ランシモ

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南三陸町のさんさん商店街を探索

2017-05-06 17:40:57 | 旅行記

南三陸町は先の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた漁港町。

石巻や気仙沼の方が町が大きかったので、被害額も大きかっただろう。

だけど、被害甚大なことは変わりなく、南三陸町は町そのものがなくなってしまった。

何も残っていなかった。

防災センターの鉄塔にしがみつく映像を覚えているだろうか?


数十人が4階建ての屋上に避難しても、、、さらに津波はその高さを越えてきた。

鉄塔によじ登れた2人だけが助かった。


その鉄骨だけになった災害センターの骨組みはモニュメントとして保存してあった。

土に埋まっているように見えるけど、台形に土盛りした大地の先にぽつんとあります。

望遠レンズで撮ったので土と鉄骨がくっついていますが、実際は離れています。

おそらく港もずいぶん形が変わったのだろう。

三陸海岸はリアス式海岸線で入江が多い。

普段の時は海岸線が多彩な表情を持っているから海の幸に恵まれています。

ところが、津波には災害を受けやすい地形なんです。

入江に入ってきた津波は、奥に行くに従い波の高さを急激に増していきます。

5階建ての高さまで水面が来るなんて、、、普段では想像ができません。

土盛りの高さは10mがデフォのようで、さらにこの高さより10m、20m高く盛っている台形の土地もありました。

大土木工事です。

復興という名の大土木工事が、悪いことではないだろうが、自然に逆らうのではなく、さらりと受け流すやり方もあるのではないかと、、、考えさせられます。

南三陸町ではベースが10m高ということで、そこに商店街が作られています。

さらに高台への逃げ道もいろいろ考えてあるようだ。

正面のピラミッドは30m近い高さがある。

きっと避難所になるのだろう。

見晴台からさんさん商店街を見ました。

駐車場は広く300台も停められますが、連休中は満車で入れない車が数珠繋ぎだったそうです。

さんさん商店街

https://www.sansan-minamisanriku.com

なぜ私が南三陸町に来たかというと、元社員の方が地元に帰り家業を継いでいると聞いたからです。

残念ながら、本人が出張で会えませんでした。

朝早かったのでまだ開店していません。

プレハブじゃないけど商店街といっても急造の感はあります。徐々に作られていった商店街じゃないからね。

商売ができるようになって良かった!

この日の朝食をマグロ丼にしました。

いくら丼や海鮮丼、ウニ丼が人気らしいが、私は実はウニ、トロ、いくらが超苦手なんです。

わざわざ漁港に来てもったいないけど、ウニトロイクラが新鮮でも絶対に食べません。

いやはや、好きな人には呆れ果てるでしょうけどねー。

家族と従業員総出で忙しくなると言っていました。

前日は売れて売れて商品がなくなって、商品調達でてんやわんやだったと言います。

良かったじゃないですかーーーお店が出来てこれこそ復興でしょう。

この写真を撮ったのが9;00頃なので、これから大混雑になります。

私はさっさと仙台経由で常磐道で帰途に着きました。

2016年8月 を常磐道を通って東北へ

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/d57e530708068e2790d56d165c9487e3

南三陸町は仙台から高速道路が開通して便利になっていました。

商店街の案内図が分かりにくかったかな!


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