国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

円相場の行方:三分の二の法則より、今回の円高でドルは五十円まで暴落する!!

2007年08月18日 | 経済
●ソニーバンク外貨預金セミナー 相場観を身につけよう|from MONEYKit|MONEYKit - ソニー銀行 2005年1月28日

2005年1月28日、ソニーバンクをご利用いただいているお客さまを対象に、「新春外貨預金セミナー~相場観を身につけよう~」が開催されました。相場を見る目を養うには、長期・中期・短期の総合的な視点と、ファンダメンタルとテクニカルの両面からのバランスのとれた分析が大切です。「外国為替マーケットレポート」の執筆者として活躍する、金融市場調査機関 株式会社フィスコのリサーチマネージャー(為替担当)の山下政比呂氏が基調講演を行いました。
※この基調講演は2005年1月28日、東京・丸の内「エムプラス」にて開催されたものです。基調講演の内容は一部抜粋して掲載しています。また、米ドルをドルと表記しています。

円・ドル相場の長期トレンドを俯瞰する


◆アメリカの通貨政策は「下げて・止めて・上げる」
ドル・円相場というのは、太平洋戦争後に進駐軍が新たなドル・円相場のレートを決める際、「円というのは丸=サークルという意味だそうだ」と円周360度にちなんで、1ドル360円に定めた経緯があったそうです。これが真実かは不明ですが、不思議なことにドル円は、1971年のニクソンショック(※1)(この年は1871年にドル・円相場が1ドル=1円で誕生してから100周年)を経て、1973年に変動相場制へ移行、その後、1978年に半分の175.50円になりました。そして、次は1988年に3分の1の120.25円。その次は4分の1になると誰しも思うわけですが、1995年にほぼ当たりの79.75円になるといった、不可思議な動きをしてきました。



戦後ドル・円の歴史は、“360”という数字に支配されましたが、その最大の要因はアメリカの通貨政策です。ドルは世界の基軸通貨であると同時に、アメリカの通貨ですから、アメリカが動かしたいように動いているわけです。

ニクソン・ショック、プラザ合意(※2)、パリ合意(※3)と、アメリカはドルの切り下げを過去3回行いました。第1回目のニクソン・ショックでは、終戦記念日の8月15日をあえて選んで切り下げを行い、日本に対して“警告”を発しています。その後、ドル・円は半分の175.50円まで下がりインフレ懸念が出てきたので、カーター大統領がドル防衛策でドル安に歯止めをかけ、レーガン大統領のドル高政策によりドルは上昇しました。第2回目のプラザ合意では、レーガン大統領が対日貿易赤字削減を目論んでドル安誘導に踏み切り、ドル・円は240円付近から半分の120.25円まで下落しました。しかし、ルーブル合意、クリスマス合意でドル安に歯止めをかけたため、160.35円まで反転しました。第3回目のパリ合意では、ブッシュ大統領(現ブッシュ大統領の父親)が対日貿易赤字削減を目論んでドル安誘導に踏み切り、ドル・円は160.35円から半分の79.75円まで下落しましたが、クリントン政権によるドル高政策により、147.64円まで反転しました。

ドルを「下げて、止めて、上げる」。このパターンをアメリカは繰り返しています。現在のブッシュ政権もドル安を黙認しており、ドルを消極的に切り下げているのではないかといわれています。



ニクソン政権のコナリー財務長官は、「ドルは我々の通貨だが、問題は君たちにある」といいました。この発言が米国のドル政策の根幹にあります。今のスノー財務長官も「アメリカの貿易赤字は、我が国の景気が良くて、日本や欧州の景気が悪いからだ。なんとかしろ」といった趣旨の発言をしています。根底にある通貨政策は、貿易不均衡を是正するために、ドルを切り下げて、貿易相手国の通貨を切り上げる(そのターゲットは今までは円でしたが、現在は中国人民元です)というニクソン・ショック以来の考え方です。

※1 1971年にニクソン米大統領によって発表されたドルと金の交換停止政策。ドル防衛および景気刺激などを目的とした。
※2 1985年9月、ニューヨークのプラザホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議。米国、イギリス、西ドイツ、フランス、日本は、協調して為替レートをドル安に進めることに合意。
※3 1990年4月、ブッシュ政権は、160円台に上昇してきたドル・円を目の当たりにし、対日貿易交渉・市場開放のための円安是正策を打ち出した。


◆テクニカル分析から見た長期相場
【V計算値】
次はテクニカルのお話です。長期トレンドをご覧いただくと、360円の時代から今日まで、ドルは大きな下げトレンドを形成しています。この長期下落トレンドラインを上抜かない限り、長期的な「ドル安」が続いているわけです。この長期抵抗線は今年1月には127.14円に位置しています。1ヶ月に約57銭、1年間に約6.80円下降していますので、来年の1月には120円付近まで下がってきますので、天井が低くなってくるわけです。このようなトレンドラインを上抜けたり下抜けたりすると、相場は大きく反転する可能性がありますので、この長期抵抗ラインをぜひ覚えておいてください。

もうひとつの見方をお話しします。一目均衡表(※4)では「V字型」波動などといいますが、単純にして説明すると、安値からn円の幅で高値に行ったとします。また前の安値を切った場合は、そこからさらにn円と同じ幅だけ下がるという目標値算出法です。チャートを見ると

1978年10月 175.50円で安値
1982年10月 278.50円で高値
それからまたドルは下がって、その次に175.50円を下抜けたとしたら・・・

下げ幅は278.50-175.50円=103円
だから、次の安値は175.50円-下げ幅(103円)=72.50円
という数字が出てきます。実際には72円には届きませんでしたが、1995年4月に79.75円まで下がりました。

次の安値ですが、1988年1月の120.25円から1990年4月の160.35円まで上がっています。

今度の上げ幅は40.10円。40.10円の幅を120.25円を下抜けたところから下ろしてみると、80.15円という目標値が算出されます。これもほとんど1995年4月の79.75円とほぼピッタリ来ました。

またその次の安値はどこかといいますと、ロシア危機後の1999年11月の101.25円があり、135.20円まで上昇した後、ブッシュ政権のテロとの戦いを受けた地政学的リスクにより、101.67円まで下落してきています。この101.25円を下抜けるかどうかが、非常に重要なポイントであり、下抜ければ過去のパターンから135.20円-101.25円=33.95円ですから、33.95円幅の下落の可能性が出てくる。つまり67.30円ですね。67.30円という数字を、とりあえず頭にとめておいてください。

※4 一目山人が開発した、テクニカル分析手法。転換線、基準線、先行スパン、遅行スパンを基本的な指標とし、これらの交わり具合や線で囲んでできる「雲」の状況などを見ながら、売買のタイミングを計る手法。

【三尊天井 ヘッド&ショルダーズ】
次に、三尊天井、ヘッド&ショルダーズについて説明します。
ヘッド&ショルダーは、その名の通り左肩、頭、右肩の順に3つの異なる高さの「山」を形成します。頭の左右に出来た谷の2点を結んだ線を「ネックライン」といい、右肩(3つ目の山)から下へ伸びる線がネックラインを下抜けた場合、頭が形成している山の高さ(上下幅の平均)と同じ幅の動きを価格目標値として予測します。

ドル・円は2002年1月の135.20円を頭にして、左右に126~127円の肩を持つ、いわゆる「ヘッド&ショルダーズ」というパターンを形成し、2003年9月のドバイG-7の後、「為替相場の柔軟性」という文言でドル売りとなり、ネックラインである115円を下抜けて、目標値95円=115-(135-115)が算出されています。

この95円という目標値が、今年の為替市場では当面の下値だと予想されているようです。

【三角保ち合い】
もうひとつ三角保ち合いのお話をしておきます。三角保ち合いとは、相場が上下変動を繰り返しながら変動幅がだんだん小さくなっていき、チャートが三角形になるパターンのことです。三角形が対称形のままの時は、「保ち合い」に入る前のトレンドが継続しているわけですが、三角形の上下のラインの中からどちらかに値動きが放れたら、保ち合いから放れた方につくというテクニカルの基本的な分析法です。

プラザ合意の時は、306.90円と175.50円を底辺とする三角保ち合いを形成中でしたが、230円付近で保ち合いの下値支持線を下抜けましたので、230円から底辺幅130円(306.90-175.50)を引いて、100円という目標値が計算でき、これは達成されました。次の三角保ち合いは、160.35円と79.75円を底辺とするものでしたが、2003年8月に118円で下抜けましたから、38円という目標値が点灯しているわけです。38円ですとか、先ほどの67円というのは荒唐無稽のように思われるかもしれませんが、過去の79円という数字も同じように荒唐無稽ながらも現実になりました。

ただし、今回の場合はそこまでは下がらないと私は思います。このような場合はテクニカルを捨てて、ファンダメンタルズに戻ります。日本のGDPは約500兆円、アメリカは約11兆ドルです。円ドルが50円といったような相場になりますと、日本とアメリカのGDPが一致します。そういう相場が成り立つはずはありません。というわけで、38円、67円という数字は覚えておいていただきたいのですが、今そこまでは円高になるということはないというのが私のドル・円の相場観です。
http://moneykit.net/from/topics/topics41_01.html




円キャリートレードの終焉は1998年LTCM破綻時を上回るドル大暴落をもたらすか?


図は1998年にLTCMが円キャリートレードの損失に関連して破綻した際の急激な円高。一日で約10円、約2ヶ月で30円円高が進むという劇的な為替変動が起きている。





【私のコメント】
2005年のソニーバンクの外貨預金セミナー がニクソンショック後のドル円相場の変動を簡潔にまとめている。今後の円高の目標数値としては38円と67円という二つの数字が挙げられている。ただ、金融関係者が真実を一般大衆に伝えることはあり得ないと思われるので、この二つの数字はあてにすべきではないだろう。

私は為替相場取引に手を出したことはない素人だが、ニクソンショック以後の円相場の動きには明確な規則性があると考えている。以下にその規則と、それから予想される円高のピーク値を述べる。

第一次円高:1971年360.00円→1978年175.10円

第一次円安:1978年175.10円→1982年278.50円

第二次円高:1982年278.50円→1988年120.45円

第二次円安:1988年120.45円→1990年160.35円

第三次円高:1990年160.35円→1995年079.75円

第三次円安:1995年079.75円→1998年147.64円

第四次円高:1998年147.64円→200?年???.??円



上記の数字の羅列を見ると、円高のピーク値は約180円→約120円→約80円と、常に前回ピークの三分の二の数値になっている。私はこれを『三分の二の法則』と名付けている。この法則に従えば、第四次円高のピークは80円の三分の二である53.3円が目標となる。実際にはきりのよい数字で50円がピークになり、そこで円高が円安に反転するだろう。

一方、円安のピーク値は円高のピーク値と比較して規則性に乏しい。ただ、前回の円高ピークの三分の四倍の水準までは必ず値を戻しており、第一次及び第三次円高ではその後大きくオーバーシュートしている。従って、第四次円安のピークは70円以上となるだろう。

上記の1998年の急激な円高の際には、金融派生商品の取引を行っている企業は少なかったが、それでも30円程度という急激な円高が発生している。911事件でこの時の損失のデータが失われたことは偶然ではないだろう。現在では数多くの企業が金融派生商品に手を染めており、円キャリートレードが巻き戻される際の円高は前回の比ではない様に思われる。一ドル50円は一見突拍子もない水準だが、そこまで行かないと米国の過剰消費体質は治せないだろう。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-08-19 05:17:59
乱れ飛ぶ情報・・・

http://my.shadow-city.jp/?eid=507893
明日、アメリカがミサイルでイラン攻撃
軍事的にも、経済的にも、政治的にも、すっかり追いつめられた風情のブッシュなんだが、苦し紛れにニューヨークで核爆弾を使ってテロを起こすとか、色んな噂があるんだけどね。今度は、
48時間以内にイラン攻撃という話なんだが、
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