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95章解説

2011年01月06日 | ジュズ・アンマ解説
بسم الله الرحمن الرحيم

95章解説

1. 無花果とオリーブにおいて、
2. シナイ山において、
3. また平安なこの町において(誓う)。
4. 本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。
5. それからわれは、かれを最も低く下げた。
6. 信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。
7. それでも、誰が教えの後、おまえを嘘つき呼ばわりするのか。
8. アッラーは、最も優れた審判者ではないか。

 アッラーはこの章を以下の御言葉で始め給います:
「無花果とオリーブにおいて、シナイ山において、また平安なこの町において(誓う)。」ワーウ و 前置詞は誓いのために使用されます。ここではイチジクとオリーブに含まれる数多くの益においてアッラーが誓い給うています。
 
またアッラーはムーサー(平安あれ)に語りかけ、トーラーを授け給うたシナイ山においても、そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にこのクルアーンを啓示し給うた尊いマッカにおいても誓い給いました。

 誓いの文言の応答は次の御言葉です:「本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。」

 つまりアッラーは人間を最も素晴らしく整った形に創り給うたということです。真直ぐな姿勢、美しい外見、理性の正しさ、適切な行動などといった特徴もそれに含まれます。「それからわれは、かれを最も低く下げた。」つまりかの美しい姿かたちから、老いに付随する外見の衰えに変えられることです。特に、真直ぐだった背骨が曲がり、光り輝いていた顔がしわしわになり、黒かった髪の毛が白くなり、張力と視力が弱まり、力が減って子供のような頭脳になり、痴呆が起こることです。

 それはまさにクルアーンが述べたような次の節の言葉のようです:「またあなたがたのある者は,非常に弱まる年齢まで留めおかれる。」(蜂章70節)

 または:われはこの整った容姿を与えた不信仰者を地獄の民の一人とした、という意味にもとれます。地獄の民こそはどんな醜い存在よりも醜く、どんなに低められた存在よりも低くありますが、かつて彼らが美しい姿をしていたとしても関係はありません。

 続けてクルアーンは、アッラーの御満足を得た人たちの特徴の描写の解明に移ります:
 「信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。」

 アッラーの存在と唯一性を信じて、アッラーに命ぜられた善行においてかれに仕え、地獄の火の原因となる禁じられた行為を避けた者たちをアッラーは例外とし給いました。彼らには「果てしない報奨」、つまり途切れることも減らされることもないアッラーからの報奨があります。

 この例外はもしかすると、若いころにアッラーに喜ばれる行為に勤しんでいた人間が老いて理性を失ったり呆けてしまっても彼の行為は若いころと同じように善行を行っていたと見なされ、理性を失った際に取ってしまった行動については咎められないという風に理解できるかもしれません。

 アッラーは次の御言葉で章をしめくり給います:
 「なぜそれでも、おまえは宗教(真実)を否定するのか。アッラーは、最も優れた審判者ではないか。」

 つまり:ムハンマドよ、お前のもとにアッラーからやって来た数々の証拠を見た後で、来世での報復が嘘だ、などという者は一体誰なのだろうか、という意味です。本当に、人間が最も美しい形と驚くべき姿で創造されていることは、アッラーが死からものを蘇らせ給い、報復を可とする能力を備え給うていることを最もはっきりと示している根拠です。「アッラーは、最も優れた審判者ではないか。」つまり、自身の法で裁く者の中で最も優れた審判者がアッラーなのではないのか。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はこの句を読むたびに、「その通り。そして私はそのことについての証言者の一人であります」と言われていたと伝えられています。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P134~136)
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