プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

依田栄二

2024-05-03 21:05:48 | 日記
1980年
二十六日のプロ野球ドラフト会議で、甲府商高の依田栄二投手(18)(甲府市太田町)が近鉄バファローズから四位で指名された。依田投手は身長1㍍81、体重79㌔、右投げ右打ち、三年間の公式戦成績は十勝八敗。長身から投げ下ろす重い速球、縦に割れるカーブが武器で、一年生の時から本格派として注目を集めていた。二年生で夏の全国大会県予選準々決勝に進出したが、今夏の大会は一回戦で巨摩に敗れた。しかし、この試合、ネット裏には十人を超すスカウトが顔を見せ、その後近鉄、日本ハムなど十球団が入団を勧誘していた。依田投手は「指名されて光栄だ。近鉄は好きなチームだし、プロでどれだけやれるか試してみたい。目標は元阪神の村山実投手のような速球で押すタイプ。二、三年で何とかチームの役に立てるようになりたい」と入団の意思を見せている。


1981年


「実績らしい実績はないんです」というのが入団以来の口グセだ。甲府商二年の秋は山梨県代表として関東大会に臨んだが、初戦で農大二高に逆転負け。三年夏の県予選でも優勝候補の一角にあげられながら、やはり初戦で巨摩高に惜敗。悔しさのあまりグラウンドにユニホームを脱ぎ捨てたまま帰って来たという。それだけに甲子園出場組の有名選手には闘志を燃やす。「プロに入ったからにはスタートは一緒、絶対に負けません!!」中央球界では無名だったが、素質は板東スカウトが現役時代に収集した資料を譲り渡しただけあって折り紙つき。「背番号48番をもらったから、まず一軍で48勝をするのが第一目標です。近鉄にはなくてはならない投手になりたい」と元気いっぱい。


1982年


「入団2年目。まずウエスタンで5勝挙げること。それを土台にして飛躍したい。ピッチングの幅を広げるためにも正確なコントロールを身につけることが課題。試合で投げられるなら、二軍も先発、リリーフも問わない」


1984年


入団当時、手渡された「板東メモ」の最初には「銭の稼げる選手になれ」と書かれてある。甲府商時代から堀内二世(現・巨人投手コーチ)と騒がれながら、今一つ伸びきれずにいる。「もうボヤボヤしてられません。ボクにとって今季が正念場。勝負の年だと決めています」昨年ウエスタン・リーグで13試合に出場。2勝2敗。この数字を踏み台に、一気に一軍入りを狙う。野口二軍監督も「フィールディングは抜群のものをもっている」と、素質の良さを認める。

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佐藤文彦

2024-05-03 20:56:53 | 日記
1981年
高校三年間で通算打率3割7分、25ホーマーをたたき出した打力、強肩、俊足と三拍子揃った兵庫県下では屈指の好捕手。昨年秋の新人テストでただ1人採用された。第二の野村を目指してのスタートだ。

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ディアス

2024-05-03 20:55:10 | 日記
2006年


速球とチェンジアップが冴える。伸び盛りの26歳。ルーキーリーグから順調に成長してきて、2004年シーズンにはメジャーで2勝をマークした。今シーズンは、若手投手陣と競い合って先発ローテーションの座を勝ち取り、ファイターズに新しい風を吹き込んでくれるはずだ。

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清水信明

2024-05-03 20:53:11 | 日記
1980年
日本ハムがドラフトで4位に指名した東農大二・清水信明捕手(17)=1㍍75、76㌔、右投右打=の入団が三十日決定した。金山スカウトは同日午後、高崎市内の料亭で本人と清作さん(55)=農業、かづさん(56)の両親らを交えて二回目の入団交渉。契約金一千ニ百万円(いずれも推定)で正式契約をかわした。日本ハムの入団第一号。


1981年


ドラフト4位、昨年夏の群馬県予選でヤクルト4位指名の好投手高仁とバッテリーを組み準決勝まで進出した。前橋工に甲子園行きを阻まれたものの激しいブロックで本塁を守った闘志が光った。勝ち気な性格は捕手にはうってつけのファイター。主将、四番打者としてチームのけん引者だった。原(広陵高ー広島)に匹敵する強肩。小柄ながらパワフルな打撃を見せる好選手だ。


1982年


田村のあとをうめる正捕手候補生、スローイング、インサイドワークと、まだまだ勉強することばかりだが、持ち前のファイトで前進あるのみ。しぶとい打撃にもさらに磨きをかけてね。


1983年


田村、中西が一軍入りし、いよいよチャンスがめぐってきた。これでやる気を見せなければウソだろう。気持ちを充実させ、オレが投手陣をひっぱってやる。ぐらいの闘志が欲しい。右打ちのうまさに加え、内角球も克服。ことしはいいトシになりそうだ。


1984年


主戦のマスクをつけて苦しい戦いだった。リーグ最低のチーム防御率。けん命のリードも、相手打者に痛打され、気持ちがくじけそうになったことも度々だった。だが、勝負はこれから。二塁へのスローイングも速く、正確になった。1割台に終わった打力アップを目指そう。


1985年


敗戦決定的な8回裏の守りからマスクをつけての初出場。わずか1イニングだったが無失点におさえた。「ひざがガクガクしちゃって。どうにもとまりませんでした」と試合後、西宮球場のロッカーで、ホッとしながら話す横顔が初初しかった。いつの日か、清水が堂々のレギュラーになった時でもこの日のことを決して忘れないだろう。昨年、イースタンのベストナイン捕手だ。


1986年


非凡な打力をかいま見た感じがした。慣れさえすれば相当打ちそうな気がした。10月16日、藤井寺球場での近鉄ダブルの第二試合、待望のプロ入り初打席は、小山のスライダーに空転したが、4回の第二打席では左越えに、そして7回の第三打席では右中間と、ともにライナー。いずれも野手の美技に阻まれたものの、会心のミートではじき返していた。田村のカベは厚いが、一歩一歩、挑戦していこう。


1987年


7月15日の南海戦(後楽園)が、うれしいプロ入り初ヒットだった。延長10回、代打でルーキーの西川から中前にとばしている。そして10月19日のロッテ戦(川崎)では、先発マスクをかぶり、4回のチャンスに、リリーフ梅沢の外角速球を狙い打っての中前2点タイムリー、初の勝利打点をもぎとっている。攻守に一層のみがきをかけ、期待に応えて欲しいものだ。


1989年


「いい打撃センスをしているよ」と、大島がそのバッティングを見て、うなずいてたとおり、バットにボールを乗っけて運ぶような打法は、磨けば光る期待感を持たせてくれる。一、二軍のかけもちが多く、なかなか腰を落ち着けるヒマはないが、田村という存在がある限り、守りで出場するチャンスは少ない。その打力をさらにのばし、右の代打陣の一角にくいこみたいところだ。


1990年


若菜という大物が頭上におおいかぶさって、昨年も第二捕手の座を占めることができなかった。最終の対近鉄戦(藤井寺)で初打席に立ち、阿波野から三遊間へヒットを放ったのは嬉しかったが、あっさりと投手のけん制にしとめられている。得点差を考えると、ここは絶対に走塁ミスは許されないケースだった。上を目指すにはさらにせん細なプレーが要求される。プロ10年目を迎えたことし、心機一転の頑張りに期待したい。

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島田直也

2024-05-03 20:35:53 | 日記
1988年
昨年の春、夏、甲子園に出場した常総学院のエース。夏は決勝でPLに敗れたものの、沖縄水産、尽誠学園戦の2完封を含め、6試合、55イニングを一人で投げ抜いている。カーブ、スライダー、SFFを駆使しての多彩なピッチングを見せるが、日本ハムではその強肩とシュアな打撃をかって内野コンバートも検討されている。甲子園の人気を二分した芝草との先陣争いが楽しみだ。


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坂巻明

2024-05-03 20:33:36 | 日記
1985年
鼻の下にのばしたヒゲは「少しでも打者に威圧感を与えるため」だった。夫人の反対、周囲の冷やかしも平然と聞き流して、鏡とにらめっこしたのも、ひとすじに思いつめるものがあったのだろう。58年に待望の初勝利をあげると、錯塩は一気に7勝をマークし、防御率もベストテンの第四位に入る急成長。ヒゲの効果が抜群だったのか。おせじにも威圧感がった、とはいえないが、勝利にひたむきに前進する坂巻の努力には、頭の下がる思いがした。二度にわたる連敗ストップの殊勲の星もあったが、いちばん強烈な手応えを感じたのは、4月12日の西武戦だろう。先発工藤が一死を取っただけでKOされた二番手として力投、無得点におさえたときだ。密かに修練をつんだ宝刀フォークで、田淵をバサリと三振に切ってとったピッチングは圧巻だった。テストで入団し、打撃投手からスタートした努力の人。雑草の強さが、いまはたのもしい。

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中村渉

2024-05-03 20:30:03 | 日記
2005年
地方のクラブチームに所属しながらもその類まれな度胸を買われ、昨夏の都市対抗野球で、JTの補強選手として出場。それまでは無名に近い存在であったが、準々決勝で名門・東芝を5安打完封するなど優秀選手賞を獲得し一躍脚光を浴びた。腰の振りが非常に柔らかく、MAX145キロを記録した直球と長身から繰り出す角度のあるカーブとフォークが武器。実家の畳屋を手伝いながら野球を続けてきた苦労人。26歳ながらもまだその能力は可能性を秘めており暑い期待が寄せられる貴重なサウスポー。決して逃げない持ち前のハートでリーグを代表する強打者たちに立ち向かっていきたい。

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中村渉

2024-05-03 20:28:08 | 日記
2005年
地方のクラブチームに所属しながらもその類まれな度胸を買われ、昨夏の都市対抗野球で、JTの補強選手として出場。それまでは無名に近い存在であったが、準々決勝で名門・東芝を5安打完封するなど優秀選手賞を獲得し一躍脚光を浴びた。腰の振りが非常に柔らかく、MAX145キロを記録した直球と長身から繰り出す角度のあるカーブとフォークが武器。実家の畳屋を手伝いながら野球を続けてきた苦労人。26歳ながらもまだその能力は可能性を秘めており暑い期待が寄せられる貴重なサウスポー。決して逃げない持ち前のハートでリーグを代表する強打者たちに立ち向かっていきたい。

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