1961年
中日ドラゴンズは二十一日午後零時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中村武敏選手(20)の契約発表を行った。同選手は津久見高校から日鉄二瀬を経てことしの九月から母校の津久見高校のコーチをしていた。また日鉄二瀬には三年間在籍して、ことしは一塁手として活躍していたが、昨年までは捕手をつとめていた。身長1㍍76、体重74㌔、右投右打、二瀬の四番打者として通算打率は常時三割をマークしていた。なお背番号は森がつけていた7番をつけることにきまった。
富田代表の話 吉沢が抜けて大アナだといわれるが、とにかく吉沢がいたときでもこと捕手に関してはアナだった。それだけに期待するというより、このアナをどうしても埋めてもらわなければ困る。
中村選手の話 中日の他近鉄、阪急、東映からも誘いを受けたがプロでやるなら中日と決めていた二瀬時代に鍛えられた濃人監督のもとでやれるという魅力はもちろんだが、権藤さんとも社会人野球時代を通じてよく知っている。特に昨年の都市対抗に二瀬が出たときバッテリーを組んだこともあるからお互いに気ごころもわかっている点が強い。もっともノンプロとプロでは力に大変な差があるからボクの考えかたは甘いかもしれないが、技術的におよばないところは気力でカバーして常時出場を狙う。とにかくキャンプで早く投手陣の球質を覚えたい。
中日ドラゴンズは二十一日午後零時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中村武敏選手(20)の契約発表を行った。同選手は津久見高校から日鉄二瀬を経てことしの九月から母校の津久見高校のコーチをしていた。また日鉄二瀬には三年間在籍して、ことしは一塁手として活躍していたが、昨年までは捕手をつとめていた。身長1㍍76、体重74㌔、右投右打、二瀬の四番打者として通算打率は常時三割をマークしていた。なお背番号は森がつけていた7番をつけることにきまった。
富田代表の話 吉沢が抜けて大アナだといわれるが、とにかく吉沢がいたときでもこと捕手に関してはアナだった。それだけに期待するというより、このアナをどうしても埋めてもらわなければ困る。
中村選手の話 中日の他近鉄、阪急、東映からも誘いを受けたがプロでやるなら中日と決めていた二瀬時代に鍛えられた濃人監督のもとでやれるという魅力はもちろんだが、権藤さんとも社会人野球時代を通じてよく知っている。特に昨年の都市対抗に二瀬が出たときバッテリーを組んだこともあるからお互いに気ごころもわかっている点が強い。もっともノンプロとプロでは力に大変な差があるからボクの考えかたは甘いかもしれないが、技術的におよばないところは気力でカバーして常時出場を狙う。とにかくキャンプで早く投手陣の球質を覚えたい。