色彩の錬金術師と呼ばれたティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576/イタリア/盛期ルネサンス・ヴェネツィア派)の二回目。
まずはラテン語で、“ 我に触れるな ” を意とする 「ノリ・メ・タンゲレ」(上)から。
磔刑後のキリストの最初の奇跡の出現、すなわちキリストがマグラダのマリアの前に姿を現した時の言葉がこの絵の主題。
墓所が空になっているのを見たマグラダ、復活したキリストを園丁と勘違い、「遺体を何処に移したのか教えて欲しい」と嘆願する。
キリストから名を呼ばれ漸く気付いたマグダラ、左手にアトリビュートの香油壷を押さえ乍ら右手を伸ばし 「師よ」と呼びかける。
しかし、足の甲の釘跡も生々しいキリストは、“ 私に触れてはいけない。私はまだ父の御許へ上がっていないのだから ” (ヨハネ20章)と答える場面を鮮やかに切り取っている。
本作もまた、マグラダのマリアの風にそよぐ薄地の袖とヴェネツィア風のドレスの真紅が、色彩の錬金術師の手に拠ってひときわインパクトを与えている。
もう一枚は 「男の肖像 ‐ アリオスト」(下)。
感情を露骨に示すことを、“ ハートを袖に付けている ” というらしいが、彼の初期の絵とされるこの肖像画は技巧に溢れ、“ アートを袖に付けている ” と評されているとか。
従来、モデルは鑑賞者に観られる対象であった。
が、本作においてモデルは、受動的な観られる側から主体として能動的に見る側の立場に移ったとされている。
この人物、ティツィアーノ自身という説もあるそうだが、モデルの男性、何か興味深いことから視線を転じて、“ 一瞬、鑑賞者のごとき者に目を向けて下されたとも取れる ” とも評されているそうな。
なるほど、22歳の若き画家の不遜なまでの自信がキャンバスから迸(ほとばし)っている、ものの 「鼻持ちならぬ生意気な奴!」との思いもしなくもない。
ちなみに、この絵を見た光と影の魔術師レンブラント(1606-1669/オランダ絵画黄金期)、本作から大きな影響を受けたのだとか。
カタリナ には 「・・・」呆れたように聞き流されたが、「やっぱりこの画家、女性を描かせたほうがいいね」と、何時もながらの頓珍漢な感想を一齣(ひとくさり)呟くペトロ なのである。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.779
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