自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

脚痙攣版熱中症

2020-08-29 | Weblog

 午前中は曇りとの予報を信じて、今日はサイクリング。出るのが8時10分前と予定より遅くなってしまい、午後からの暑さがやや心配。
 行き先は中村川。中勢バイパスは曇り、津市内はまだ路面が濡れている所があるなど、サイクリングとしては、この時季上々の天気。一志のコンビニで水補給の後、島田橋から中村川へ。
 雨の後とて、川は増水。家から45㎞地点が今描いている油絵の場所。絵では真ん中辺りにある、ごろた石の所も今日はどうどうと水が流れている(写真)雨が降るとこうなるので、この場所には小さな石はない。夏は草木の勢いが盛んで景色も大部違う。
 中村川沿いに登って、細野峠。ここまでは薄曇りだったが、下へ降りると早や晴天だ、暑い。堀坂下のコンビニで氷と水補給。この夏初めて保冷ボトルを使用。氷を入れると1時間ぐらいは十分冷たい。
 久居のぎゅーとら内のラ・ミシェットでパンランチ。店内で体を冷やし、漕ぎだしたら、外の風が涼しく感じられた。入店前は風の涼しさをあまり感じなくなっていたので、暑さにやられていたのか?と感じた次第。しかし、調子よく行けるかと思ったが、なにやらシンドイ。で、 野田の高速道下廃道でストレッチ休憩して回復。
 いつもの、坂の下にある長岡のコンビニで水補給(ここでゆっくりすべきだった)。が、やはり暑いので、走行は体が熱くならないようにゆっくり走行。すこし脚が痙攣したようで、郡山ランプの陰で小休止。痙攣を感じ、痛いので、この頃自転車乗ってないからかとも思うが、負荷をかけてない走行だし、熱中症かな?と疑いだす。気分が悪いというよりは、暑苦しい、休めば回復という状況。
 しかし、変調は続く。緩い登りでピクピク痙攣症状。これはまずいな、と御園からは歩道を走ることにする。サーキット道路からは側道を使って再度北勢BPに合流、と考えたが、交差点で左脚を地面につくと、突然声を出したいぐらいの痙攣症状。続いて右足も痛い。一瞬世界が黄色く見える。
 なんとか歩道に逃れて、しばし痛みが治まるまで待つ。えらいことになったな、と思って再度北勢BPへ。合流地点で再度痛みが出て、治まるまで休息。ここから400m程度の登りだが、だましだまし走行。
 BPから県道へ出るも、危ないと思いゆっくりと歩道を行く。伊勢鉄の高架橋を越える前に痙攣が再発、休息を要求しているようで、高架下の陰でしばし回復を待つ。なんてこった家まで2㎞もないのに。水は既に無く、這いずるように高架橋を登って(こんなにゆっくりなど経験したことない)、裏道で家まで。帰宅して、左脚をペダルから外すと我慢できないぐらいの痛み、右足も痙攣し、悶絶する。家のインターホンで呼び出し、山の神から冷たい水補給。最高温度34度との予報だが、いささか甘くみてました。
 経験上では、自転車での自分の熱中症は、まず気分が悪くなるので、今回はそういうことはあまりなく、判断もまずかった。脚痙攣は弱い所へ来た、ということかな?ランチ後、1時頃には帰宅できると思ったが1時半頃となった。
 痙攣は昔ツールド沖縄などでは走行中なんども発生し、そのたびに脚を止めてやりくりしたのでその頃を思い出したが、それよりひどかったな。走行108㎞

 

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ちょっと長過ぎ

2020-08-28 | Weblog

  久しぶりの雨で気持ちが良い。植物も息を吹き返した様子。今日も油絵作業、明日は久しぶりに自転車に乗るかな?!
 帰宅して、「俺も長期政権辞めたいよ」と言うと、「あんた、辞めるものあるの?」と山の神。「夫」というと「それはもろ手を挙げて歓迎」と。本気らしい・・・。
 油絵の方は川面を埋める泡を描いている。しかし先に塗った暗緑色の色が泡に溶け込んで、濁った色になっている。原油流出事故のように川面が汚れているわけで(そうでないところもあり、まだら状態)、オイルペインティングだから仕方ない、などとは言っていられない。誠、展示会が中止になったのは救われた。この状態では間に合わない。(写真は川面の一部)この絵も下書きを描きだしたのは12月だから、かれこれ、8か月になる。いささか疲れて、ちょっと長過ぎの感じ。

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直進車優先

2020-08-22 | Weblog

 このところ油絵で足踏みしている。川面の書き方が良くわからない。好きなように描ければ一番良いのだが、今は「写実」に取り組んでいて、どうすればそのものらしく見えるか、というのが課題。ゆきつ戻りつの進行状態。
 ということで、午前中はサイクリング。椿~八島川コース50㎞。石薬師を過ぎて、ゆっくり走っていると、後ろの方にロードが見える。28㎞程度で走ると少し間が空くが、暑いので、あまり長くは続けられない。そのうち抜かれてしまった。大腿の発達した方。
 椿一宮の交差点であいさつすると、鷹組のI上さんでした。「この頃はZwiftばかり」と。もう付くこともできないので後ろ姿を見送る。やや重いギアで一定ペースで走っている。
 椿神社の参道ですれ違った後、自分は八島川へ。蒸し暑いので登りは体に負担感がある。八島川沿いの下りをゆっくり走って回復。
 帰路、家の近くの交差点で右折の車とぶつかりそうになった。自分は左折のトラックの後ろで直進したので、恐らく後続との車間が空いていると思って右折レーンにいた車は曲がったのだろう。両車とも交差点の真ん中で止まったから接触はなかった。それで、自分が直進しようとすると、なんと車がさらに前へ行こうとする。轢く気か!と思って「直進車優先や!わからんのか!!」と運転手を睨んで怒鳴ってしまった。
 自転車が見えなかったので早く右折しようとしたのだろうが、当然ながら安全確認して右折する必要がある。見えた瞬間停まる必要がある。自転車でなくスピードのある単車ならぶつかっていたのではないだろうか。

 午後は油絵作業。

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伊賀青山までドライブ

2020-08-21 | Weblog

 山の神と車で、前から気になっていた、伊賀市青山町の「青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)」まで行ってきた。普段は日本画家(水墨画)、穐山明の絵を常設展示しているが、今回は「伊賀焼今昔」と題して恒岡光興氏ら5人の作品とコラボして展示されていた。(写真は穐山氏の水墨画)
 水墨画なれど、描き方(表現方法)など色々絵の勉強になった。
 ここは穐山氏の邸宅隣設の小さな美術館であり、観覧時間は長くはかからない。館内で画集なども手に取ってゆっくりする。隣接して茶室があって、今はコロナの影響で呈茶もしていないのだが、話をすればわざわざ開けてくれた。亡くなられた画家の奥様から、茶室内部でざっくばらんにお話をゆっくり聞くことができた。山の神は満足そうだったし、自分もおもしろかった。
 ランチを青山町のフレンチ「敏の味」でと思ったが人気店のため予約でいっぱいの様子、仕方なく大山田の蕎麦の「かかかび」まで足を伸ばすと、盆明け夏休み臨時休業。仕方なく近くの瑞福祥で中華ランチ。移動は伊賀コリドールで急行走、ここら辺はサイクリングでなじみのところ。

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母の肖像

2020-08-19 | Weblog

 1月下旬か2月頭に、「若い頃の姿を描いてやろう」と婆さんに話していたが、2月に旅立ってしまったので、間に合わなかった。
 現在描いている「中村川」が予定を大幅に延長となり、そっちの方に手が回らない。そうは言うものの、初盆には似せた感じで下書きを終えたいと思って、手を入れていた。
 婆さんの顔と自分とは似ている、ので、何度も少しづつ手を入れて、まぁこれくらいで良いかな、と思っている(F4号)。
 仏壇の隣に置いていたので、盆に帰ってきたときには見てくれたのではないか。
 コロナで9月の展覧会も無くなったし、中村川と並行して色を入れていくかな、と考えている。・・・婆さん結婚翌年の正月(1947年1月)の姿。まだ子どもは生まれていない。

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和無田のマンボ

2020-08-16 | Weblog

 盆も終わってひと段落、午前中はサイクリングとした。8時前に家を出て、お手軽、椿~西山~堂が山~和無田コース47㎞。暑いが、この程度であれば耐えられると思った。
 しかし、めっきり遅くなった脚では速度も出ず、微登りの続く椿までの道はなかなか堪えた。水の補給だけは忘れずクランクを回したが、途中で帰ろかな、などと思ったりもした。帰路は下りなので、全くそんなことはなく快調だった。
 で、途中に寄った和無田池、姫コウホネはまだ咲いていた。今日は、この池にそそぐマンボを覗いてみた。流れに手を入れると、この暑さにもかかわらず、水は信じられないほど冷たく、気持ちが良い。
 マンボは日本のカナート(イランでの灌漑地下用水路)とも言われている。いなべから鈴鹿にかけ鈴鹿山麓に数十か所存在する。和無田のマンボは江戸末期に開削され、延長490m(市の資料)開削したときに土を出した「日穴」という縦穴が13あると言われる。マンボは「間歩」で鉱山の鉱坑の呼び名から来ているらしい。
 高さ1.2m程度の高さであり、蝋燭か灯明の明かりで、かがんで掘ったであろう素掘りのトンネル。先人の苦労はいかばかりかとしばし思いをはせる(写真)。
 10時に帰宅したが、この時刻であれば、猛暑でも大丈夫かな。

 

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終戦記念日(3)

2020-08-14 | Weblog

 今日も婆さん宅で油絵作業。作業合間に祖父の事を調べていて、戦争中の資料を見つけた(写真)。
 上は昭和13年の多分、名古屋の社会教育委員会の家庭向け配布文書、もう一つは昭和17年2月に婦人3団体を統合し、新設された大日本婦人会の家庭用配布文書(B4サイズ大で掲示用厚紙)。後者の団体は、20歳未満の未婚者を除く全女性で結成された。昭和20年3月、国民すべてを包括した「国民義勇隊」の結成まで続く。
 中国戦線から、真珠湾攻撃を経て太平洋へ戦線が拡大するとともに、戦局が傾きだして、昭和17年(多分)の文章の内容もシャカリキになってきている。ほとけ様が消え、皇国の神頼みのみとなり、空疎な「光輝を発揚」という文句で結んでいる。余裕のない時は精神論のみとなる見本である。
 現代で言えば、宣戦布告して、日本海の竹島を軍事的に奪還し、韓国の譲歩を引き出そうとするような戦争であった。比島の米、インドネシアの英仏を駆逐したところで、本国は痛くも痒くもないではないか。長引けば負けるに決まっている戦争であった。戦争は外交の一手段であるので、その結果どういう(外交)成果を得るかが大事で、戦争や戦闘自体が目的ではないのであるが、その筋道が立てられない限り、敗戦文書に署名することになる、と思う。

 

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終戦記念日(2)

2020-08-13 | Weblog

 親父のスクラップブックに挟んであった新聞、二つ目。昭和23年12月24日の中日。極東軍事裁判が11月12日に終結し、12月23日の午前零時1分から35分の間に、絞首刑を言い渡された、戦争犯罪者7名の死刑執行が行われた(まず4人、次に3人同時に執行)ことを報道している。
 16年の開戦と、戦犯の死刑執行報道の2紙を残していたのも、どういう思いだったのか、今となっては聞くこともできない。
 これら7人の戦犯者も靖国神社に合祀されている。「国に尽くした者の霊を慰める」ということで、戊辰戦争以来の軍人軍属以外にも学生の徴用工など247万人近くが神霊として祀られている。だから問題となるのだ。7人のうち 一人、廣田弘毅元首相は文人であり、軍人ではない。廣田の遺族も「合祀はやめて。菩提寺があるからしなくて良い」と言っているがそのまま来ている。
 敗戦したから犯罪者になったのであり、勝っていれば違うではないか。満州事変、ノモンハンなど仕掛けた軍人は祀られているのに不公平?・・・まぁ、ここがドイツであれば、自殺したヒトラーやゲッペルスなども祀るということと同じと思うのだけど。犯罪者は外すべきだな。祀りたいのであれば、いっそ戦争で犠牲になったすべての国民を祀ればどうか、とさえ思う。すべての国民は国に尽くしている!のでは。

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終戦記念日(1)

2020-08-12 | Weblog

  梅雨が明けてからこのところ猛烈な暑さとなっている。自転車の方も、先日尾鷲で軽く乗った時に、登坂時に「ズキン」とTFCCの右手が痛くなった事があったので、少しお休みにしている。治すのが先決というところ。従って、展覧会は無くなったが、油絵の方に注力。また、婆さんが亡くなって色々親父の遺品なども眺めだした。
 お盆が近いこともあるが、自分もあの世へいつでも旅立ちそうになると、ご先祖様のことをあまりにも知らないので、色々調べだした。東京の兄もそんな気分になっているようで、情報のやり取りをしている。あの世へ行けば、顔も知らないご先祖様にお会いするわけだから、少しは調べておこうと感じているのかもしれない・・・。
 今日は、親父のスクラップに挟んであった二つの新聞のうち、一つめ(写真)昭和16年12月9日、太平洋戦争開戦の翌日紙。 太平洋戦争は戦場が太平洋に広がった、ということで、本来は15年戦争と言われるように1931年の柳条湖事件、満州事変を契機として中国侵略が大々的となっていったので、戦争の仕組みは真珠湾以前から続いていたと理解する。    
  

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丘の会展中止

2020-08-11 | Weblog

 9月開催予定であった絵画クラブ「丘の会展」がコロナ第2波のおかげで中止と決定された。
 会期までに、一応完成をしなければ、とせいていたところ、この連絡は残念であるとともに、なにかしら「ほっ」とした。油絵「中村川」の川の流れの表現に苦労していて、一月もあれば描けると考えていたが、そうは問屋が卸さない状況に陥り、このペースではあかんのとちゃう?!と思い始めていたので、ほっとした。
 これで、来年の県展(4月締切り)までゆっくり描ける。2年前写真クラブを辞める時、メンバー一同に「県展で逢いましょう」なんて大口たたいて来たので、早く、なんとか入選できる作品を作らないと、とは考えていたが、絵を描いたことがないのに、作品レベルはもちろんの事、大きな絵はいきなり描けず、小さな絵から段々すすんで、やっと、50号の絵を描くように到達した次第。まだまだ練習作品であるが、受け入れレベルかどうか試してみないと何事もわからない。
 今年はコロナで中止となった県展であるが、さて、来年はいかにや、というところ。絵が腐るわけではないし、中止(又は落選)となれば、もっと良いものを描くだけのことだ。(写真は今描いている「中村川」の一部)

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墓参り

2020-08-09 | Weblog

  婆さんの新盆法要は先日すませたので、今日は尾鷲へ、山の神の実家墓参りに同行。
 元気ならば、早朝夜明け前から自転車で尾鷲まで向かうのであるが、もう何年もしていない。歳のせいもあるが、大会にでなくなるとこんなもんだ。
 墓参りを済ませてからは、久しぶりの旧311号周回コース、1周だけ。12時には帰ると山の神に伝えてサイクリング。長い事崩落で通行止めだったが、春頃開通し、乗りたかった。この地域ではお手軽、かつ、海の景色が良いところ(写真、尾鷲湾口の佐波留島と桃頭島)。半分は山林の木陰なのでそれほど暑くはない。
 行野浦から登りになるが、旧国道できつい勾配もなく、最高部で350m程度なので軽くサイクリングには良い。時間の関係で九鬼漁港へは降りず、トンネル経由でなんとか12時までに帰ることができた。1周80分余と遅くなったものだ(のんびりと走ったけれど)。走行24㎞

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尺骨が長い!

2020-08-03 | Weblog

 数か月前から右手首に痛みを感じていた。最初のころはたまにしか感じなかったが、この一月は、少し手首をひねったり、重たいものを持ったりすると、常に感じるようになり、このままでは良くならんと、今日、整形で診てもらった。
 診断結果はTFCC(三角繊維軟骨複合体)損傷、いうことで、サポーター装着と湿布で一ケ月様子見処置となった。
 通常の人のレントゲンと比べてみると、尺骨が通常より長く突き出ており(とう骨端と尺骨端が揃っているのが通常)、結果、TFCCのスペースが狭い感じ。
 これで思い出した。2007年、車にはねられ鎖骨骨折となった。鎖骨の方は良くなっていったが、今度は左手首が痛くなってきた。骨折が治っても、手首が痛いので、車にはねられた時が原因と再度診察してもらうと、「左手の尺骨が長いので痛みが出る。切って短くせにゃならん」と言われたことだ。
 結局、セカンドオピニオンで別医者を紹介してもらいステロイド注射と補装具(サポーター)製作で治った。(想像だが、医者は保険会社との関係もあり、新たな負傷を報告したくなかったのかもしれない。保険会社は医療費を下げたいため医者へ働きかけをするのが普通ではないかと思うし。)この時もTFCC損傷であった。
 油絵の描き過ぎか、ロードで使い過ぎて、老化とともに発生した痛みかもしれないが、もともと尺骨が長く(両手とも)発症しやすいのだと思う。
 でも、絵を描いていたり、自転車に乗っているときは痛みは感じないんだよね!(手首をひねるのが良くないようだ)

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