気にきた。
 源河からは一人旅。ゴール1km過ぎて、コナさんが追いついてきた。130kmの集団でスタート地点で見送ったのに、なぜ後ろから来るのか判らなかったが、40km少しオーバーで引いてもらって、横に並んで手をつないでゴール。
 2h45分22秒と2年前より14分35秒速くゴールできた。チーム3人とも完走。かがみさんは市民80km46歳以上で3位と好調でした。
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明日は出発

2006-11-10 | Weblog
 今夕、バスの前列に座っていた時の話。
 向かいの席の女子中学生が降りるとき、「気ぃつけてな」と運転手が声をかけた。女の子は脚が不自由なのだ。杖はついてないが、脚が上がらないようだ。最後のステップは反対向きになってゆっくり降りていった。そして閉まるドアに向かってぺこりと頭を下げていた。
 いろいろ考えさせられた。・・・・・・
 
 明日は沖縄へ出発。自分との対話の3時間を楽しんでこようと思う。
 日曜の名護は曇り、40%、少し良くない天気。

 
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陽の落ちるのが早くなった

2006-11-08 | Weblog
 今日は休みをいただいて4時に帰宅し、少し走ることに。ローラーよりはやはり外。でも日暮れまで時間がない。仕方ないので30分ほど少しは追い込んで走る。
 白子の海岸からはセントレアのコントロールタワーが見える。中空から飛ぶのは初めてなので楽しみ。
 日曜の名護の天気は降水確率20%晴れ時々曇り。まずまずか。
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